時空タクシー

妖狐ねる

第1話「時を超えるタクシー」

 ──先週の金曜日、母さんが死んだ。

 学校を仮病で休んだ俺は、母さんが買い物に出ている間、一人でゲームをしていた。その最中に電話がかかってきたのだが、それに出たら遊んでいたことがバレると思い、その時は電話を無視した。それから数時間後に再びかかってきた電話に出たところ、相手は父さんで、母さんが死んだという内容だった。

 母さんの運転する車が踏切に入った時、10年以上走り続けて老朽化したシャフトが折れ、その場で立ち往生したらしい。直後に遮断機が下りて、母さんは車から逃げようとしたが間に合わず、そのまま潰れる車に巻き込まれた。事故の直後はまだ意識があったそうだが、病院に搬送された後、父さんと俺に連絡がつかず、そのまま亡くなったとのことだ。

 もしあの時の電話に出ていれば、せめて母さんの最期には立ち会えたのかもしれない──幾度となくそう悔やんだ。だが、いくら悔やんだところで、過去が変わるはずもなかった。……そう、あの話を聞くまでは。


「時を超えるタクシー……?」


 授業中も休憩時間も上の空でいる俺を見かねたオカルト好きの友人が、そんな話を持ち出した。


「都市伝説なんだけど、実際に見たっていう話もあるんだ。ダメ元で試してみるのも手じゃないかなって……」


「そんな都合のいいもの、あるわけないだろ」


「そりゃそうか……」


 彼なりに僕を元気づけようとしたのだろうが、そんなおとぎ話に付き合っていられるほど、僕の心に余裕はなかった。しかし、僕の返事を聞いてうなだれる彼を見ると、なんだか悪いことをした気分になってくる。


「……ちなみに、それはどういう話なんだ?」


「えっ?」


「話だけなら聞くよ」


「あ、ありがとう……えっと、明日野あすの大通りってあるでしょ?」


「あの時計台があるとこだよな?」


「うん。あそこの時計台の前で深夜0時に待っていると、タクシーが来るんだよ。見た目は普通の個人タクシーなんだけど、屋根の上にある表示灯の真ん中に時計のマークが入っているんだ」


「それが『時を超えるタクシー』なのか?」


「うん。それに乗って目的地を尋ねられたら、行きたい日付と時刻を言うんだ。そうすると深夜料金なので高くなるって言われるから、『時は金なり』って返事をする」


「時は金なり……」


「そうしたら、後は目的の日時まで連れて行ってくれる……らしいよ」


「……胡散臭いな」


「でも、実際に乗ったっていう人の話もあるんだ。例えば――」


「わかったわかった、もういいよ」


「……ごめん」


「……最後に一つだけ聞いてもいいか?」


「なに?」


「深夜料金ってのは……いくらくらいなんだ?」


「1日につき1万円……って聞いた」


「……わかった、ありがとう」


 ──その日の夜、父さんが買ってきた弁当で夕食を済ませた後に部屋でぼーっとしていた俺は、昼間の話を思い出した。『時を超えるタクシー』……もし本当にそんなものが存在するなら、もっと知られているはずだ。少なくとも俺はそんな話は聞いたことがないし、帰り際にネットで調べても胡散臭い話しか出てこなかった。だが、母さんを失って疲弊しきった俺の心にはその話が魅力的に思えて、強く記憶に焼き付いてしまったようだ。そうして迷った末、俺は実際に見に行ってみることにした。そんなものは存在しないのだと確認できれば、俺の中にあるモヤモヤした気持ちも断ち切れるだろうし、仮に存在するなら……。


 深夜、俺は父さんの財布を持ち出し、明日野大通りへと向かった。この時間はバスも走っていないため自転車で行くしかなかったが、なんとか0時前に着くことができた。東西に走る通りの南側に建つ、古びた時計台。これといった観光名所のないこの丘谷町おかやちょうで、唯一ランドマークと呼べるような存在。だが、正式な名前も、いつ建てられたものなのかも、地元の人間ですらよく知らない。


 そして、0時。まばらに走りゆく車の中、一台の個人タクシーが目についた。手を挙げて呼び止めてみると、確かに「個人」と書かれた表示灯の中央に、緑色の時計の針のような模様が浮かび上がっている。俺は開いたドアからそのタクシーに乗り込んだ。


「お客さん、どちらまで行かれますか?」


「あっ、えっと……1週間前まで……」


「1週間前……?」


 運転手の男性は不思議そうな顔をし、虚空を睨んだ。

 ああ、やっぱりそんなものは存在しないんだ。このタクシーはただの個人タクシーで、俺は都市伝説に魅せられて意味不明なことを口走ったバカな男子高校生なんだ……一瞬のうちに、それだけのことが頭に浮かんだ。


「……10月19日?」


「えっ……」


「今日って26日ですよね?19日でよろしいですか?」


「ほ、本当に、その……『時を超えるタクシー』なんですか?」


「……深夜料金なので高くつきますが、よろしいですか?」


「……時は、金なり」


「かしこまりました。時空タクシー、発進いたします」


 そう言って、運転手はアクセルを踏んだ。


◆◆◆


 僕の名前は朱鷺尾ときお わたる。もちろん本名ではなく、時空タクシーの運転手としての偽名だ。僕自身はこの時代の人間なのだが、未来にあるという時空タクシー株式会社に勤め、2010年代での運行を担当している。


 今日は、久々のお客さんが乗っている。未来では普通に知られていて堂々と走っているそうだが、この時代では都市伝説という形でしかその存在を知らせられない。ゆえに利用客は少なく、仮に呼び止められても普通のタクシーとして使われることが多いのだ。


「お客さん、何があったんですか?」


 僕は人目につかない道路を探しながら、お客さんに尋ねた。高校生か中学生くらいの少年。1週間というと7万円かかるわけだが、そんな大金を持っているようには見えない。仮に持っているとしても、よほどの理由があるはずだ。


「……母が死んだんです」


「……なるほど、そういうことですか」


「それで、せめて最期の瞬間に立ち会いたいと思って……」


「……お母様は、ご病気で?」


「いえ、事故です」


「だったら、もっといい方法がありますよ」


「え?」


「事故そのものをなくしてしまえばいいんです」


「あっ……」


 どうやら、彼はそこに気づいていなかったようだ。おそらく、ショックで何も考えられなくなっていたのだろう。


「まだ行き先の時刻は聞いていませんでしたね。どうされます?」


「……母を、助けたいです」


「私にできることなら協力しますよ」


 ──話によると、事故は踏切に入った際の衝撃で老朽化したシャフトが折れることで発生したらしい。ということは、仮にその場だけ防いだとしても、また別のタイミングでシャフトが折れて事故に繋がるだろう。「過去に戻って修理を促す」というのも手だが、もっと前に遡る必要が出てくる。ならば……。


「踏切に入るタイミングをずらしましょう」


「……それで助かるんですか?」


「もっと別のタイミング……例えば遮断機が上がってすぐであれば、立ち往生しても脱出までの時間が稼げます」


 もちろん、それで確実に成功するという保証はない。が、最小限の干渉で事故を阻止するにはこれが最善だろう。


「……お願いします」


「事故が発生したのは何時ですか?」


「買い物を終えた帰り道……11時頃だったはずです」


「では、19日の10時半に向かいます」


 僕がタクシーメーター型の制御パネルを操作して行き先の時刻を入力すると、カーナビの画面にその時刻の道路の様子が表示された。これをきちんと確認しなければ、時空転移した先で事故を起こしてしまう。自動車型のタイムマシンが登場する某映画では過去に飛んだ直後にカカシにぶつかっていたが、あんな感じになってしまうのだ。


「……よし」


 現時点での人通りがなく、19日の10時半の時点でも人や車が通っていない場所を見つけた僕は、タイムマシンを起動するボタンを押した。ボンネット内部に搭載された装置が唸り、車体が細かく振動を始める。


「揺れますのでご注意ください」


 直後、ドンという音と共に視界が歪み、僕たちは過去へ飛んだ。とはいえ、たかだか1週間前だし、人通りのない場所なので、体感では「昼になった」程度だ。僕は少年の言葉に従い、この日に母親が買い物をしていたというショッピングモールに向かった。


「多分、まだ買い物をしているはずです」


「……では、電話しましょう」


「電話?」


「今からお母様に電話して、何か追加の買い物をしてもらうのです。そうすれば、それを買う時間分タイミングをずらせます」


「……わかりました」


 少年はポケットからスマホを取り出し、母親の番号にかけ始めた。


「もしもし、母さん?……ちょっと買ってきてほしいものがあるんだけど……あ、えっとね……」


 話している途中で、少年の頬を涙が伝う。本来であれば二度と聞くことがなかったであろう母の声を聞いて、安心してしまったのだろう。


「……違う、泣いてない……風邪で喉の調子が悪いんだよ……」


 電話を終えた後、しばらく彼は泣きじゃくっていた。


「まだ終わりではありませんよ。あくまでタイミングをずらしただけですから」


「はい……」


 十数分後、ショッピングモールの駐車場から出てきた彼の家の車を、タクシーで追う。事故のあった踏切は遮断機が下りており、1台目に彼の家の車、2台目にこのタクシーが並んだ。彼は今家にいることになっているので、運転席から見えないように伏せてもらう。

 そして、遮断機が上がった直後、踏切内に侵入した車がカラカラと金属音を鳴らし、踏切の出口付近で停止した。運転する女性は何が起こったかわからずオロオロしているようだ。


「お客さんはここで待っていてください」


 僕はタクシーを降りて前の車に駆け寄ると、パニック状態に陥っている女性をなだめつつシフトロックを解除し、女性と共に車を押す。そうして踏切の外に出た辺りで警報機が鳴り始め、遮断機が下りた。車は動かなくなったが、事故は免れたのだ。


「本当に……本当にありがとうございました……」


 26日の深夜に戻った後、少年は震える声で感謝を述べ、料金となる7万円を差し出した。


「まだ終わっていません。このままではお客さんの帰る場所がありませんので」


「え?」


「今、お客さんは『1週間前にお母様が事故に遭わなかった場合の未来』にいらっしゃいます。つまり、時空タクシーに乗る理由がないのです」


「あっ……」


「そう、今からお家に帰っても、そこにはもう一人のあなたがいます。ですから、その後始末が必要なのです」


「……何をするんですか?」


「簡単なことです。今家にいるもう一人のあなたを連れてきて、もう一度過去で同じことをしてもらいます」


「……わかり、ました」


 僕は彼を家まで送りながら、そう説明をする。家に着いた少年は釈然としないような顔をしつつも、寝ていたもう一人の彼を起こして連れてきた。


「これでいいんですよね?」


「はい、後はこちらにお任せください」


「あっ、もう一度過去に行くなら、その分のお金も……」


 少年は財布を開け、お金を取り出そうとする。


「いえ、今回の料金は結構です。これはお客さんを降ろした後の片付け……シートベルトを元に戻しておくようなものですから」


「そう、ですか……」


 僕は少年に別れを告げ、もう一人の少年を連れて再び19日に飛んだ。


◆◆◆


 ──不思議な夢を見た。もう一人の俺が現れて変なタクシーに乗せられ、「母さんを助ける」という名目で買い物を頼む夢だ。1週間前、俺は仮病で学校をサボっていたが、本当に風邪でもひいたのかと思うほど支離滅裂で意味不明な夢だった。もう一人の俺は「母さんが事故で死んだ」と言っていたが、もちろんそんな事実は存在せず、今朝も俺を叩き起こして学校に送り出した。変な夢を見たせいでよく眠れていないのに学校に行かなければならないというのは、随分苦痛なものだ。そういえば、夢の中の俺は「時を超えるタクシー」とか言っていたな……俺の友人に、そういう話が好きそうな奴がいる。今日の休憩時間にでも、ちょっと話してみるか。


◆◆◆


 多くの場合、過去を改変して幸せになった人物はそれに気づかない。だから、こんな都合のいいタクシーが存在していても、再びそれを利用するということは稀だ。人助けをしても記憶に残らないというのは少し寂しいものがあるが、これはそういう仕事なのだ。僕はまた、“どこからともなく現れたタクシー料金”を手に、昼は個人タクシーとして、夜は時空タクシーとして街を行く。

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