コピーアンドペースト
餌だ。食事だ。食い物だ。
腹が、減った――。
兵頭アリスは獲物の匂いを嗅ぎつけ、山の中の廃病院に踏み込む。ここはかつて、〈布引〉と一戦交えた場所であったが、現在のアリスには当時の記憶といま見えている光景を結びつけるだけのメモリが足りていない。
建物を入るとすぐに、河童らしきものが飛び出てきた。見た目は人間と変わらない。アリスにとってはなんの関係もない。ただ匂いが河童だというだけで、容赦なく懲罰し食い殺す理由たり得る。
CCCドライバーを開こうとしたアリスの腕が硬直する。この身体はもうまともに動く部位のほうが少ないが、これはなんらかの意思が介在したためだった。
「お腹、壊す」
アリスの口から勝手に言葉が漏れ出る。沙羅かトオノか、あるいは両方か。アリスへと警告を発したのだろう。
ひょこひょこと歩いてくる女を硬直した腕を振るって吹っ飛ばし、アリスは呻きを上げる。
こいつは人間だ。人間だったものだ。
自己複製機能を持った〈
だが、アリスの嗅覚は確かに獲物を捉えた。すでにヒトの形を保っているだけでやっとの有様の中、絶え間ない飢餓感を癒やす餌を嗅ぎ分ける嗅覚だけは鋭敏になり続けている。
ここに餌があるのは間違いない。
――CCC DRIVER
今度は阻害されない。アリスの目的がはっきりとしたことで、混ざり合った三者の意識に合意が形成された。
吐瀉物のように口から吐き出された〈
――DISC SAUCER
耳障りな音を上げてCCCドライバーが読み込みを開始する。
――CAPPA
「川立ち男」
――CHOBATSU
「氏は菅原」
――CASE
河童懲罰士識別コード〈ケース〉。この姿になっても、すでに以前のような明瞭な思考は難しくなってきている。
今のアリスはただの餓えた獣だった。一刻も早く食事を行い、崩壊し続ける肉体の保全を行う。
その先は――考えることは、もはやアリスには不可能だった。
あちこちから湧いて出る河童化した人間を蹴散らしながら、アリスは建物の中を探し回る。
――CCC DRIVER
――CCC DRIVER
二つの機会音声が耳に届く。瞬間、アリスの全身が雷に打たれたように硬直する。
――CORPSE
――CURSE
アリスの目に映ったのは、並び立つ赤い装甲の河童と、純白の鎧に金色の兜の武者。
河童懲罰士。識別コード〈コープス〉。識別コード〈カース〉。
すなわち、アリスが復元を願い続けた、トオノと、菅原沙羅。
「あ、あああ――あっ?」
「これよりCCCドライバーおよび自己複製〈
「了解。対象の破壊を実行」
トオノの声で、沙羅の声で、〈コープス〉と〈カース〉は話していた。ただそれがあまりに喜ばしくて、アリスにはなにを話したのかまでは理解できていなかった。
――CUTTER
――CHAIN
〈コープス〉の刃がアリスの右腕を切断し、〈カース〉の黄金の鎖がアリスの全身を縛り上げる。
がくん、と身体が一段階、冥府へと落ちる。すでに地獄に半身が浸かっていたアリスのわずかに残った魂までをも、引きずり落とす一撃。
「なん――で」
「黒ギャル河童懲罰士ぃいいい!」
――DAEMON
灰色の騎士が今まさにアリスの首へと刃を振り下ろそうとしていた〈コープス〉を蹴り飛ばす。
識別コード〈ダイモン〉――以前に一戦交えたこの河童懲罰士のことは覚えている。だが全身をわななかせ、呼吸すら苦しそうに闘志を漲らせる姿は、以前のものと同一個体だとは思えない。
「なんだ、やれんじゃねえか――コンにできたんだから、あたしにできねえことはねえよな」
鎖を放った〈カース〉の懐に潜り込み、腹を、抉る。
「あ――アリス――」
CCCドライバーを高々と掲げ、〈ダイモン〉は機能停止した〈カース〉を踏みつける。概念形成体の鎧が剥がれ落ちたあとには、河童化した男の死体が残っていた。
だが、アリスが沙羅を、トオノを見間違えるはずがない。
機能停止するまで、〈カース〉の中身は確かに沙羅だった。おそらく河童化した人間に沙羅の情報を書き込んだCCCドライバーと〈
アリスにはからくりが手に取るようにわかる。なぜなら自分が沙羅とトオノの復活を行うために考えていた仕掛けとほとんど同じだったからだ。違いはアリスには沙羅とトオノの生データがあり、CCCドライバーを介さずとも人間か河童に〈
〈ダイモン〉が〈コープス〉の腹からCCCドライバーを抉り取った時にはもう、アリスは冷静な思考を取り戻していた。
アリスの視線を感じた〈ダイモン〉が荒い息でドライバーによって真っ二つに割られた〈
「なんで助けた」
アリスの質問に、桜は歯を剥き出しにして笑う。
「知らねーよ。あんたが幸せそうに死ぬのが我慢ならなかったから――ってことにしとけ」
「お前、ここを調べにきたのか?」
アリスの声音は幾分か和らいでいた。桜は当然、気を緩めることなく首を横に振る。
「気づいたらどっかの部屋に寝かされてた。たぶん、あんたが大暴れしてなけりゃ今ごろ――」
ここは人工河童の巣窟だ。桜もまたクズ〈
「そのドライバーは」
「あたしが寝かされてた部屋に置いてあった。PCDドライバー――コンが使ってるやつだから、使い方は知ってる」
「そうか。一応礼は言っとく」
「はいはい。それより、これ」
桜は概念形成体の水が滴るCCCドライバーをアリスに投げてよこした。
「あんた、必要だろ。そのドライバー、もうボロボロじゃねえか。今だってまともに見えて、半分壊れてんだろ? 乗り換えしとけ」
いま身に着けているCCCドライバーは、沙羅が使っていたもの。手放したくないという思いは強いが、あまりに長時間稼働させ続けた後悔と負荷は間違いなくアリスを責めさいなんでいた。
――EJECT
沙羅のCCCドライバーから〈
アリスは〈ケース〉の姿とならずとも自我を保てていた。
「もう一個、礼だな」
久しぶりに生身の口で言葉を発した。ひび割れ、掠れた声だったが、桜は満足げに笑った。
「礼ついでに忠告だ」
桜が腰に巻いたPCDドライバーを指さす。
「そのドライバー、もう使うな」
「は? おい、それどういうことだよ?」
廃病院を囲う人の気配を感じ取り、アリスは舌打ちをして身を翻す。防除班の前に顔を出したくない。合わす顔がなかっったし、なによりあの得体の知れない女には二度と出くわしたくなかった。
今までは気にならなかったが、いい加減襤褸と化した服を着替えたくなってきた。身体の汚れも落としたい。急に人間らしさを取り戻した自分に呆れつつ、これが崩壊の予兆ではないことを静かに祈った。
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