スターマイン

スターマイン(1)


[一九××年 七月某日]

[午前二時五六分(協定世界時)]




              [月 静かの海]




 地球人類が開発した月着陸船が月面への着陸を成功させ、一人のアメリカ人宇宙飛行士が月面へと降り立った。

 その様子はテレビ中継され、世界四〇ヶ国に届けられた。

 視聴率は日本だけでも六〇パーセント超。五億人にも及ぶ地球人類がその中継に釘付けになっていた。

 誰もが、その偉業の完遂を疑わなかった。


 正確には――この直後に起こる事件を予想していた者など、当時の地球上にはほとんど存在していなかった。


 アメリカ人宇宙飛行士が月面に星条旗を立てたその瞬間、




 ――――――――――月が震えた。




 地球の震度七相当の月震。無音――しかし強烈なその震波はまたたく間に宇宙飛行士の脳裏を恐怖で染め上げる。

 月震は震動がピークに達するまでの時間と震動が治まるまでの時間の両方が長時間であるが、その震動は一時間弱続いた。

 予期せぬ震動によってテレビ中継は途絶。それまで中継を見ていた五億の地球人にも動揺の波が襲いかかったのは言うまでもない。

 次第に静かの海を中心として月面全体に亀裂が走っていく。

 屈曲はしているが一本に繋がった大きな……あまりにもおおきな亀裂。


 命まで震わす烈震の中――宇宙飛行士はその震源を目撃する。


 夜天よりも暗く深い月の亀裂から、悠々と、震源それは現れた。


 ――山と見紛うほどの巨影。月を裂く鋼鉄の孤峰。


 宇宙飛行士は、それが自然物ではなく人造物であると理解するまで数分を要した。

 それも無理はない。

 全長六〇〇〇メートル超。全高一三〇〇メートル超。幅一〇〇〇メートル超……当時、宇宙飛行士が知る巨大な人造物としてはエンタープライズ級航空母艦があったが、月の亀裂から出てきたそれの規模は文字通り桁違いだった。

 のちに宇宙飛行士は、当時のことを「言葉を失うどころか、自我と命も失いそうだった」と述懐している。




 その日、人類は初めて月に降り立った。


 それは人類史に残る偉業――であると同時に、


 人類史を左右する邂逅でもあった。




          ☆    †    ♪    ∞


[二〇××年 四月某日]

[午後四時二二分(日本時間)]




              [月 周回軌道上]




 なんの前触れもなく、月周辺の宇宙空間が歪んだ。

 歪曲範囲はおよそ半径一二〇〇キロ。

 歪んだ虚空に、次々と巨影がその像を結んでいく。


 ――宇宙戦艦。その数、ちょうど三〇〇〇。


 大小形状ともに万別ではあるが、紛れもない大艦隊。

 その艦隊の中でもひときわ巨大な、全長五〇〇〇メートル超の生体機動戦艦――〈グァラ・ダガン〉の大脳艦橋に、艦隊を統べる頭目ものがいた。

 全身に黒曜石を思わせる漆黒の硬質な外殻をまとった、全長二メートルを超える四腕四脚の体躯。その姿はまるで石の鎧で武装した蜘蛛。

 地球人とは根本的に異なる、異星が産んだ生命。


《……やァ~っと着いただか。たいぎゃ長か旅だったわさ》


 ――〈グァラ・ダガン〉艦長、ガリカノイ・ヲズ・ゼルルゼバ。

 ひどく訛った第六二七宇宙辺境言語とともに、ごぎぎと背部の外殻を軋ませながら背を伸ばす。


《で、ここらはどの辺りだがね》

《月でさ。地球唯一の衛星で、ここからなら地球はもうすぐそこばい》


〈グァラ・ダガン〉のオペレーター……大きな毛玉に一つ目が付いた小柄な星人がガリカノイに応える。


《よか。したらば――とっとど奪るかい。地球をよ》


 ぎちゃり、とガリカノイの口元に欲望がにじんだ。


 彼等は地球へ観光しに来たわけではない。


 宇宙戦艦三〇〇〇隻の戦力をもって、地球をりにきたのである。


 侵略者から見た地球とは、幼く、珍妙で――そして美味おいしい。

 地球上において現在まで確認されている生物の総種数は約一七五万種。すくなくともそれだけの様々な生態系を構築/許容できる豊かな自然環境と資源を有する惑星というのは異星人にとってかなり珍しく、貴重とされている。

 それでいて科学文明のレベルは異星人からしたら未だ幼い。宇宙に進出するのに一九〇〇年以上かかっている上に、異星人が平然と所有する宇宙戦艦などはフィクションの中でしか存在していない。

 豊かな自然がありながらそれを守る力は無い。さながら野ざらしの熟れた果実。

 侵略者はそれを拾って食べるだけ――その程度の気軽さで地球を制圧することができる。絶望的な戦力差と文明差。地球人が侵略者に抗する未来など、地球が滅ぶより先に実現できるかどうか。


 しかし、異星人が地球を発見して半世紀が経った現在でも、地球は今なお地球人の惑星である。


 なぜならば――


《……あんれ、前の方さ熱源が一つ……なまら速ぇじょ》

《――あぁ?》


 ――地球というに惚れ込んだ異星人が、地球を守護まもっているからだ。


 地球方面から月へ、白い流星が宇宙をける。

 全長およそ三〇メートル。頭一つに二腕二脚の五体、標準的な地球人を模したかのような巨人。

 汚れ一つない純白の装甲はその全てが滑らかで歪みのない曲線を描き、無機物でありながら有機的な――無駄なく鍛え込まれた人間の肉体美を連想させる。

 そんな芸術的な彫像じみた巨人が、地球から月までの三八万キロという途方もない距離を一分足らずで詰めるという、地球の科学と物理法則を鼻で笑う速度で艦隊に迫った。

 艦隊の正面、およそ五〇〇メートル地点で何事もなく急停止する白い巨人。速度がデタラメなら慣性制御もデタラメだった。


《――我が名はエン……陽村ひむらアマネ。地球愛好星間連盟第三位官である。一時停船を願う》


 間違いなく幼い――しかし大人びた冷静と理性を感じさせる少女の声。開放回線オープンチャンネルを使い流暢な第三宇宙共通言語で艦隊に呼びかける。


《……なんば言うとーん?》

《あーと……思念翻訳だど『止まれて』言うとりますな》


 少女の言葉が解らず、呑気にオペレーターに問うガリカノイ。対して、オペレーターも呑気に翻訳結果をガリカノイに伝えた。


《ハン――砲弾たまでも返すておげ》

《エイサッサ》


 礼儀も、逡巡も、容赦もなく。

 ガリカノイはオペレーターに白い巨人の撃墜を命じた。

〈グァラ・ダガン〉の艦首砲口が開き、そこから胃石弾が音速で撃ち出される。

 全長約一〇〇メートル、重量約三〇〇〇トン。地球の尺度でたとえるなら巡視船まるごと一隻を弾丸としてぶつけるという大質量運動エネルギー弾。

 原始的――ゆえに強烈無比。隕石に地球を滅ぼす可能性があるように、ただの石塊いしくれでも質量と速度があれば充分に兵器たりえる。


 だが、白い巨人にとっては質量があろうが速度があろうが、石塊は石塊にすぎなかった。


 音速で迫る胃石弾に対し、右手をかざす白い巨人。その右手から紅い光が盾のように広がる。

 胃石弾はその紅い光に触れた瞬間、跡形なくした。

 弾いたわけでも、破砕したわけでもない。焼滅――物質に対して融解から気化という過程を省略して消失という結果だけを強引に突きつける、絶対的な無限熱量による滅尽。


《……………………目標、むっちゃ健在》

《……………………んん?》


 なかば呆然としたオペレーターの報告に、首をかしげるガリカノイ。

 ガリカノイを始め、〈グァラ・ダガン〉の船員にとっても前例のない現象だった。

 直撃すればただでは済まない胃石弾が、全長約三〇メートル――大きさとしては〈グァラ・ダガン〉の一〇〇分の一にも満たない小さな巨人に対しなんの効果もないとは、あってはならないことだった。


《――簡潔かつ明瞭にして愚昧なる返答、痛み入る》


 少女の声は冷たい。

「痛み入る」などと言いながらその実、感謝の念など欠片もない。


《貴様らが交渉を前提とした理性的な侵略者でなくて良かった。第一に対話を求めるなら、こちらもそれに応じなければ蛮族と変わらんからな》


 白い巨人の周囲が紅く歪んでいく。

 静かに、しかし熱く。白い焔が灼熱する。


《……だが暴力でしか物を語れないというならば、話は早い》


 右の人差し指を艦隊に向ける白い巨人。

 その指先から、一条の紅い光線が放たれた。

 釣り糸のようなか細い光線。

 その光線は文字通り光速で、艦隊の内一隻……全長三〇〇〇メートル級の戦艦の装甲を紙のように貫き、戦艦の心臓とも呼べる動力炉をも正確に撃ち抜き――爆発。

 たった一撃で呆気なく〈グァラ・ダガン〉の僚艦が轟沈し、それが開戦の狼煙となった。


《~~~~撃てィ! 全艦であぬひゃーを撃ち墜とすんぞ!!》


 ガリカノイの号令一下、全艦が白い巨人へと攻撃を開始する。

 実体弾、非実体弾、熱線砲、粒子砲――あらゆる砲撃が雨霰とばかりに巨人を襲う。

 だが、そのどれもが巨人を守る紅い光の前では無力だった。


《――さあ鏖殺だ。根絶だ。殲滅だ。誰一人として逃さん。鼻歌交じりに埃を掃くがごとく滅ぼしてやろう》


 白い巨人の出力が臨界に達する。

 背部のスラスター、のような推進機に熱光が収束し膨れ上がる。


《今の私は機嫌が悪い。貴様らさえ地球圏に来なければ――今頃私は臣下とともに茶店で菓子を楽しんでいたのだからな……!》


 瞬間、白い巨人は流星となった。

 直撃線上の砲撃をことごとく焼滅させながら艦隊に迫るその様は、まさに絶望そのものだった。

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