第13話 キャット・オア・トリート

 いつもの石垣の奥、トネリコの木が林のようになっているところで、黒のとんがり帽子とローブをまとった小戸森さんが、竹ぼうきの柄を僕に向けてくるくる回しながら言った。


「トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃしもべにするぞ」

「ペナルティが重すぎる」


 小戸森さんはぷっと吹きだした。


「しもべって、本気のしもべじゃないからね。ちょっと猫になってもらうだけで」

「話の展開がダイナミックすぎてついていけないんだけど」

「魔女の使い魔と言えば猫じゃない? わたしが魔女なんだから、園生くんには猫になってもらわないと」


 僕は小戸森さんと、混野まじるの市商店街主催のハロウィンイベントに参加することとなっていた。仮装をして商店街を練り歩くイベントで、コスプレコンテストやローカルアイドルのコンサートなども行われ、そこそこ盛況になるらしい。


 小戸森さんは魔女の服だけでなく顔にメイクまで施していた。青白く塗り、しわを描きこんだその顔は、一見して小戸森さんとは分からないくらいの完成度だった。


 僕はポケットからのど飴をとりだして小戸森さんに差しだす。


「お菓子あるけど」


 小戸森さんは僕の手をじっと見たあと、にこっと微笑んだ。


「じゃあ、魔法で猫になってもらうね」


 ――スルーされた……。


「コスプレしてもらうだけだから安心して。さ、張りきってどうぞ!」


 僕はうながされるままに、ほうきの柄で描かれた五芒星のペンタクルの上に乗る。小戸森さんは僕にホウキの柄を突きだして、


「えいっ」


 と、気合の声をあげた。

 足元から噴きだした光に飲みこまれて、僕の視界は真っ白になる。


 光に包まれているというのに、僕の気持ちは暗く沈んでいた。


 ――どうして僕がハロウィンなんかに……。


 祭、というか人混みや騒がしい場所が苦手な僕が、参加するだけでなく仮装までする羽目になったのには、やむにやまれぬ事情があった。



 数日前の昼休みのこと。

 つぎの日曜日に行われるハロウィンイベントの話題で教室は持ちきり――と、いうほどでもなく、「ああ、なんかそういうのがあるね」くらいの話の種にとどまっていた。


 見栄えのするコスプレをしようとすればそれなりのお金が必要となり、中高生には荷が重い。参加者は大学生や子連れの主婦が多いらしい。


 らしい、と言ったのは、僕が一度もこのハロウィンイベントに参加したことがない――ばかりか、イベント会場に近づいたことすらないからだ。


 とにかく、人混みが苦手だ。ましてイベントとなると、浮かれて悪さをする奴が絶対に出てくる。昨年も書店の看板や自販機が壊されたらしい。


 わざわざ騒がしくて危険な場所に赴く理由がない。

 それに。


 ――僕には本物の魔女の知りあいもいるしね。


 窓際の席に目を向ける。小戸森さんが熱心にスマホをいじっていた。ときおり落ちてくる黒髪を耳にかけ直す仕草が優美で、僕は見とれてしまう。


 ポケットのスマホが震動した。僕へのメッセージをしたためていたらしい。

 密会の時間を変更かな? などと思いながらアプリを起ちあげる。


 と、そこには僕を絶望の谷底へ突き落とすような文言が書かれていた。


『放課後の密会はしばらくお休みです』


 あまりの衝撃に僕は完全に固まった。なんなら数秒間、心停止していたかもしれない。本当に絶望するとひとはまったくリアクションがとれないのだということを知った。


 ――な、なん、なん、なん、なん、で、ぇ……?


 嫌われた? 僕、なにかしたか? いや、なにもしてないぞ。

 様々の負の感情が一気に吹きだしてきて、寒くもないのに身体が冷えていくような感覚に陥った。


 スマホが震動する。小戸森さんからのメッセージ。


『ハロウィンイベントに出ます』


 ――……イベント?


 冷えていた身体に血が巡って温かさがもどってくる。

 嫌われたわけではないらしい。でもこれは要するに、僕の密会よりも、ほかの誰かとイベントに参加することを小戸森さんが選んだということで。


 寂しいが、仕方ない。小戸森さんほどのひとを僕が独占できるわけもない。

 震える指で返信する。


『気をつけて』


 すると返事はすぐにやってきた。


『園生くんも出るの』


 ――……ん?


『僕も?』

『ハロウィンは日本のお盆と同じで、あの世とこの世の境界が曖昧になるから、いつもの石垣だと見つかっちゃう』


 なるほど。僕らの密会はふつうのひとが入れない『境界』だからこそ行うことができていた。それが曖昧になってしまうなら、たしかに休みにするしかない。

 突然の密会休止宣言に肝を潰したが、ちゃんと合理的な理由があったのだ。僕はほっと胸をなでおろした。


 ――でも。


『なぜ僕が参加?』


 ちょっと間があって返信。


『変な勘違いしないでほしいんだけど、先ほど言ったとおりハロウィンは境界が曖昧になるため放課後の密会が難しくなり、かといってほぼ習慣となった密会を長期間休止するのは忍びなく、園生くんをしもべにするという目的を果たすための機会を減らさないためにも、その代替としてハロウィンイベントへの参加を打診したわけで他意はありません』


 ――なんか長文がきた。


 最後、敬語になってるし。なにか他意があるようだ。

 イベントを利用して僕に魔法をかけようとしている? いや、わざわざ公衆の面前でそれをするメリットがない。ではいったいなにが目的なのか。


 返事を躊躇していると、小戸森さんからメッセージがきた。


『嫌?』


 僕はすぐに返信した。


『行きます』


 小戸森さんから「嫌?」と言われて「嫌です」と返せる成年男子がこの世に存在するだろうか。いや、世の青年男子のことなど関係ない。少なくとも僕には無理だ。


 こうして、ハロウィンイベントへの参加が決まったのである。



 本当はやむにやまれぬ事情などなかった。単に僕が折れただけだ。ちょっとかっこつけたのだ。

 でも、イベントではナンパなども横行しているというし、僕が小戸森さんを守らねばと思っている。


 ――ほんとに使い魔みたいだな、僕。


 僕が気づいていないだけで、実はとっくの昔に彼女のしもべになってしまっているのではという恐ろしい考えが浮かぶ。


「完っ璧」


 小戸森さんの声で魔法が終わったことに気がついた。


 自分の手を見る。

 細い爪、白い毛、ピンクの肉球。

 僕は動物になったようだ。


 小戸森さんがスマホをフロントカメラにして、画面を僕のほうへ向けた。


 画面のなかに、頭のでかい白猫の化け物が突っ立っていた。


 ――すっごい着ぐるみ感……。


 魔法で変身させられるというからいったいどれほどリアルな仮装になるのかと思ったら、明らかに地方のゆるキャラクオリティだった。まんじゅうみたいな頭に三角の耳と、瞳孔の開いたような目、アラビア数字の『3』を横に寝かせたような口がついているだけ。


「わたしね」


 小戸森さんは手をもじもじさせる。


「すごく……その子が好きなの」


 小戸森さんは、この石垣でたまに見かける白猫にご執心だ。その猫をイメージしたコスチュームらしい。


「ここでいつも会うんだけど……、その……、すごくおじいさんっぽくて、なにを考えてるか分からないところがあるんだけど、たまにね、すごくやさしくてね……一緒にいると、お、落ち着くっていうか……」


 と、うつむいてしまう。


「へえ。あの子、おじいちゃん猫だったんだ」


 小戸森さんは顔を上げた。僕を見るその目はもの言いたげな、いわゆるジト目というやつだった。


「え、な、なに?」

「やっぱりなにを考えてるのか分からない」


 ぷいっと顔をそむけ、


「ほら、行こ、イベント」


 と肩を怒らせて歩いていく。


 ――なんなの……?


 僕は肉球をぺたぺた鳴らして、彼女のあとを追った。



 混野商店街は紫とオレンジの装飾が施され、すっかりハロウィンモードになっていた。ところどころにカボチャをくり抜いて作られたジャック・オ・ランタンが転がっている。

 しかし思ったよりも騒がしくなくて、僕は拍子抜けした。


「一番盛りあがるのは夕方から夜にかけてだから」


 小戸森さんが言う。

 いまは昼間だから、まだまだひとが少ないらしい。といっても、平常の商店街よりはずっと混雑しているけど。


「てっきり、バーサーカーやアマゾネスみたいなひとたちがお店に火をつけて回ってるのかと」

「怖がりすぎ。たしかに問題になっているところもあるみたいだけど、ごく一部だよ。ニュースが大げさなの」


 なるほど、冷静な意見だ。テレビやネットのニュースでとりあげられると、まるでそれが日本中で起きているかのように錯覚してしまうが、ニュースになるということは『それがニュースになるくらい極端な出来事だ』という証左でもある。


 僕はまんじゅうみたいな頭を巡らせてあたりを見回した。


 ――それにしてもシュールだな。


 定番のゾンビや悪魔だけでなく、ハロウィンとは関係ないアニメやゲームのキャラのコスプレをした人びとが談笑しながら商店街を歩いている。ドラッグストアからウェディングドレスを着た血だらけの新婦が出てくるし、道端ではフランケンシュタインの人造人間がギターをかき鳴らして恋の歌を熱唱していた。


 小戸森さんがちらちらと僕に視線を向けてくるのに気がついた。僕、というか、僕の手に。


「なに?」

「う、ううん。べつに」


 と、早足になる。


 ――……? 肉球を触りたかったのかな?


 少し先に行ってしまった彼女を追おうと思ったそのとき、


「え~? マジ猫なんですけど」


 僕のすぐそばで女性の声がした。振り返るとそこには仮装をした、おそらく大学生くらいの女性三人組が立っていた。


「目、死んでるし」


 と、けらけら笑う。

 妙に露出度の高いゾンビナースと、赤い角のゴスロリ悪魔、餃子みたいな形の帽子を被った海賊の三人組だ。

 ゾンビナースがぐいっと顔を寄せてきた。


「つかこれなんのコスプレですか?」

「え? あ、ね、猫?」


 ゾンビナースがぶうっと吹きだした。


「猫だって! まんまだし!」


 三人で笑いあう。


「いや、猫というか、使い魔、かな」

「使い魔って? 誰に使われるの?」


 そういえば我が主人……じゃなくて、小戸森さんはどこに行ったんだろう、と思って後ろを見る。


 ――っ!?


 小戸森さんがいた。真っ赤な激辛担々麺の看板の裏に隠れ、顔だけ出してこちらを見ている。もの言いたげな目をして。


 ――ジト目再び……!


「あ、あのひとです」


 指さすと彼女は一転してにこやかな表情で近づいてきて、


「こんにちは」


 と挨拶した。ゾンビナースはぱんと手を叩いた。


「あ~、ウチ知ってる。使い魔って魔女の下僕げぼくでしょ?」


 ――げ、下僕……。


 下僕という言い方はどうにかならないだろうか。とくに『げぼ』の響きがよろしくない。それならしもべのほうが何十倍もましだ。しもべになりたいわけではないけど。


 ゾンビナースが僕の腕をとり、胸に抱くようにした。


「え、ちょ……っ」

「じゃあさ、ウチの使い魔になってよ。おばあちゃんよりウチのほうがいいっしょ?」


 僕の腕がゾンビナースの谷間に押しつけられる。


「え、いや、それは」

「ええ? いいじゃんいいじゃん。一緒に――」


 そのとき、ゾンビナースの手首を小戸森さんがつかんだ。そしてぐいぐいと引っぱる。

 僕の腕はゾンビナースから解放された。


「わたしの使い魔なので」


 小戸森さんは目を剥くようにしてゾンビナースを見た。

 眼力に気圧されたゾンビナースはちょっと怯えるような表情をした。


「え、ええ? いいじゃん。ウチにもちょっと貸してよ~」


 と、僕の頭を撫でようと手を伸ばした。

 その手首を小戸森さんがつかむ。


「わたしのなので」


 そう言って作り笑いをした。

 いままで彼女の作り笑いをいくつも見てきたが、こんなに底冷えするような笑顔ははじめてだった。

 そう感じたのはゾンビナースも同じだったようで、もともと青白い顔をさらに青くして、


「しゅ、しゅいましぇん……」


 と、ほとんど泣きそうになりながら退散した。

 僕はほっとして礼を言う。


「あ、ありがとう、助かったよ」

「そんなこと言って、ほんとはちょっと嬉しかったんじゃないの?」


 小戸森さんは少し険のある言い方をして、僕を横目で見た。


 僕も男だし、そりゃ嬉しくないわけはない。

 でも小戸森さんが助けてくれたとき、それよりも大きな嬉しさを感じたのもまた事実だ。


「うわっ」


 僕は思わず声をあげてしまった。

 小戸森さんが急に僕の手を握ったのだ。


 彼女は僕を見すえて言った。


「園生くんはわたしの使い魔なんだから、わたしのそばから離れないで」

「う、うん」


 僕はまんじゅうの頭を頷かせた。


 小戸森さんは青白い顔をしている。メイクをしているから当然だ。でも一瞬、メイクの施されていない耳が赤く染まっているように見えた。

 でもすぐに向こうを向いてしまったから、定かではないけど。


「さ、行こう」


 小戸森さんに手を引かれて商店街を歩きながら、僕は思う。


 ――また来年も小戸森さんとイベントに来たいな。


 願わくば次は、魔女と使い魔の関係じゃなくて。

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