DAWN~天涯之夜明~

若生竜夜

一章 ◆邂逅

緋色の帯の少年 1

 木々が落とす薄闇の下、あめ湯のような暗いかわを小舟が音も無くすべってゆく。

 さきに座り進みゆく先を見ているのは、まだ若い、少女と呼んでいい娘だ。濃いあおだまを散らしたあかがね色の髪が、気まぐれに降るわずかな光に浅くきらめいている。かいをあやつっているのは、背の高い男だ。男は人目をいとうように、頭からすっぽりと黒いきぬをかぶって、身のほとんどを隠している。会話は無い。時たま水の下に隠れた岩や木の枝をけるべく、娘がさきを向ける方向をししめすが、それすらも言葉をともなわないしぐさだけだ。

 と、突然、あかがねの髪の娘が、アとちいさく声をあげた。

「どうした、ロゼニア。魔でもいたか?」

「ちがう。イビアス、あれを見て」

 イビアスと呼ばれた男は、くろぎぬをわずかにゆらし、娘の指さすほうへ顔を向ける。

 太い丸太のような影が水面でゆれていた。

 を思わせる白いころもが張りつくようにまとわりつく胴、力なく投げ出された手足、のようにゆれるにびいろの髪――小舟が近づくにつれて、丸太は徐々に正体をあらわにしてゆく。

 浮かんでいるのは少年だった。川底に沈んだ倒木のものだろう、つき出した木の枝にいろのほそい腰帯がからみつき、水流にゆらめく体をかろうじてつなぎとめている。水を飲んだのか、にびいろの髪の下の顔はろうのように青白く、固くむすばれた唇は、の悪い紫色だ。

 トン、と舟底が倒木にかかった。浅瀬にたまる木の葉のように船尾が弧を描いて、かってに舟が横づけになる。

「ロゼニア、そんなものにさわるな」

 船べりより手を伸ばし少年の上着をつかもうとしたあかがねの髪の娘を、イビアスは制した。

「死者のけがれに触れるぞ」

 娘――ロゼニアは動きを止めてふり返った。

「だいじょうぶ、これはまだ死んでない」

むくろではないのか?」

「ない。たすける」

 あかがねの髪の娘がふたたび手を伸ばす。

 かいを置いたイビアスは音も無くかたわらに寄り、彼女の腕をつかんだ。

「なに?」と、娘がいぶかしげに男を見上げる。

「やはりやめておけ。びとでなくとも、川に浮くからにはそれなりのわけがあるはずだ。どのみち良くないものだろう」

 とたん、たじろぐほどの鋭さで、ロゼニアがイビアスをにらんだ。

「よくないのはイビアスのほう。ニンゲンのくせに、まだ生きてるモノを見すてていくのか」

 小舟の上に張りつめた空気が流れる。

 すうそくののち、イビアスはちいさく舌打ちし、彼女に手を貸した。


 水を吸ったころもは重く、二人がかりであっても少年を引き上げるのには苦労した。

 ひとまず水をかせ、船底に横たえて、はだけた胸や手足を乾いた布でこすってやる。うっすらとほおに赤みがもどってきたところでいく度か呼びかけてやると、少年がかすかにうめいてまぶたをあげた。

 瞬間、のぞき込んでいたイビアスたちは息をんだ。

 瞳の中に、夜明けの嵐の海があった。うすずみを流したような空と海のあわいからあけの黄金の矢が一条走り、荒ぶるとうをあざやかな色に染めあげ、しずめてゆく。さながら天よりりきて地を作ったというあしづえの神話を思わせる光景だった。

 少年が、はた、とまばたきをした。はた、はた、と。そうして茫洋としていた視線がのぞき込む二人に定まると、ねるように起き上った。

 まぼろしがやぶれる。小舟が大きくゆれ、少年にあやうく頭をぶつけられそうになったロゼニアが、短い悲鳴をあげてのけぞった。

「なんだおまえたちはっ!」

 ぎたてのやいばのような眼差しで、少年が彼らをにらみつける。

「ずいぶんなごあいさつだな、命の恩人に向かって」

 イビアスはフンと鼻を鳴らした。

「安心しろ、取って食いはせん。怪しい者でないとまでは言わないが、死にかけている人間を拾って助けてやるくらいの親切心は持っている」

 少年のまなじりが、いっそうつり上がる。

「信用できるもんかッ!」

「たしかに……」

 ロゼニアがちいさくつぶやく。あのもの言いで信用するのは、よほどのバカかおひとしくらいなものだと。

「別に信用しろとは言わん。だが、もう一度水の中にもどる気がないなら、おとなしく座れ。おまえが溺れるのは自由だが、舟ごとひっくり返されておれたちまで巻き添えを食うのはごめんだ」

「っ……」

 なおも言いつのろうとする少年をさえぎり、イビアスは、短く静かに命じた。

「座れ」

 うむを言わせぬ強さだった。

 少年はふたいきほどの間まばたきもせず彼をにらんでいたが、やがて、ふいと目をそらすと、舟底にどっかとあぐらをかいた。小舟がふたたびゆれ、ロゼニアがまたちいさく悲鳴をあげる。

 イビアスは、口もとを満足の笑みにゆがめて、自分とあかがね色の娘をそれぞれししめした。

「俺の名は、イビアス。こちらはロゼニアという。おまえは?」

 ついと少年に指を向ける。少年はふてくされたように短く答えた。

「アズナ」

「アズナ?」

 かしげた首に合わせてくろぎぬもぞろりと動いた。アズナ――それはおおきみにつらなる男子たちの幼名に使われる言葉だ。単独では名としてつけられず、たとえばケルスおうこく連合のおおきみたち、フェミア島王イズ・フェミアの幼名であるフェミア王系男児アズナ・フェミアクラフタ島王イズ・クラフタの幼名クラフタ王系男児アズナ・クラフタのように、尊称として使われる。つまり、この少年のような名づけられ方は、まずありえないのだ。

「変わった名だな」

 イビアスはごく一般的な感想をのべたに過ぎなかったが、少年は気に入らなかったようだ。

「うるさい! オレの名だ、あんたには関係ない!」

 たちまち噛みついてきた。

 アズナのほおはうっすらとあかく染まっている。名を気にしているのはあきらかだった。気づいたロゼニアがクスリと笑いをもらすと、少年は今度は彼女をにらんだが、穏やかに返された笑みにすぐにどくを抜かれたようである。

「……で」と、アズナが口を開いた。

「あんたたちはオレをどうするつもりだ?」

「どうするつもりとは?」

「どこかに売り飛ばすつもりなのか?」

 どうしてここまで、と思うほどのひねくれぶりだ。

「そんなことしない」

 ロゼニアが即座に否定した。

「ワタシたちは、おぼれてるモノをほうっておけなかっただけ。売りとばすためにたすけたわけじゃない」

「売れる先があるとも思えんがな」

 つぶやいたイビアスを、娘のブーツがった。

「おねがい、しんじて」

 あさぎ色の大きな瞳が、少年を見つめる。

 先に目をそらしたのは、アズナのほうだった。

「……わかった。あんたのことは信用する」

 先からの言動のせいだろう、イビアスのほうはやはり信用できないらしい。だが贅沢を言っていてはきりがないとでも思ったのか、ロゼニアは自分だけでも信用してもらえたことで良しとしたようだ。

「ありがとう」

 ニッコリと笑い、「アズナはどこかへいくとちゅうなの?」と続けた。

「ワタシたちは、ケルスタニアへむかうとちゅうなの」

皇都ケルスタニアへ? へえ……」

 アズナのまとう空気が変わった。

「奇遇だな。オレもこうへ行くところなんだ」

「そうなの?」

「ああ。こうにある知り合いの家を訪ねる途中だったんだけどさ、川のそばで賊に襲われて、足すべらせてドボン」

「たいへんだったんだね」

「うん、まあ……そうでもないけど」

 しみじみと相づちを打たれ、少年が居心地悪げに口ごもる。

 イビアスは、黙って川岸へ目をやった。

 アズナの話はあきらかに作り話だ。こうケルスタニアに知人がいるというのは本当かもしれないが、なにしろ衣装からして旅をする人間のものではない。マントや身を守るための短刀は川に流されたということにしてもいいが、彼の履いている靴はとう製のサンダルなのだ。手入れされたむらの中を歩きまわるならともかく、だれがこうまでの長旅にそんなものを履くというのか。

 見えすいたうそをつくほうもつくほうだが、それに乗ってやる自分たちも大概だ、とイビアスは声に出さず自嘲した。


 いつのまにか流れにもどっていた小舟は、木々のトンネルを抜け、岸から離れた川の中ほどをくだっていた。両岸は変わらず木々にうもれているが、それでも人里が近いのか、いしげる葉枝のすきまから道らしきものがチラチラと見える。

 やがて木々のあいだのまぼろしのような道は川へと寄り添うようになり、ついには浅瀬にもうけられたさんばしにつながった。

 イビアスはかいをしまい、舟底に横たえていたさおを手に立ち上がると、川底を突いてさんばしに小舟を着ける。

「野宿だな」

 岸へあがるやいなや、空を見上げて彼はつぶやいた。夕闇がすでにりはじめている。予定では日没までに次のむらに着くはずだったのだが、思わぬひろいものに時間を取られてもくろみが外れてしまった。

 無理に進めばむらにはたどり着けるだろうが、到着するころにはすでに門が閉まっているだろう。このあたりの集落は、森の獣やとう、魔の襲撃から身を守るために周囲にからぼりと頑強な柵壁をめぐらせており、その門は日没とともに閉じられたが最後、よくあさ日が昇るまでの間はなんびと相手であろうと開かれないのだ。

 思案するまでもなく、森へすこし分け入ったちいさな空き地を今日の夜営地と定め、イビアスたちはその準備に入ったのだった。


     *


 夜の森というものは、静かさとは無縁の世界だ。たぶん野ねずみだろう、小動物の走る音。虫の。夜行性の獣の吠え声。時おりそれらにまざるように、えいが泣くような怪しげないきものの声が聞こえる。魔の鳴く声だろうか? だとすれば、今ごろ森のどこかで血なまぐさい死闘がくり広げられているに違いない。やつらは人であろうと獣であろうと見境なく襲うものなのだから――同族ですらも。

 しかし、張りめぐらせた簡易障壁に守られるこの空地は今のところ平和だ。イビアスは耳をかたむけていたとよめきから焚火へ意識をもどし、手の中の乾いた小枝を炎にくべた。

 体が乾き温まるやいなや眠りこんでしまったアズナは、今はやわらかい草をあつめた地面でやすらかな寝息を立てている。周りのあらゆるものを敵と見るような警戒心も、溺死しかけた体の訴える疲労には勝てなかったのだろう。

「イビアス、なにをかんがえてる?」

 ロゼニアが、少年に自分のマントをかけてやりながら、じっと焚火を見つめている男に声をかけた。あかあかと燃えさかる炎が、ゆれ踊る影をあたりに投げかけている。イビアスは火に体を向けたまま、呼びかけに首だけをめぐらせ、「なにも」とこたえた。

「あまりにかまうなよ」

「なぜ?」

「やっかいごとに巻き込まれる」

 ロゼニアがちいさく首をかしげる。すべるような足取りで焚火のふちをめぐり、イビアスのそばにやってきた。

「どういうことだ? アズナになにかあるのか?」

 イビアスはしばし口を閉じる。沈黙を肯定と受け取ったのだろう、あかがねの髪の娘はくろぎぬの男の目をのぞき込んだ。

「それでも、ヨワイモノはまもってやる――ニンゲンはそうだと思っていたが?」

「相手の種類によるな。悪い奴の中にも『弱い者』はいる」

「アズナはワルイモノなのか?」

「さあな。おれにはわからん」

 イビアスはロゼニアの手を引いて、かたわらに座らせた。

「だが、うそつきではあるな。あれのしていた帯を見ただろう?」

「うん」

「何色だった?」

 川べりを離れるさいに捨てた腰帯の色を尋ねる。

「……あかいいろ」

「そうだ、だ」

 くろぎぬの男はうなずき、あかがね色の頭をなでた。ロゼニアの瞳と同じあおの髪飾りが、シャラとゆれる。

いろの帯は、もつのあかしだ。あやまって川に落ちたんじゃない。アズナはにえだ」

 うなずくように、焚火がちいさくはぜた。

「おそらくは、えきびょうか魔のたぐいだろうな。わざわうものをまつることでしずめる――禁じられてはいても、こうの目のとどきにくい辺縁の村などではいまだによくある話だ」

「ふうん。じゃあ、アズナは運がよかったわけだ、たすかったんだから。でもそれで? やっかいごとっていうのは? そのニエとやらにかんけいがあるのか?」

「大いにな」

 焚火がはぜる。炎のゆらめきに、落ちた影もゆらめく。

にえは死ななきゃ意味がない」

 にえが死んでいないということは、まつわざわいのもとにもつがとどいていないということだ。にえを求めるような荒ぶるものがなにもなく耳をかたむけるはずもないから、当然、いくら祈ろうとも災禍はおさまらない。だからにえの逃亡は重大事として追手がかかるのだ、とイビアスは人の世にうとい娘のために噛み砕いてやる。

 アズナが生きていると知れれば、新たなにえが捧げられる一方、かならず追手も差し向けられるだろう。らえられれば最期、アズナにふり下ろされる死の裁きに、いっしょにいる人間がまきぞえをくわない保証は無いのだ。

「でも、ぜったいにみつかるとは限らない」

 ロゼニアは眉間にしわを寄せた。

「ふくはきがえられるし、かおはめんかケショウをしてしまえばわからない。うまくすれば、ケルスタニアまでだれにも気づかれずにいけるかもしれない。ケルスタニアにはいってしまえば、あれだけおおきな都だから、まずみつかることはないだろうし」

「たまたまひろっただけの子どもに命をかけろと? なぜおれがそこまでしてやらなければならない」

 イビアスはあくまで冷淡な言葉をいてみせる。

「そういうのをハクジョウという」

 ロゼニアがなじった。

「ひろったもののめんどうをサイゴまでちゃんとみないのは、よくない。イビアス! ッ……!?」

 いらだたしげに叫んだ彼女の口を、突然イビアスが手でふさいだ。

「静かに」

 ささやく彼に、ロゼニアは「なに?」と視線だけで尋ねる。

 それからようやく周囲の異変に気づいたらしく、表情を引きしめた。

 うるさかった虫のがパタリとやんでいる。みょうな静けさの中、焚火だけがあかるく燃えて、盛んにはぜる音をひびかせている。

 パシ、となにかの折れる音がした。

 パシ、と。

 落ちている枯れ枝を、だれかがあやまって踏みつけたような音だ。

 巨大ななにかが近づいてくるけはい。たいにこすれるものだろうか、葉枝のざわめく音がすこしずつ大きくなりながら、こちらへと向かってくる。

 フッ。

 フッ。

 時おりまじる荒い息づかい。大型の獣か、それともよりの悪い別のものか。木々の奥、深い夜の底から近づいてくるなにかがいる。

「ロゼニア、ぼうやを起こせ」

 イビアスは娘の耳に早口でささやいた。

「静かにな」

「わかった」

 ロゼニアがちいさくこたえ、するりと彼のもとからはなれる。

 焚火に照らされる男は、闇の奥にあるけはいを探りながら口角をあげた。冷えた血をわき立たせる闘争が、やって来ようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る