領域保護
解釈による防護。このアパートおよび青黄桜に施したのは、ほぼ完全なプロテクトだったはずだ。
キボウは自身と桜の所属する河伯高校という箱を観測する者に、解釈を敷衍した。河伯高校の制服を着用し、生徒として振る舞う者は全て外部から「河伯高校の生徒の一人」としてしか認識できない。
桜をカッパ製薬の監視の目から守るついでに、自身の身分も煙に巻いてしまおうという魂胆であった。
実際、先日までこの解釈は見事に機能していた。桜は今日までカッパ製薬に行方を気取られていないし、キボウのコスプレに違和感を抱く者もいない。
さらにこのアパートに施した解釈――いや、持てる処理能力を可能な限りつぎ込んだ
相手はそれを突き抜けて接触を図ってきた。
内部で相手に取り込まれた人間の名前を呼んだ――という取っかかりはあった。だがたったそれだけの綻びに付け込むことのできる相手というだけで、恐怖するには充分だった。
この時点でキボウは、相手が非定向編集体や限定呼称されたものではなく、自身と同じ領域に存在するものだと判断した。
この町にはどうやら、河童以外の妖怪が潜んでいるらしい。
キボウの結論は迅速だった。
上に判断を仰ぐべきだとは思ったが、キボウの中に渦巻く虚無が怪しく蠢き続ける。
この感覚には覚えがある。以前に宮内庁陰陽寮の持ち込んだ非定向編集体と対峙した時に感じたものと似ている。だが疼きはこちらのほうがもっと強い。
あの時も、人間が汚染されて怪物と成り果てたのだった。キボウに任されたのは死体処理のようなものだった。
そう。〈
なにより――どうにもそいつらと、キボウの中の虚無が餓えを覚える相手はどこかでつながっているらしい。刺客、あるいは挨拶代わりに、河童化した人間をこの部屋の目の前に置いていったのが証左だ。
ならばキボウの仕事はなにも変わらない。特定大規模テロ等特別対策室情報防疫班の現地情報防疫官として、土着の妖怪を解釈し、完全に解体してしまうことだ。
「鹿村、これ見て」
部屋の真ん中で無言で突っ立っていたキボウに向かって、桜がスマートフォンを投げてよこす。
この部屋の前に現れた、河童化した男の所持品だ。指紋認証のロックが解除できるよう、男の身体が消滅する前に指紋の型取りをしておいたおかげで、今もこうして中身を確認することができる。
キボウはスマートフォン内の情報解析を桜に一任していた。ただでさえこの町にきてから暴れている自分の中の虚無。男を送り込んだ相手はおそらくはキボウの本質を知っている。ならば、キボウにだけ覿面に働く毒が仕込まれていないとも限らない。殺せるものなら殺してほしいのはずっと変わらないが、下手に身動きをとれなくなるのは避けたかった。
桜にも詳しくは伝えていないが、めぼしい情報以外を自分には渡すなと言いつけてある。表示された画面に一瞬で目を通すと、そのまま桜に投げ返した。
「『せこブリーダー』……」
桜は驚愕しながらも頷く。
「どうもそいつは、半グレでもやくざでもない。こいつらのやりとりの中でも、何者なのかっていう推測が何度も出てくる」
「取引場所も毎回変えているようですね。となれば」
キボウはじっと桜の顔を見る。その顔に浮かぶ表情を種々に解釈しても、まだまだ食い足らないとばかりに処理し続ける。
やがて桜ははとと気付き、わかりやすく狼狽を始める。
「あの、まさかだけど」
実にいい。咀嚼しがいのある当惑。ただ、ここは単純な解答で桜を適切に導くことにする。
「はい。そのまさかです。青黄さん、あなたが『せこブリーダー』と接触を図ってください」
情報源は手元のスマートフォンにいくらでもある。引っ張ってきた情報を組み合わせ、桜自身の端末で「せこブリーダー」に取引を持ちかける。
もともと桜は不良グループに籍を置いていた。彼女が情報を嗅ぎつけて「せこ」を手に入れようと動いても、不審には映らない。
「待てよ。なんであたしがそんな危ない橋を渡らなけりゃならねえんだよ。あんたは私を保護してくれるんじゃねえのか」
「正確には、そちらの河童の観察のためにこの場を提供しています」
「初耳だが」
「言っていませんから」
カッパ製薬の内部告発者との契約で、桜の身の安全を最低限保証することにはなっている。だが、いま言うべきことではない。言ってしまえば、これから口にする言葉が力を失う。
「幸い、その河童はあなたと同じ姿をしています。対象との接触には、河童を用いればいいでしょう。あなたは相手への連絡手段の確保と取引の段取りをしていただければ充分です」
「コンを――捨て駒みたいに言うな」
おや――関心を顔に出さず、相手の表情に浮かんだ解釈の余地にがつがつと食いつく。
だというのに、全く人間というものは度し難い。自分の似姿をとっただけで、すっかり信じ込んでしまう。
「失敬。ですがコンはPCDドライバーを装備しています。河童との戦闘となった場合、いずれにせよコンの助力は必要でしょう」
「それは――そうかもしれねえけど……」
「なんにせよ、まずは『せこブリーダー』と接触しなければ始まりません。なんでしたら私があなたのアカウントを使ってもいいのですが」
「はあ? ふざけんなよなんであんたなんかにあたしのアカを渡さなきゃなんねえんだ」
「でしたら、あなた自身でやっていただかなくては」
「って、待てよ! なんで『せこブリーダー』に接触する前提で話が動いてんだ」
なかなか我の強い。話の流れはかなり傾いていたのだが、それを傲然と揺り戻した。
「そうですね。ではこのことを防除班の方々に報告し、しかるべき対応を考えることにしましょう。その前に、ここを引き払う準備をすませましょうか」
キボウの張った結界は破られた。現在も結界は張られており、外部からの侵入は許していないが、地図上の位置を知られた相手では話が別だ。
先日の妖怪が、いつまたここを訪れるかわからない。とにかく即刻別の隠れ家に移動すべきだった。そのための荷造り作業中、桜は片手間に見ていた男のスマートフォンから「せこブリーダー」なる言葉を発見したのだ。
次の隠れ家は昨日下見に行き、同様の結界を仕込んでおいた。
玄関のチャイムが鳴る。
「皿のマークの引っ越し屋さんですよー」
軽薄な声にすぐキボウの耳が記憶と結びつける。無言で鍵を開けると、作業着姿の北村健一と小林博嗣が立っていた。
中に入るよう促すと、北村は軽口を叩きながら、小林は愛想よく荷物を外に停めてあるバンへと積み込んでいく。手際のよさはさすがに一流だった。
部屋の中が入居した時と同じ状態に戻ると、全員が小林の運転するバンに乗り込む。
「で、今度はどこに隠れるんすか」
桜が荷台部分で荷物の上に座り込みながら呟くと、北村が驚いた声を上げる。
「キボウちゃんから聞いてないの?」
馴れ馴れしい呼び方にキボウは北村を射竦めるが、当の北村はへらへらと笑って受け流した。キボウの眼光に怯まないとは――思ったよりも肝の据わった男なのかもしれない。
「『ディッシュ』だよ」
「デッシュ……?」
「『レストラン DISH』。小林のやってる、流行んない店だよ」
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