消却探偵

妬兎

第1章 花の館大捜査線

第1話 探偵と助手と最初の依頼

「先生、先生!!起きてください先生!!」


 その声を聞いてゆっくりと目を開ける。腰掛けていた座椅子をギシッと鳴らしつつ壁にかかった時計を見ると午後1時。事務所のブラインドを通して室内に入ってくる陽光が柔らかかった。


「どうした助手君。台所に黒光りするアイツでも出たかい?それなら食器用洗剤を振りましてひたすら祈るんだ。そのうち死ぬ」


「先生寝ぼけてないで起きてください、依頼人ですよ」


 助手君はわざとらしく頬を膨らませて不満げにそう言った。なんだその顔腹立つな。

 目をこすりながら事務所の玄関を見れば、確かに幸の薄そうな女性が不安そうに立っていた。

 さぁどうぞ、と言わんばかりに手を広げ胸を張る助手君を尻目に、ボクは女性を中へと促す。


「さぁ、どうぞお入りください。ようこそ朝覚探偵事務所、通称消却探偵社へ」


 × × ×


「人の記憶を消してほしいんです!」

「き、記憶を?」


 事務所の応接間に置かれた冷たいソファに向かい合って座った依頼人幸薄子、もとい注日桜そそぎび さくら氏が深刻な面持ちでそう言った。白いブラウスにフレアスカートを見に纏い、どこかふんわりとした雰囲気とは裏腹にかなり悩んでいるらしい。膝に置かれた両手は固く握りしめられていた。


「記憶を消すって、あなたのではなくほかの人の、ってことですよね」


 奥からコーヒーカップを運んできた助手君が口を挟む。テーブルの上の書物をどかして隙間を作り、カップを置いた。


「はい、実は私とあるお宅で家政婦をさせて頂いているのですが、そこの奥様の記憶を消して頂きたいんです」

「はぁ、奥様の。ってことは何かあったんでしょうけど、流石に記憶とまでは……。ボクら魔法使いではないんで……」

「無理を言っていることはわかってます。探偵さんにだって、記憶が消せないことも……。ですが、このままだと私、捕まってしまいます!!ですからどうかこれで……」


 すると注日氏はおもむろにハンドバッグに手を入れ、文字通り札束を取り出した。

 それは茶色いおっさんのブロマイド、日本国内で言うところの日本銀行券である。はっ?えっ?どういうこと?あれでビンタとかされんの?

 ボクたちが絶句している所に注日氏がもう一度頭を下げる。

 くっ……。負けてたまるか……。こんな意味わかんない依頼受ける価値なんて……価値なんて……………。


 × × ×


 負けた。

 眼前にそびえる大金にボクと助手君は屈した。

 注日氏はとにかく急ぎの依頼だということで、渋々ながらボクたち3人はレンタカーに乗り、くだんの邸宅まで赴くことにしたのである。

 助手君の運転する自動車は小さく駆動音を響かせ住宅街を走る。


「ところで注日さん、改めて依頼内容を詳しくお尋ねしたいのですが」

「あっ、はい、実はですね……」

 注日氏の語った話をだいたいまとめるとこうだ。

 彼女は資産家、花守家の邸宅で住み込みで働く家政婦であり、つい3ヶ月前にこの職に就いたばかりだそうだ。特に不自由なく仕事をしていた注日氏だったが、先日とある事件が起こった。花守家当主、花守霞はなもり かすみ氏の持つ宝石、『白百合の涙』が突如として消えたのだ。

 毎日それを磨くことを日課にしていた霞氏は憤慨し、最後に宝石を金庫にしまったとされる注日氏にこう言った。


「なんとしてでも宝石を探してきなさい。見つからなければあなたを犯人として警察につき出すまでです!」


 館をひっくり返す勢いで探しても見つからず、困り果てた彼女は館を飛び出し、どうしようもなく街を放浪していたところを我が消却探偵社の看板を見つけ、藁にもすがる思いで立ち寄ったという訳だ。


「奥様によると、今は亡き旦那様に頂いた大切な品のようで……。最近このあたりを荒らし回っているヤマネコだかヤマアラシだかって盗賊もいるし私、もう……」


 一通り語り終えた彼女は涙ぐんで言った。むぅ、最悪依頼すっぽかして帰るつもりだったけど、ここまで言われるとそうもできない気がしてきたぞぅ。


「先生、いいんですか?こんな依頼、正直本当の僕たちの業務内容とはかけ離れすぎてませんか?」


 不安に思ったのは彼も同じらしく、怪訝な顔をして囁いてくる。


「うーん、そうなんだけどさ。ボクたちの預金残高が4桁を切りそうなのも事実なんだよ?つまり……」


 先を言い淀みながらちらりと後部座席を見ると、注日氏はわざとらしく涙を拭いていた。ハンカチではなく、1万円札で。ちくしょう、何年前のボケだそれ。


「あっ!わかりました先生!つまりはこのふんわりポンコツ家政婦からできるだけふんだくればいいんですね!」

「しーっ!助手君、しーっ!そういうこと言うと出るもんも出なくなるだろう!?そうだけども、正解だけども!」

「では、やっぱり私の依頼を受けてくださるんですね!探偵さん!」

「あーっ!もう!ハイ!受けます!記憶は消せないけど、あなたの肩書きからその容疑者という3文字を消して差し上げましょう!」


 朝覚あさざめななめ、本日2度目の敗北の瞬間であった。

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