第110話 暗躍
「奇遇ですね」
「そうですね。お買い物ですか?」
「ええ」
他愛ない会話のやりとり。
印象に強く残っているとはいえ、以前会った時もほんの数回言葉を交わしたくらい。知り合いと呼べるほどの付き合いでもないから当然と言えば当然か。
本来ならここらで「じゃあ」と言って別れるところだが、
「あなたは冒険者なんですか?」
「い、いえ、違います」
「では、商人?」
「そうですね。しいて言えば商人でしょうか」
「行商人という感じでもなさそうですし、どこかにお店が?」
「ええ。と言っても、フォーブの街から少し離れた位置にあるんですけど」
この女性――妙に絡んでくる。
優志としても、美人とこうして会話ができること自体は喜ばしいのだが、開店の時間もあるのでそろそろお暇したいところ。
すると、
「あ、ごめんなさい。お仕事中でしたよね」
女性はハッとなって優志へと謝罪する。
「い、いや、まだ開店までは時間がありますから大丈夫ですよ」
「そうでしたか。ならよかったです。――あの」
遠慮気味に手を挙げた女性は、
「あなたの名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
そうたずねた。
名前くらいなら、という軽い気持ちで自己紹介をした。
「優志です。宮原優志。街外れにある回復屋の店主をしています」
「回復屋……」
一瞬、女性の顔が険しくなったように見えた。
それまでの柔和な笑顔が消え去り、押し殺していた迫力がにじみ出たような――端的に言えば、彼女の「裏の顔」が出たといったところか。
しかし、それは一瞬のこと。
「あっ! 最近話題の回復屋さんですね!」
ポンと手を叩く女性は先ほどと変わらない笑顔に戻っていた。
優志は気のせいだったか、と自己完結。
女性の言葉にうなずきながら会話を続ける。
「そうです。もしよろしければうちにいらしてください。どんな疲れも癒してみせますよ」
「頼もしいですね。では、近いうちにお伺いしますね♪」
普通なら社交辞令に聞こえるその言葉も、なぜかその女性が口にすると嘘偽りがないと思えてしまう。それほど、真っ直ぐな瞳だった。
「あ、そうだ」
「? 何かありましたか?」
「いえ、まだ私の自己紹介が終わっていなかったな、と」
たしかに、優志はまだ女性から名前を聞いていなかった。
「私の名前はグレイスと言います」
「グレイスさんですね」
「はい♪」
こうして、自己紹介を終えた二人はその後も軽く会話をして別れた。
「グレイスさん、か」
美人と知り合えたことで、優志のテンションは上昇。
だが、その時、
「あ」
優志はあることを思い出す。
以前、店に来た客が言っていた情報。
『御三家の一角であるオルドレッド家の関係者がフォーブの街にいる』
それを今頃になって思い出した。
優志はグレイスがその関係者ではないかと睨んでいたが、それを確認することなく別れてしまった。
「オルドレッド家の件は気になるが……」
オルドレッド家とは特に目立ったトラブルもない。
むしろ、下手に絡んでいって余計な厄介事を抱え込むことになるかもしれない。
それよりも今は、
「こっちを優先させないとな」
試作の浴衣を抱えて店に戻るその足取りは軽快だった。
◇◇◇
「ミヤハラ・ユージ、か……」
薄暗い路地裏。
普段は喧騒に包まれたこの王都も、一歩裏へと入り込めばそこは静寂に支配された暗がりの世界。
そこに、グレイスはいた。
優志に見せていたような笑顔はなく、この路地裏に溶け込むような影のある表情で先ほどの再会を振り返っていた。
そこへ、
「へへっ、こんなとこにいい女がいるじゃねぇか」
「姉ちゃん、俺たちと遊ぼうぜ」
いかにもチンピラ風の若い男がグレイスに迫る。
「邪魔よ。失せなさい」
「そうつれないこと言うなよ」
男の一人がグレイスの肩を掴もうと手を伸ばした瞬間――男の体がクルっと一回転して頭から地面へと叩きつけられる。
「なっ!」
間近で見ていたもう一人の男は突然の出来事に頭が働かずその場に立ち尽くす。
しばらく経って、
「て、てめぇ!」
仲間がやられたことに気づいて襲いかかろうとするが、
「判断力も瞬発力も……何もかも遅いですね」
男の拳をかわし、胸ぐらを掴むとグイッと自分の方へと引き寄せる。そして、男の顎に渾身の膝蹴りを打ち込んだ。
「ぐはっ……」
強烈な一撃を食らった男は気絶。
口の端から泡を吹いてその場に倒れ込んだ。
やれやれ、とグレイスが服についた土埃を手で払っていると、
「相変わらずの手並みだな。見ていて惚れ惚れするぜ」
別の男が近づいて来た。
が、どうやらこの男はグレイスと顔見知りのようだ。
グレイスは大きく息を吐き出してから男を睨む。
「見ていたのなら助けに来なさいよ」
「行く必要あったか? おまえ一人で十分だったろう?」
ダズに匹敵する屈強な肉体を誇る大男は「だっはっはっ!」と大笑いしながら言い放つ。だが、すぐに真面目な顔つきに変わって、
「それで、首尾の方は?」
「とりあえず、例の回復屋とは接触できたけど……本当にあの男で間違いないのかしら?」
「と、いうと?」
「何度か話したけど、私が想像していたよりもずっと優男だったのよ。報告にあったような武勇伝を生み出した男とは到底思えないわ」
「ヤツは誤って召喚されたとはいえ異世界人だ。そう簡単に結論づけるわけにはいかん。それより、オルドレッド家の連中の動きは?」
「たぶん、私と回復屋とのやりとりを遠巻きから何人か目撃していたでしょうね。あの対応ぶりからして、恐らく彼らはまだ回復屋と接触していない」
「オルドレッド家の当主は慎重派だからな」
男はグレイスの細い肩をポンと叩き、
「回復屋をオルドレッド家に取り込まれるわけにはいかん。それに、とうとうイングレール家も興味を示し出したという情報も入った」
「イングレール家が? 元老院が揃いも揃って一人の男にこだわるなんて前代未聞ね」
「それほどまでにあの男のスキルは価値があるということだ。だが、誰が来ようと関係ない。あの男は必ず――我らエルズベリー家に引き入れる」
「ええ」
陽光が遮られた路地裏で、男とグレイスは改めて自分たちの目的を確認した。
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