第16話 小戸森さん、初めての○○○○
「今日は部活ないから一緒に帰ろうぜ」
「うん。――あ、知ってる? 今度、うちの近くにTATSUYAできるんだって」
「へえ」
言葉を交わして教室を出ていくクラスメイトの男女を、小戸森さんは横目でじっと見つめていた。
いつもどおりなら、放課後になると彼女が先に教室を出て、密会の場所である石垣へ向かい、しばらく時間を置いてから僕も教室を出る手筈となっている。
しかし今日の彼女は席を立とうとはせず、クラスメイトが出ていったほうを見て難しい顔をしているだけだった。
僕がスマホで『どうしたの?』とメッセージを送ると、小戸森さんは『なんでもない』とだけ返信して教室を出ていった。
――……なんだ?
あの表情はなにかあるときの顔だ。さすがにもう分かってきた。なにを考えているかまでは分からないんだけど。
僕は少し時間を置いてから、石垣へ向かった。
小戸森さんは石垣に腰かけている。目をせわしなく泳がせたり、意味もなく足を揺すったりと、なんだかそわそわして見える。なにか仕掛けてくるだろうかと警戒しながら歩み寄り、隣に腰かけた。
「お待たs」
「園生くんの家はどのあたり?」
小戸森さんは食い気味に質問してきた。
「いや小戸森さん、僕の家知ってるよね? どう知ったかは知らないけど。というかどうやって知ったの」
「うん。わたしの家、実は園生くんの家からそんなに遠くないんだよね」
――「うん」だけでスルーされた……。
「そうなんだ」
「そうなの」
小戸森さんは僕をじっと見てくる。
――え、なに、なんなの? どんな返答を求められてるの?
小戸森さんの眉間のしわがだんだん深くなっていく。ますます混乱して無言でいると、彼女は、
「はあぁ~……」
と、深く長いため息をついた。そして気を取り直したように言う。
「学校へのルートは少し違うけど、割と近いんだよね」
「ふうん……」
「学校へのルートは少し違うけど、割と近いんだよね」
「なんで同じこと言ったの?」
小戸森さんは呆れたような絶望したような顔をした。
この顔はどこかで見たことがる。
――そうだ。
僕がまだ幼かったころ、父と一緒に飼い犬――名前はコハク――の散歩をしていたときのことだ。
コハクがその日、四度目の『大きな粗相』をした。コハクは散歩をするとどういうわけか、大きな粗相の回数が激増する。しかしもうトイレ袋はもう満杯だ。
そのとき、道端で踏んばるコハクを見つめる父の顔。
それがいまの小戸森さんの顔と同じだった。
僕は大変な粗相をしてしまったらしい。
――自分の粗相は自分でなんとかしないと……!
必死に頭を回転させた。
――家が近い、ルート……。
そのとき僕は、小戸森さんが、ふたり連れ立って教室を出ていくクラスメイトの姿をじっと見つめていたことを思い出した。
――そうか、答えは多分……。
「だったら、僕がちょっと遠回りすれば一緒に登下校できそうだね」
そう言って僕は小戸森さんの顔を見た。
小戸森さんは嬉しそうに顔をほころばせた。
――当たった!
しかし喜んでいる場合ではない。小戸森さんが僕になにかを求めるということは、つまり僕をしもべにするための策略なわけで。
彼女と登下校できるならそれはもちろん嬉しいけど、浮かれていたらその心の隙を突いて契約を結ばされてしまうかもしれない。
でも、それ以前に。
「見つかっちゃわない?」
密会を重ねても僕らが噂にならないのは、ここが石垣、つまり『境界』だからだ。境界はあの世とこの世の境。ふつうに人間には入れない。
「見つからなければいいの」
「無理だよ」
小戸森さんだけでも目立つのに、僕などが一緒に登下校しようものなら、ゴミを夢中で突いているカラスだって二度見する。
「大丈夫、町には意外と境界が多いから。境界が途切れないルートを探せばいい」
「でも、そんなルートある?」
僕が尋ねると、小戸森さんはしてやったりという顔をした。
「わたしを信じないの? じゃあルートを探しに行きましょう」
信じないの? などと言ったわりに、彼女はなんだか嬉しそうだ。ぴょんと石垣から下りて僕を急かす。
「なにしてるの? ルートがあることを証明してあげるから、早く」
「あ、いや、ごめん。信じるよ」
魔女である小戸森さんが「境界はある」と言うのなら、そうなのだろう。
「だからべつに証明する必要は――」
小戸森さんは真顔になった。そして徐々に、冷凍サンマみたいな目になっていく。
「そう……」
蟻の足音みたいに小さな声で言うと、彼女は石垣に腰かけた。
――めっちゃ背中丸まってる……。
虚ろな表情で肩を落として座りこむ彼女の姿は、まるで石垣に取り憑いた地縛霊かなにかみたいだ。
そんなに証明したかったのだろうか。僕は考えながら言い直した。
「ええと、僕が言いたいのはそういうことじゃなくて……。小戸森さんを信じてるから証明する必要は全然ないんだけど、でも個人的にそのルートは知りたいな、というか」
すると小戸森さんの顔は地縛霊から生者のそれにもどった。ぱっと花が咲いたみたいに微笑む。
「やっぱり気になる? しょうがないなあ。じゃあ一緒に探しに行こ?」
小戸森さんは道を小走りに走っていく。そして振りかえって手招きした。
「こっち! 早く!」
まるで遊園地ではしゃぐ子供みたいだ。
僕は苦笑いしたくなるような気持ちで彼女のあとを追った。
◇
小戸森さんはスマホに目を落としながら歩いている。地図アプリを使い、リアルタイムで居場所をチェックしているようだ。
いま歩いているところは学区の境らしい。たしかに何人かとすれ違ったが、皆こちらを見もしなかった。
「ちょっと遠回りかな……」
小戸森さんがやや不満げな様子でつぶやく。
「でも遠回りのほうがゆっくり話せるね」
何気なく言うと小戸森さんは虚を突かれたみたいな表情で僕を見て、そのあと顔をうつむかせてしまった。頬がほんのり赤い。
「そ、園生くんは、そういうセリフ、狙って言ってるの?」
「……? ごめん、質問の意味がよく分からないんだけど……」
小戸森さんはうつむいたまま、小さな声で「バカ」と言った。
――なんで……?
バカ、と言ったわりに、満更でもないような顔をしているからますます分からない。
そのあとも僕らは『境界』を歩いた。
線路のそば、踏切、お寺の境内、公園の低木のあいだ――。
そうやって歩みを進めていくうちに、たしかに遠回りではあるが自宅の近くまでやってきた。
猫の通り道みたいな狭い路地を歩く。地図アプリを確認しながら小戸森さんは言った。
「ここの路地を出て、空き地を通り抜ければ園生くんの家の近くに出られるよ」
と、小走りになる。
「え? あ、でもそこ……」
僕は慌てて彼女のあとを追った。
路地を抜ける。
彼女の背中が目に入った。
彼女の前で誰かが頭を下げている。黄色いヘルメットを被った、作業服の男。
男は、絵だった。その横にはこう書かれている。
『ご迷惑をおかけして申し訳ありません 安全第一で作業中です』
要するに、工事を告げる看板だった。
空き地はすっかり鋼板の仮囲いに囲まれており、コンクリートポンプ車の細長いアームが上のほうにちらりと見えた。
呆然と立ち尽くす小戸森さんの背中に僕は言った。
「二ヶ月くらい前からかな? ここで工事が始まって……。ほら、さっき誰かが言ってたでしょ? TASUYAができるらしいって。それがここ」
地図アプリ上では、まだここは空き地のまま更新されていないらしい。
「ほかにルートはないの?」
「……ここが、唯一のルート」
彼女は振りかえりもしないまま答えた。
境界を辿るルートは、ここで完全に分断されてしまったらしい。
それは僕にとって本来、喜ぶべきことだ。登下校を共にするなんて青春イベントを追加されたら、正気を保ちつづける自信がない。
でも、がっかりしている小戸森さんを見ていると、とてもじゃないが喜ぶような気持ちにはなれなかった。
「だ、だったらさ」
――ああ、言うぞ。僕はこれからきっとバカなことを言ってしまう。
「僕を乗せてホウキで飛べない?」
――ほら言った。
小戸森さんがやっと振りかえった。ぽかんとしている。
「……できるけど」
「それなら誰にも邪魔されないし、ルートも気にしなくていい」
「で、でも……!」
彼女はなぜか赤面した。僕は首を傾げた。
「嫌かな?」
すると彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「決して嫌ではないんだけど……!」
うつむいてしばらく何事か考えていた小戸森さんは、「よしっ」と気合いの声を出して顔を上げた。眉が逆ハの字になり、目は泳ぎ、鼻息が荒い。
「わたし頑張る!」
「う、うん……?」
そんなに覚悟がいることなのだろうか。自転車の二人乗りみたく、違法とか?
小戸森さんが背中の刀を抜くみたいな動作をしたつぎの瞬間、手に竹ぼうきが握られていた。彼女はそれを腰の高さで地面に水平にすると、柄の前のほうに横座りになる。
そして柄をぽんぽんと叩いて、僕に座るようにうながした。
僕は柄にまたがった。すると小戸森さんは顔をそらし、言いづらそうに言った。
「あ、あの……。その座り方……、多分、その……とくに男の子は、やめておいたほうが……」
「あ……うん」
今度は僕が赤面する番だった。小戸森さんと同じ方向に足を向け、横座りになる。
「さ、行くよ」
そう告げると、僕らの足元の地面に紫色の光の筋で描かれた魔方陣が現れた。
ぐぐっと、尻を押される。足の裏が地面から離れていき、ついに浮きあがった。
「危ないから、わたしに掴まって」
「うん」
僕は両側から彼女の腰を掴んだ。
その途端。
ぐん! と僕らは急上昇した。内臓がぎゅうっと圧迫される感覚。肺が押しつぶされて空気が吸えないから叫び声も出ない。
そのあとやってきたのは、身体を振り回されるような感覚。中学校のころに修学旅行で行った某夢の国のビッ○サンダーマウンテンに乗ったときとよく似ていた。
僕は彼女の腰から手を離した。するとアクロバット飛行はぴたりと止まる。
気がつくと、僕らはかなり高いところまで飛びあがっていた。下界を歩く人びとがごま粒くらいに見える。
足がぞわぞわとして、僕はまた彼女の腰に手を伸ばす。
その手が、彼女の手に阻まれた。
「腰じゃなくて! 肩! 腰は……まだ早い」
なにが早いのか分からないが、とにかく僕は怖くて彼女の細い肩を掴んで目をつぶった。
身体が後ろに押されるような感覚。ホウキが前進しているようだ。
僕は怖くて、じっと身を強ばらせるしかできない。おしゃべりなんて、とてもじゃないが無理だ。
しかし、それでもいいや、と思えた。一緒にいられる時間が増えるだけでも、僕は嬉しい。
――でも、飛び慣れているはずの小戸森さんまで黙りこんでいるのはなぜだろう?
やがて胃が迫りあがるような感覚がやってきた。下降を開始したようだ。
足が地面につく。僕はほうっと息をついて、やっと目を開けた。ホウキから降りて、地面にへたりこむ。
「けっこう怖いね……」
しかし小戸森さんは顔をそむけたまま無言でいる。
「どうしたの? 疲れたとか?」
そう尋ねると、彼女はつぶやくように言った。
「は、初めて、だったから。ふたりで飛んだの」
「そっか。じゃあ緊張するよね」
「そうじゃなくて。いや、緊張したのはそうなんだけど」
「?」
「魔女にとって、誰かと飛ぶっていうのは……特別、っていうか……」
「ああ、儀式的な意味で? まあ、初めてひとを乗せたのなら特別だよね。嬉しいな、僕を乗せてくれて」
すると小戸森さんは例の『粗相をしてしまった僕を見る顔』をした。
頭をひねってみるも、今度は答えが思い浮かばない。
「……バカ」
すねたように口をとがらせる小戸森さん。でもやはり、満更でもない顔だ。だからこそ余計に分からなくなる。
しかし、もうひとつ分からないことがある。
僕は小戸森さんに尋ねた。
「あのさ」
「なに?」
「どこ、ここ」
僕らは深い森のなかにいた。どこかの山らしいが……。
小戸森さんは決まり悪げに笑った。
「あ、ど、どこかな。気づいたらここにいたというか。わたしも、どこをどう飛んだのかよく覚えていないというか……」
「やっぱり、すごく緊張してたんだね」
「そうじゃなくて……、いや、そうなんだけど。――もう、園生くんってほんとバカ!」
小戸森さんは呆れた顔をしたあと、あきらめたように微笑んだ。
――まあ、どこでもいいか。
僕は小戸森さんに笑顔を返した。
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