ガルテシモ!

そーや

つるぎとくれない

つるぎとくれない(1)


 きざみランセの剣才は本物である。


 警察官にして剣道の術科特別訓練員である父を持ち、自らの意思をもって剣を握り父に指導を請うたのが六歳の頃。


 そこから先は剣鬼の道行。捧げられるものはほぼ全て剣に捧げてきた。


 時には肉を斬られて骨も断たれるほどの父との修練。

 全国の高名な道場を巡っての仕合に次ぐ仕合。

 本物の達人との立ち合い。


 年端もいかぬ少女が往くには過酷/苛烈/峻厳しゅんげんたる刃の道を、ランセは突き進んだ。


 負傷と流血は茶飯事。あまつさえ体の一部を失うこともあった。


 それでもランセは剣を手放さない。


 ――すべては、己の剣が最強であることを世に証明し続けるため。


 六年の修業を経て、一二歳になったランセはついにその名を剣界に刻むこととなる。

 全国中学校剣道大会、個人戦三連覇――その上、三大会通して全試合時間三分以内、すべての相手に一本も許さないという記録付きである。


 その別次元の強さは「天才」と称賛されるどころか「化物」と畏怖された。


 このまま剣の道を往くならば、いずれ国内最高峰とも呼ばれる全国警察剣道選手権大会での優勝も夢ではない――ランセの双肩には大きな期待が懸けられた。


 日本剣界における新星。昇り龍。

 ゆくゆくは至宝になりえる大器。

 それが刻ランセという少女である。


 そのランセが、今まさに、この瞬間。


 追い詰められていた。


 自分よりもさらに幼く、

 剣どころかなにも手に持たない、

 赤い髪と、紅い眼を持つ得体の知れない少女を前に、


 敗北の淵まで、追い詰められていた。


          ☆    †    ♪    ∞


[二〇××年 四月某日]

       [午前八時五一分]

          [公立春日峰かすがみね高校 グラウンド]


 ランセ自身数えてはいなかったが、都合二三回目の打突もむなしく空を切った。

 加減はしていない。木刀とはいえ、直撃すれば死にかねない致命の打突である。

 それが一向に当たらない。相手がランセを凌駕する速度を持っているわけではなく――どの打突も寸に満たない、木刀に口づけでもできそうな極めて近い距離で躱されていた。


 その事実が意味するところはただ一つ。


 ランセも認めたくなかったが、認めざるをえなかった。


 自分の剣が完全に見切られていることに。

 それもよりによって、一見して小学生くらいの少女に。


「――――っ」


 静かに息を吐きながら、ランセは木刀を正眼に構え直した。

 上下ともに学校指定のジャージ姿。

 ただ単に短く切っただけの無造作な黒髪に、刀を思わせる鋭い目つき。

 しかしその目は左目だけ。右目には白い包帯が眼帯代わりに巻かれていた。

 人目を引く……を通り越して人目を退けそうな、近寄りがたい冷然とした風貌。十代の少女にしては過分に鋭利な気配をまとっていた。


「――うむ。悪くない」


 対するは、赤い少女。

 炎の赤と絹の柔らかさをあわせ持った長髪。紅玉のような瞳。

 幼くはあるが、無垢/無邪気/無知――そのどれもが当てはまるとは思えない、妙に深みのある美しい顔立ち。

 春日峰高校の制服を着てるものの、一四〇センチにも満たない身長ではやはり高校生ではなく小学生にしか見えない。

 人目を引く……を通り越して人目を縛り付けそうな、常識はずれの神秘的な風貌。見る人次第ではもはや人間であるかも疑わしいと思わせるほどだった。


 対照的、どころか異質な対峙。


 はたから見れば小学生相手に高校生が木刀で殴りかかっているというあらゆる点で危険極まりない構図だが、当のランセは小学生を相手にしているという感覚はまったくなかった。

 少女の皮を被った、ヒトの形をした、得体も底も知れないなにか。

 ランセには赤い少女がそう見えていた。そも、


 それでも退かなかったのは何故か。


 何故か。何故か。何故か。


「ぐ……っ!」


 不意に生じた己への疑問を噛み潰すがごとく、ぎり、と歯噛みしながらランセは木刀を構えた。


 体を半身に、木刀は水平に自分の口元まで持ち上げる――『霞』と呼ばれる構え。


 剣道においてこの構えの利点は、あまり多くはない。

 相手にとって上段と小手がやや打ちにくいことから多少防御に優れているというくらいで、その反面なめらかに打突ができるとは言いがたい。

 構えそのものの是非はさておき――すくなくとも、剣道の公式戦などではそうそう見ることのない構えである。


 ならば、ランセがこの構えを使う意味とは。


 ――自己暗示による一時的な身体出力強化。


 ランセの瞳孔が収縮する。

 視界が絞り込まれ、目の前の赤い少女だけを捉える。


 意識は集中。体は脱力。覚悟は一瞬。


 次の瞬間、ランセの体が弾け跳んだ。

 風を裂き、自身の像すら残しかねない疾速の踏み込み。

 そこから繰り出すのは水月を狙った片手突き。殺意の一刺。


 赤い少女が微笑む。


 徹甲弾じみた刺突が貫いたのは赤い少女――ではなく虚空。

 赤い少女は、突き出された木刀の上に立っていた。


「――――っ!?」


 己の目と木刀を持つ手を疑うランセ。

 少女が木刀の上に飛び乗った軽業は元より、木刀から少女の体重がほとんど感じられないことに驚愕した。


 命ごとぶつけるようなランセの渾身は、文字通り踏みにじられたのだ。


 驚愕は時間にしてコンマ以下。ランセが木刀を跳ね上げる、よりも疾く。

 赤い少女の右足払い――白く、細い死神の鎌がランセの顎を薙いだ。

 顎を直接打つのではなく顎先をわずかにかすめるなんとも繊細な蹴り。

 外傷を与えるより、脳の震盪しんとうによって意識を奪うには最適に近い解。その一蹴にてランセの意識は途絶しかけた。


 がくん、とランセの膝が縦に崩れ落ち、ほぼ同時にたとん、と軽やかに着地する赤い少女。


 もはやこの時点で勝敗は決していたが、赤い少女はダメ押しとばかりに左の掌底をランセの顎先にかすめさせた。


 逆方向からのさらなる脳震。ランセの視界は反転し――完全に暗転した。


 自分も相手もほぼ無傷で、相手だけを倒す。一片の無駄もないあまりに美しい勝ち方。

 意識を刈り取られどさりと仰向けに倒れたランセに、赤い少女は馬乗りになった。


「決着だ。約束通り――私の臣下ものになってもらうぞ」


 天使か、それとも悪魔か。

 優しくも妖しい笑みを浮かべながら、赤い少女はランセに服従の首輪をかけた。

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