第21話 異世界の言葉

 マンションの中での軟禁生活は快適だった。通勤時間がないと歩かないということだけが問題。意識的に歩数を増やし、階段の昇り降りをするしかない。


 竹矢は外出続き、紗季香も買った物を置いていくだけ。ガブリエルと二人きりの食事が多い。


 夕食を片付けて階下の部屋へ降りると、完全に二人の時間。ソファに並んで座って、巨大なモニタで音楽番組を流す。このマンションでは、海外のテレビ番組も見放題。二十四時間ずっとクラッシック音楽だけが流れるチャンネルが二人のお気に入り。


 時々、映画を見たりもして、時代劇とスパイアクションがガブリエルの好みだとわかった。忍者や侍が刀で斬り合ったり、スパイがいろんな道具を使うシーンを目を輝かせて見ているのが可愛い。


「そういえば、部屋にヴァイオリンって置いてないの?」

 殺風景なガブリエルの部屋の家具は、ベッドとカウチ、本棚とクローゼットだけ。ヴァイオリンの影も形もない。


「置いていないな」

「楽器って、毎日練習しないと腕が鈍るんじゃないの?」

「なまる?」

「えーっと、下手になる、かな」


「そうだな。昔に比べれば腕は落ちているかもしれない。……昔も時間が空いた時に弾く程度で、数ヵ月楽器に触れないこともあった。子供の頃から『宮廷楽師』に憧れてはいたが、楽師になることは許されなかった」

「凄く上手いのに、楽師にはなれなかったの?」

 宮廷楽師だった前世の私は、ガブリエルよりも巧みな演奏者だったのだろうか。


「……私は……『武勇に名高いルンベック公爵家』の第三子で……『第四騎士隊の魔法騎士』になるしかなかった」

 異世界でルンベック公爵家の男子は全員騎士になるという家訓があり、魔力や才能を持っていても魔術師や楽師になることは絶対に許されなかったとガブリエルが言う。


「『ルンベック公爵家』は当主から使用人まで全員が戦闘能力を持っていた」

「女性は?」

「……姉のエルヴィーラは剣術の達人だった。幼い頃、私と弟が誘拐されそうになった時、十歳になったばかりの姉が三人の誘拐犯を一人で倒した。……ドレスを着て戦う姿は…………怖かったな」

 その光景を思い出したのか、ガブリエルが眉を寄せて口を引き結び、なんとも言えない表情をする。


「そこはカッコイイと言ってあげてー」

 どんな女性なのかと考えてみても全然思いつかない。


「カッコイイ? ……そうだな、そういうことにしておこう。くららの兄弟は?」

「弟がいるんだけど、中学生の頃からずーっと海外留学してて、あんまり接点ないの。時々メールでやり取りするくらい」

 優秀すぎる弟と平凡な私。幼い頃から密やかなコンプレックスを抱えてきた。両親が私に強い関心を抱かないのは、たぶんそのせい。家を出て独り暮らしするときにも反対はされなかった。


「……家族のことを話したのは初めてだ」

 ガブリエルがぽつりとつぶやく。

「そうなの?」

 クラーラにも? と続けそうになった言葉は飲み込む。話を聞いても懐かしいとは感じなかったから、初めてなのかもしれない。


「クラーラとは、音楽と楽器のことしか話したことがなかった」

 昔を懐かしむような優しい声に、微かな嫉妬。私は音楽のことも楽器のこともわからない。


「私が憧れ続けた『宮廷楽師』になれなかった理由も、当時は話すことができなかった。王宮では誰が聞いているかわからないし……」

 ガブリエルが目を伏せて微かに息を吸う。私はその言葉の続きを待った。


『単に宮廷楽師の目の前で、宮廷楽師になりたかったとは言えなかったんだろうな。変な意地があったのかもしれない』

 その苦笑交じりの弱々しい告白が、私の心を揺さぶる。どこか遠く感じていた人が、一気に身近な存在になって降りてきた。


『……君の前で弱音を吐いてすまない』

「いいの。私は、その話が聞けてとっても嬉しいって思うから。異世界の言葉でいいから、ガブリエルのいろんな話を聞かせて」

 異世界の言葉は怖いと思っていた。でも、今はそれが理解できて良かったと思う。


『私も、くららのことを知りたい』

 微笑むガブリエルの心に近づきたい。私は、精一杯の笑顔で頷いた。


      ◆


 一週間はあっという間に過ぎ去って、最終日には竹矢と紗季香が夕食に揃った。

「あちこちで話をつけて、依頼したヤツに直で会う約束をしたから、もう平気だ。俺の事情に巻き込んですまなかったな」

「私は大丈夫です。あの……絵の窃盗を指示するような人に会って、大丈夫なんですか?」

 暴漢を雇った人に、あの絵を売ったりするのだろうか。


「俺と交渉したいのなら直接来いって連絡したら、来日するそうだ。どうしても欲しいらしいから、危害を加えてくることはないだろう」

 竹矢の顔は余裕しか感じられない。考えられないような金額が動くのかもしれないと思うと、そっちの方が怖く感じる。


 楽しい食事の後、珈琲を飲みながら一週間の高待遇の感謝を伝えると笑われてしまった。

「もー、遠慮なんていらないのよ。そのまま二人で住んじゃえばいいのよ」

 紗季香は、ガブリエルと私が同じ部屋で夜を一緒に過ごしていることを誤解してしまっている。恋人に限りなく近い間柄でも、私が一方的にどきどきするだけでキスもないし男女の関係はない。


「で、予定が遅れたけど来週私の荷物が来るから、引っ越し荷物の開封を手伝って欲しいの」

「引っ越しですか? どのお部屋でしょうか」

「あら? ……ちょっと、言ってなかったの?」

 ぺちりと紗季香が隣に座っていた竹矢の腕を叩く。竹矢の顔はどことなく締まりがなくて緩みっぱなし。


「あ! そういや、言おうと思った時にあいつらが来たんだった」

 思い出したと竹矢がぺちりと自分の額を叩く。襲撃の時、何の話をしていたかと考えてみてもわからない。この一週間の同居のインパクトがありすぎて、事件は記憶の遥か彼方。


「私がここに同居することになったから、ガブリエルは別の部屋に移動してもらうっていう話だったの。あ、結婚じゃないから、気にしないで」

 おめでとうございますと言いかけた私に笑いかけ、紗季香は言葉を続ける。


「でね、家政婦のお仕事は今まで通り続けて欲しいの。私は家事の時間が取れないから。出掛けることも多いし」

 その言葉でほっとした。


「じゃあ、ガブリエルに部屋を選んでもらって、家具を揃えるところからかしら。くららちゃん、一緒に選んであげて。ガブリエル一人に任せたら、どういうことになるか想像はできるでしょ?」

 酷い言い方だけど全力で同意してしまう。ガブリエルに家具を選ばせたら、目についたものをサイズも確かめずに買って、エレベーターに乗らないとか、部屋に入りきらないという残念な事件が起きるに決まっている。


「家具の代金は自分で支払います」

「あ、そうね。ガブリエルって車の維持費くらいで、全然使わないから貯めてるだけでしょー。ここはくららちゃんの好みでバンバン使っちゃってもらいなさいよ」

 ガブリエルの申し出を受け、紗季香が悪乗りして笑う。


 紗季香が貯金額を聞き、さらりと返答された金額に驚いた。都内に一軒家が余裕で買えそう。モデルデビューして、たった三年で稼いだ額とは思えない。


「ああ、車とか大型のCM契約って金額大きいの。万が一の違約金も凄いのよー。もしも不祥事やらかして降板になったら、そんな金額一瞬で飛ぶわよー。ま、うちはちゃんと保険入ってるから、モデル本人に損害賠償被せたりしないけど」

「ふ、不祥事?」

 背筋が寒くなった。交際も結婚もしていないのに、夜を私と同室で過ごしていたことは、女性問題になるのだろうか。 


「くららちゃんと同棲してるのは不祥事にはならないから安心して。そうねぇ、女関係だったら、不倫とかそういうのかなー」


「ど、ど、ど、同棲じゃないです! きよ……」

 清らかな関係ですと叫びそうになったのがわかったのか、紗季香と竹矢が笑い出す。よくわからないという表情をしているガブリエルの顔を見たら、冷静さを取り戻した。これは同居の幸せに浮かれる二人から、完全にからかわれている。落ち着いて、私。


「ガブリエルの部屋の家具選びは任せて下さい」

 頬の熱さと恥ずかしさを堪え、私は依頼を請け負った。

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