そらをたつ(6)

      [同時刻]

        [春日峰高校 中庭]


 ランセとアマネの私闘は、春日峰の在校生にも広く知れ渡っていた。

 が、ほとんどは素人であるため、小学生にしか見えないアマネに敗北するランセの姿は大半の在校生にとってわざとやっているようにしか見えなかった。


 しかし、それも回数を重ねるにつれだんだんと誤解も解けていく。


 ランセはわざと負けているのではなく、

 本気で殺しにかかっている上でアマネに負けているのだと。


「――っ!」


 ランセが放った逆袈裟がアマネの脇腹を捉えた――かに見えた。

 されど木刀はアマネの肋骨を叩き折るどころかその全身を。空を切ったかと錯覚するほどの限りなく無に近い手応えにランセは歯噛みする。

 木刀からころりとこぼれ落ち、別条なく着地するアマネ。口元には涼し気な微笑が浮かんでいる。


 相変わらずランセの剣はアマネに当たらない。

 当たったところでまったく効いてない。

 実体のない幻影を相手にしているような虚無感がランセの全身にまとわりつく。


 遠い――アマネが目の前にいるにもかかわらず、ランセにとっては彼方のように思えた。


 だが、遠いものの見えてはいる。


 静かに息を吐きながら、正眼から構えを変えるランセ。

 霞の構え。

 ランセにとっての必殺型。そこから繰り出される渾身の刺突は重心に直撃すれば大の男も吹き飛ばす。

 が、


「……飽きないな。お前も」


 呆れ気味に、アマネはつぶやいた。

 それはもう自分には通用しないと言外ににおわせていた。

 それはランセ自身も痛いほどに理解していた。


 理解した上でなお、それを捨てることは出来なかった。


 覚悟が撃発し、ランセの全身が弾丸と化す。


 放たれる致命の一刺――それを、アマネはこともなげに片手でつかみ取った。


 木刀をつかんだアマネの手を振り払おうと両腕に力を込めるランセ。

 その力の流れを、アマネは逃さなかった。


 ランセに合わせるように、くんっ――とわずかに木刀をつかんだ手を返すアマネ。

 そのわずかな動作で、ランセの体は風車のように空転した。


「~~~っ!?」


 木刀を片手で握ったまま、空いた手で辛うじて受け身を取るランセ。

 そしてランセが起き上がるより早く、アマネの足がランセの顔面――のすぐそばに叩きつけられる。


「――続けるか?」

「…………」


 文句のつけようがない一本。すでに答えが出ているアマネの問いに、ランセはただ押し黙ることしかできなかった。

 ――ランセにはそうとしか形容できない、完全に未知の体験。


 これでアマネの四戦四勝。ランセの剣は、この日もアマネに届くことはなかった。


 それを観ていた周囲の生徒は感嘆の息をもらしたり、スマートフォンでランセとアマネを撮影していたのになぜかことに首をかしげていたり――結局誰も私闘を止めないことから、もはや小さなイベントとして受け入れられていた。


「アマネちゃんすごい! 今のってもしかして合気?」


 ランセとアマネの私闘を、アマネの侍従――コマリにべったりと抱きつきながら観戦していたマユナ。ランセを投げた技に興味がわいたのか、興奮気味にアマネに駆け寄る。


「ふむ……? よく知ってるな」

「マンガで見たことある!」


 やや目を丸くするアマネに、マユナはあけすけに言い放った。


(合気……か)


 聞き覚えのある言葉に反応し、むくりと身を起こすランセ。

 ランセは合気の原理など知らない……が、すくなくとも実在する武術ということは知っている。

 ランセの打突を完全に見切り、あまつさえ無効化するアマネであるが、それは超能力といった理外の力ではなく術理――人間の技術である。

 こちらを舐めているのか、それとも試しているのか、意図は定かではないもののアマネがランセとの戦いで用いるのは地球人の技のみ。

 もっとも、地球人の技といっても達人の域となれば常人の理解などゆうに越える。アマネがランセの木刀に乗ったり、紙か柳のように打突を受け流したりするのも、一見デタラメではあるがあれらも恐らく術理ではないか――ランセはそう推測した。


 ゆえに、遠くはあるが見える。


 星人ならではの超常を持ち出されてはなすすべないが、あくまでも地球人の土俵で戦うというならやりようはある。

 アマネに負けてはいるが絶望はしない。ランセにとって大きなよりどころはそこにあった。


「……ランセ。今日はいつも以上に攻めが雑だったな」

「…………」


 ふと、冷めた言葉をランセに投げかけるアマネ。

 それは安易に霞の構えに頼ったこともふくめた指摘だった。


「――私が預けたものは重荷だったか?」

「……うるさい」


 ランセとアマネの間だけに流れる空気がわずかに重くなる。

 なんのことか解らず頭上にクエスチョンマークを浮かべてそうなマユナをよそに、ランセは端に置いていた自分の荷物を手に取った。


「ランセちゃん帰るの? お姉ちゃんもいっしょに帰る!」

「……だったら早くしろ。置いてくぞ」


 マユナを待つこともせず、すたすたと中庭を抜けて外履きに履き替えるランセ。




















 昇降口を出ると、それは日常を侵していた。




 剣道着を着ているが素足。手には竹刀。

 右半分が変色し、理性の平衡を失った面にかつての影はない。

 足元には倒れた男子生徒が一人。うずくまった男子生徒が一人。

 誰がなにをやったのか火を見るより明らかな図。


「――いいぃぃいたぁあぁ……!」


 彫谷ナオエが、ランセの姿を捕捉した。


 ごひゅ――とナオエの全身が弾けるように加速する。


「――!」


 即座に木刀袋から木刀を抜き放ち、校舎から距離を取るランセ。

 ナオエから繰り出される一の太刀を寸で躱す。


 その速度、風切り音はランセにとって覚えがある。


 まともに受けた時点で終わるほどの剛剣――実質防御不能の一太刀。


「――なにがあった!? やめろ彫谷っ!」

「あはぁあぁあっ!!」


 ランセの問いなど聞こえていないのか、それとも右耳から入って左耳から抜けているだけなのか、どちらにせよナオエは止まらない。


 ナオエになにがあったのか、

 別人のように変貌しているのはなぜか、

 どうして自分に襲いかかってくるのか、

 疑問は湧き水のようにあふれ出る。


 それでもランセの体はすでに戦っていた。意識とは別の生存本能がランセの体をナオエの脅威から遠ざけていた。


「――みんな逃げて! 早くっ!」


 その光景を目にしたマユナが大声を張り上げる。

 ランセと同じく疑問と困惑を抱きながらも、今自分に行える最善の行動を瞬時に選択/実行していた。


 型など一切無視した力任せの乱撃を間断なく放ち続けるナオエは、今や人の形をした暴風。

 対するランセはナオエを正面に捉えながら、その乱撃を高速で後退しながら回避し続ける。

 後頭部に目でも付いているのか、後ろ向きで走っているのにランセの体勢は一切崩れない。やっている事自体は単純だが並の人間が同じ真似をすれば五メートルも保たずにナオエに捕まる。それほどの速度だった。


 後退のさなか、校舎に背中を付けるランセ。

 見えていなかったわけでも、追い込まれたわけでもない。

 すかさず、ナオエがランセを串刺しにせんと振りかぶる。


 鉄杭を打ちつけるような刺突。

 がづんっっっ、と一切の手加減を感じさせない衝突音。それもランセは流れるような体捌きで躱していた。


「せ ん ぱぁあぁい……なぁんで打ち合ってくれないんですかぁ?」


 眼球そのものが変容したのか、爬虫類を思わせる毒々しい模様の赤黒い瞳がランセを凝視する。


「……なにがあった。どうしてそうなった。答えろ……!」

「しましょうよぉ……したいんですよぉ……せぇんぱぁい……!」


 成立しない会話。疎通しない意思。

 ランセにはもうナオエが人間ではない別のなにかに見えつつあった。

 認めたくはなかったが、その事実から目を背けた場合自分の命が危うくなる。


 強いからこそ冷静でいられる。

 冷静だからこそ割り切れてしまう。


 もう、話し合いで解決できる余地はとうに過ぎたのだと。


「――彫谷さんっ!」


 ナオエの背後から、その名を呼ぶ声。

 ナオエと同じく剣道着姿でランセに近い長身。後ろでひとくくりにした腰まで届く長い黒髪に、目も頬も細く整った涼やかな面。


 三葛フミカが、ナオエを追ってここまで来た。


 ナオエの一撃によって気絶したものの、意識の回復にそこまで時間はかからなかった。

 そして他の部員から話を聞いた時、ナオエの行く先が春日峰しかないとすぐに確信もした。


 だから追いかけた。打たれた頭は痛むが、胸の痛みに比べればそれは立ち止まる理由にはならない。


「っ!? 来ちゃダメ!!」


 他の生徒を校門に誘導したり、動画を撮ろうとする生徒を制止したり、とにかくランセとナオエに部外者を近づけさせないよう立ち回っていたマユナが叫ぶ。


「一体どうしたの……!? もうやめて……!」


 マユナの制止を振り切って、ナオエに近寄るフミカ。


 フミカはまだ認めたくなかった。


 ナオエが心の平衡を失ってしまったことを。




「     じゃま     」




 優しさは、届かなかった。


 標的をランセからフミカに切り替え、一気に間合いを詰めるナオエ。

 ナオエと充分な間合いを取っていた分、ランセの追撃がほんの一瞬だけ出遅れる。


 その一瞬の遅れが、フミカを狂気に晒した。


 風を薙ぎながら一足一刀の間合いに入り、フミカに向けて大きく竹刀を振りかぶるナオエ。


 そこには憎悪も怨恨もない。


 道端の石を蹴飛ばすに等しい、それ以上の感情などない単純な排除。


 ――それだけはさせまいと、ナオエとフミカの間にマユナが割って入った。


 放たれた全力の横一閃がマユナの左腕に食らいつく。


「うぐ……ぅっ……!?」


 筋肉にくがたわみ、骨が軋む。

 少女とは思えぬ重撃に体勢を崩すマユナ。

 しかし、その判断と行動の速度はフミカを守りきった。


 そして、


「よくやった……!」


 マユナの挺身ていしんが、ランセにとって反撃の狼煙となる。


 流矢のごとく風を切る疾駆。

 ランセの接近に反応し、身をひるがえしざまに竹刀を振り回すナオエ。

 その力任せの暴剣は、鍛錬の結晶たる正剣に両断された。


 竹刀は稽古用具であり、その性質と構造から一朝一夕で損壊するような代物ではない――が、それでもやはり耐久限界はある。

 ランセから見て、ナオエの竹刀はすでに大きく損耗していた。

 これまでにどんな使い方をしていたかまでは知る由もないが、すくなくともナオエが春日峰に来てから四打――いずれも加減無しの打突と仮定して、今のナオエの膂力なら竹刀も壊れる寸前だろうとランセは踏んだ。


 損耗した竹刀なら、木刀で叩き割れる。

 ランセは充分な見込みをもって、それを実行したに過ぎなかった。


 それでも、木刀で竹刀を両断するなど容易にやれる芸当ではない。


 間髪入れず燕をも捉えかねない二の太刀を放つランセ。

 それは吸い込まれるようにナオエの右手首を強打した。

 常人相手なら十中八九で尺骨を叩き折る一撃。ナオエ相手とはいえそれぐらいやらねば止められまいというランセの果断。


 だが、その手応えからランセが連想したイメージは――少女の細腕とは程遠い、ダンプカーのタイヤのような分厚いゴム。


 それはつまり――否、やはり、


 ナオエは、人間を辞めつつあるということ。


 二の太刀が有効打にもならなかったと見るや、ランセは飛び退くように間合いを開け――入れ替わるように、黒い影が跳んだ。


「――――っ」


 どぎゅっ――と、ナオエの顔面に遠慮なしの跳び蹴りを叩き込んだのはコマリ。

 一四〇センチ弱という小柄な体躯ではあるが、その体からは想像もつかないほどの重い蹴撃。

 それが直撃しても、ナオエは三、四歩ほどたたらを踏むだけだった。


「――怪人だな」

「チビスケ……!」


 悠然とランセの側に歩み寄るアマネ。ランセが認めたくなかった事実を静かに、しかしはっきりと口にする。


 変質し始めた肉体。

 破綻を来した精神。

 社会に収まるための理性と常識の檻を破り、他者の日常を侵すモノ。


 それを怪人と呼ぶならば、ナオエはその領域に足を踏み入れていた。


「これ以上は人目をはばからねばならんが……お前はどうする?」


 ――そして、怪人は処断せねばならない。

 アマネの言葉は明確にランセの覚悟を問うものだった。

 命令ではない。ゆえに拒否もできる。


 ナオエがこの後どうなるかを見ずに済ませることもできる。


「――オレも行く」


 ランセは、それを良しとしなかった。


 もう関わってしまった。

 顔も名前も知ってる相手だった。

 特別仲が良いわけではなかった。


 それでも、ナオエが求めているのが自分であるなら。


 見て見ぬ振りも、知らぬ存ぜぬも通らない――


「……解った。場所を変えるぞ」


 言って、スマートフォンを取り出すアマネ。

 正確には――それはスマートフォンに偽装しているだけの、異星超技術結晶。

 星間連盟の規約上制約や制限が課せられているものの、特定の状況下でのみ地球上において魔法や神秘の域に達した現象を発現できる。


 「――《強制転移テレノイア》」


 静かに紡がれる地球外言語。

 アマネを中心に鮮やかな紅い光円が広がり――瞬時に、その場からランセとアマネとナオエの三人が姿を消した。


 瞬間移動――三人はここではないどこかで決着をつけるのだと、マユナは悟った。


 ナオエという嵐が過ぎ去り、徐々にざわつき始める春日峰高校。


「………………」


 その中で、呆然と立ちつくすフミカ。

 認識が状況にまったく追いつかず、思考は混線を通り越して漂白しかかっていた。


「……ねぇ。あなた、ナオナオのお友達?」

「……! 彫谷さんを……知ってるんですか……?」


 左腕をさすりながら話しかけてきたマユナに、フミカは目を見開く。


「……話、聞かせてもらえる? ナオナオになにがあったのか」


 現実いまを信じられないのはマユナも同じ。

 同じだが、目を背けるわけにはいかなかった。


 もしこの事態に明確な原因があるのなら、それを突き止めない限りまた同じことが起こるのではないかと――背筋に百足むかでが這うような悪寒に耐えながら、マユナはフミカへの聴取に踏み切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る