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ライール様の元に引き取られてから早三年――――

気づけば私は十八歳になっていた。


私の一日の過ごし方はというと……


毎朝六時頃に起床。

侍女の手を借りて白いドレスに着替え、髪をいてもらいながら身支度を整える。


身支度を調えた私は、そのままハインリヒ家内に作られた神殿に赴き、神様に朝の挨拶を済ませる。

この国の男神……ルーチェ様を真似て作らせたという偶像を前に跪いた私は、両手を額の前で組みながらこうべを垂れる。


「神様。おはようございます。本日も神子としてのお勤めを全うさせて頂きます」

そう呟くと……


『おはよう。よく眠れたかい?』

ここ三年ですっかり聞き慣れた、透明感のある中性的な声が私の頭の中に響いた。


「はい。問題ありません」

『今日のお告げは特にないけど……力の使いすぎにはくれぐれも気を付けて。それでなくても最近……』

「かしこまりました」

『ちょ……っ!ユーリ!?』

私は端的に答えてから、ルーチェ様の交信を一方的に切った。


……分かっている。

ルーチェ様に言われずとも、私は充分に理解しているのだ……。


震えそうになる両手をギュッと握り締めながら俯いた私は、

「やあ、おはよう。朝の挨拶は終わったのかな?」

神殿の入口の方から聞こえて来た声にパッと顔を上げた。


「……ライール様!」


ライール様はこうして毎朝、朝の挨拶が終わる頃に迎えに来てくれるのだ。

私は急いでライール様の元に駆け寄った。


「今朝は瑞々しいフルーツが手に入ったから楽しみにしていて」

私の手を躊躇いもなくギュッと握ったライール様は、その手を口元にまで近付けると……フワッと微笑んだ。


「……っ……はい」

相変わらず……心臓に悪い人だ。

ライール様は、こうして私が喜ぶ事を沢山してくれるのだ。


私は赤く染まった顔を見せるのが恥ずかしくて、少し俯いた。



白百合リリー。今日のお客さんは五人ほどいるけど……平気かな?」

ライール様は申し訳なさそうな顔で、私を上目遣いに見ながらそう言った。


「大丈夫です。私の全てはライール様の物ですから、どうぞお任せ下さい」

「ありがとう!僕の愛しい白百合リリー!」

愛しい人の瞳を見つめ返しながら大きく頷くと、ライール様は一瞬だけギュッとキツく私の身体を抱き締めた。


ライール様……。

私がおずおずとその背中に手を回そうとすると、ライール様は私をアッサリと解放した。

行き場が無くなって宙ぶらりんになった私の手は、直ぐにライール様に繋がれた。


「さあ、朝食にしよう!」

「……はい」

にこやかに笑うライール様に手を引かれた私は、今日も唇を噛み締めながら本音を飲み込んだ。


ライール様は私の心を揺さぶる罪作りな人だ……。



****


十五歳の時にハインリヒ家にやって来た私の元には、神官やこの国の五大神官と呼ばれる偉い人までもが面会を求めて訪ねて来た。


しかし、私はその人達には一度も会わなかった。

ライール様からそうされたからだ。

私をあの場所から救い出してくれたライール様のお願いを聞かないという選択肢なんて、私の中には存在しなかった。

私はそのお願いを忠実に守って、彼等との接触を避け続けた。



そんな十五歳のとある日。


神様と交信する以外の……自身の能力に気付いた。


気付いたきっかけは、たまたま迷い込んだ傷だらけの小鳥を『可哀想』とか『傷を治してあげられたら』……そう思いながら手を伸ばした時だった。

伸ばした手から出た淡い光が小鳥を包み込み、あっという間に傷を癒やしてしまったのだ。


私の側でその光景の一部始終を目撃していたライール様は、まるで自分の事の様に小鳥の回復を喜んでくれた。


気付いたのは【癒やしの力】だった。


……嬉しかった。

こんなちっぽけで何も持っていない私が、これでライール様に恩返しが出来ると……心からそう思った。



癒やしの力に気付いてからの暫くの間。二人だけの実験の日々が続いた――――――


「痛っ……!」

「ごめんよ。リリー。……君を傷付けたくなんかないけど……『癒やしの力』を知る為には必要な事なんだ。許しておくれ」

手首から血を流す私にライール様は眉間にシワを寄せた辛そうな顔をしながら、私の身体を抱き寄せた。


「ライール様のお召し物に血が付きます……!」

「良いんだ!こんなの傷付いた君に比べたら……!これが終わったら私もリリーと同じ場所を切るから。そうしたら……」

「分かりました……! ライール様の傷は私が絶対に治します!」

「嬉しいよ……。ありがとう。僕の愛しい白百合リリー

ライール様は瞳を細めながら妖艶な微笑みを浮かべた。


「リリー。愛しているよ」

囁き声と共に、唇が頬に触れる。


これがライール様が私にをする方法だ。


……私にはこの意味が分かっているのに……決して逆らう事が出来なかった――――。




そんな数多あまたにこなした実験ののちに分かった事。


一つ目……『癒やしの力』は、私自身には効かない事。

二つ目……『癒やしの力』は、人間以外のどんな種族でも治せる事。勿論、動物も含む。

三つ目……『癒やしの力』は、ほんの小さな傷から死にかけの重症までならどんな傷でも治せる事。

四つ目……『癒やしの力』を使う度に私の身体や心が黒く穢れていく事…………。


「ははは! 凄いぞ……! 君は凄い…… !リリーがいれば私は……!!」

私を抱き締めたライール様は口元を歪めながら、狂気じみた笑い声を上げた。


「ライール様……?」

「ああ、ごめん。リリーがいれば、この世の中の困っている人々を助ける事が出来ると思ったら……ね? だから、そんなに不安そうな顔をしないでおくれ」

優しそうな笑みを浮かべたライール様の唇が額に軽く触れる。


「リリーの力を私に貸しておくれ。二人でこの世界の弱者を助けよう!」

「はい」

差し出されたライール様の手に、私はまた本心を隠しながら自らの手を乗せた…………。



***


今日のは、『視力を失った伯爵様』『右手を失ってしまった騎士様』『馬に脚を潰されてしまった子爵様』『顔に傷を負った侯爵家のご令嬢』『話せなくなってしまった男爵家のご令嬢』の五人だった。


……中でも『顔に傷を負った侯爵家のご令嬢』を見ていたら、ある女性を思い出した。


彼女も私の『癒やしの力』を受けた一人であり……ライール様の婚約者である『メリル・カーナリア公爵令嬢』だ――――。


メリル公爵令嬢は、顔の右半分に醜くも酷い火傷を負っていた。

なんでも療養地で火事に見舞われ、その時に負った傷なのだそうだ。

公爵家の力を持ってしても今まで治せなかった傷を、ライール様の元にいる私がキレイに治した。

神子である私を手元に置いている事……更に娘の傷を癒やさせたのが娘に近い年の好青年だった事が、カーナリア公爵様がライール様を気に入るきっかけだった。

そのまま話が進み…………ライール様とメリル様の婚約が決まった。

婚約と言っても、ハインリヒ家にメリル様をお迎えするわけではなく、ライール様が婿入りをするのだ。

つまり、ライール様はメリル公爵令嬢と結婚をして将来は公爵様になる事が決まったのだ。


「確かに私には婚約者がいるが、一番大切で愛しているのはリリーだ!それだけは信じておくれ!」

ライール様は私を愛おしそうに抱き締めながら何度もそう言ってくれる。


しかし……私は知っている。

ライール様の理想の為に、私が良いように利用されている事を……。


ライール様の連れて来る患者は身なりの良い貴族ばかりだ。

私の力を利用して着々と繋がりを作りながら、自らの地位を築き上げている事も……私は知っている。


それでも…………。

それでも、一人で孤独だったあの場所には戻りたくなかった。

偽りの甘い言葉を吐きながら私を抱き寄せ、甘やかしてくれるライール様の元にずっといたかった。


愚かな私は――――ライール様を愛してしまったのだ。



……もう時間が無い。


『癒やしの力』使う度に私はどんどん穢れていく。

それでなくとも神子の役目は神との交信だけでなく、この世界の穢れを浄化する為の役割も兼ねているのだ。

自らを癒やせず、力を使って疲弊し……身体の中に黒い穢れを溜め込み続ける私。


朝の挨拶時に、ルーチェ様はその事を心配してくれていたのだ。

その好意を一方的に切った私は、神子としては相応しくない……。

本来、仕えるべきであるルーチェ様よりもライール様を選んだ。


……もしかしたらルーチェ様には、私の寿命が見えているのかもしれない。


だって、私には自分の限界が分かるから……。

能力に目覚めて三年。なのにその能力は、たった三年で尽きようとしている…………。


だけど……今はまだライール様の元にいたい。

もう少し夢を見せて欲しい。見続けていたい……。


最期はライール様の迷惑にならない様にキレイに消えるから。

だから……だから、それまでは側にいさせて―――――。

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