②
「ひっ……」
言葉を失った。落ち窪んだ真っ黒い眼窩が、土の間から睨みつけるようにしてこちらを見ていた。
「どうした? 本当に死体でも埋まって----」
冗談めかして覗きに来た
「うお! すっげ! 本当に死体出て来た! すっげ!」
樹論儀は興奮した様子で蒼白になった雅厨譚の頭を揺さぶり、叫んだ。そして穴の底に飛び降りると、雅厨端を押しのけて素手で人骨の周りを掘り進めた。まるで犬のように。
「じゅ……樹論儀、やめよう。元に戻そうよ。バチが当たるよ」
「ばーか。宇宙旅行と時空間旅行が当たり前になったこの時代にバチなんてあるかよ」
先ほどの雅厨譚の言葉をそっくりそのまま返し、樹論儀は嬉々として土を掘る。がはははははは、という岩を転がすような笑い声とともに。
「……お?」
頭蓋骨周りを一通り掘り抜いたあたりで、樹論儀が声を上げた。
「ど、どうしたの?」
恐る恐る雅厨譚は穴を覗き込む。
頭蓋骨に添うようにして、缶のような質感をした何かが土の上に顔を覗かせていた。樹論儀は手をスコップにして猛然とそれを掘り直す。やがて穴の中から取り出されたのは、四方が20センチ近くある缶の箱だった。表面には大昔の漫画の絵が描かれ、一目でかなり年季の入った品だとわかった。
「んだこれ?」
頭上に缶箱を掲げ、樹論儀は目を細めた。
雅厨譚には呪いの箱にしか見えなかった。幾多の歳月を経て掠れた缶箱の絵が、まるで呪詛のようで、見ているだけで心が落ち着かなくなった。何せ描かれた子どもたちの顔が尽く半分に千切れているのだ。
しかし樹論儀は雅厨譚の心中など推し量ることもなく、ごくごく当然のように缶箱の蓋に手をかけた。
「や、やめなよ」
「うるせえ。中身気になるだろ」
ぐっ、と樹論儀の手に力がこもる。クラスでも指折りの力自慢の手に掛かれば、古びた缶箱も呆気ない。高い音を響かせて蓋が外れた。中に溜まっていた土や埃が、まるで爆発するみたいに舞い上がった。
「どれどれ」
逆さにした箱の中から落ちたのは、実に雑多な品々だった。玩具のロボット、野球のボール、ノート、新聞、写真、手紙、漫画等々。紙類はどれもこれもボロボロだった。
樹論儀は元は水色だっただろうノートをつまみ上げ、表紙に書かれた名前を読み上げる。
「前田陽一」
歳月のせいか元々の実力か。黒いペンで書かれた名前は酷く雑だった。名前の後ろには2年1組という文字。恐らくは小学校の2年1組だろう。
「まえだよういち」
樹論儀の言葉を復唱しながら、雅厨譚は地面に落ちたローカルの新聞の切り抜きを拾いあげた。
今も刊行が続いている『南町日報』。2018年3月31日付けの朝刊だった。手のひらサイズに切り抜かれたボロボロの記事には『また地震。2日連続震度5。大きな被害なし』という見出し。ひっくり返してみれば、裏面には『南町デストロイヤーズ、全国少年野球大会で準優勝』と書かれていた。恐らく前田少年が取っておきたかったのは裏の記事だろう。縁が削れたカラー写真を手に取って、雅厨譚にはそれが分かった。これまたボロボロになった写真の中で、ユニフォーム姿の小学生男子十数名が肩を組んで笑っている。この中のどれが前田少年なのかはわからないが、皆快活そうな顔をしていた。きっと彼らが輝かしき全国準優勝を飾った、南町デストロイヤーズのチームメンバーに違いない。
「……この骨は、前田陽一くんのものなのかな」
「普通に考えたらそうだろうな」
くすんだ軟式野球ボールを放りながら、樹論儀が答えた。
「でもなんで………」
雅厨譚は再び写真に目を落とす。この幸福そうな少年たちの誰とも、足下の人骨が頭の中に線を結ぶことはなかった。
桜の木の下の死体と缶箱。
宇宙旅行と時間旅行が当たり前になったこの時代に、どこか古くささすら覚える奇妙な現実。雅厨端は興味深さと恐怖感とに片足ずつ足を沈めている気分だった。
しばらく缶の中身を物色していると、樹論儀が言った。
「いいこと思いついた」
彼の手にはやはりボロボロの一枚の紙があった。四つ折りにされたそれを受け取って開く。中には漢字とひらがなが交ざりきっていない、ムラのある文章が書かれていた。
手紙だった。2018年の前田少年が、100年後の自分に当てて書いた手紙。
そこに書かれているのは彼の現在と少年の空想力で彩った100年後の未来。車が空を飛び宇宙旅行が実現し、タイムトラベラーが近所を歩いているような。大方間違っていない、と雅厨端は笑った。そして文章の最後はこう締めくくられていた。
『これでぼくの手紙はおわりです。今から手紙をうめに行きます。百年ごに会いましょう 2018年3月31日 午ご 9時42分32びょう』
少なくともこの手紙には彼が今白骨体となっている理由は書かれていなかった。まさかこんな前向きな遺書もあるまい。
「と、ところで、いいことって?」
樹論儀に手紙を返しながら、雅厨譚は訊ねた。
「あ? 気まってんだろ? こいつに会いに行くんだよ」
「こいつ?」
「こいつっつったら1人しかいねーだろ。こいつだよ。前田陽一」
それが目の前の白骨死体を差す名前だと気がつくのに、しばらくかかった。ようやく死体と名前とが結びつくと、雅厨譚は通電したみたいに肩を跳ねさせた。
「あ、会いに行くって、どうやって?」
「前田陽一は2018年の人間。今よりも昔の人間だ」
「う、うん」
「昔の人間に会うにはどうするか。昔に行くしかないよな。そしたら──」
樹論儀は雅厨譚の右手を取る。
「タイムマシンだろ」
買ってもらったばかりの第4世代タイムマシン。雅厨譚は咄嗟に庇うように左手を差し出したが、遅かった。手品師さながらの手さばきで、樹論儀はあっという間に雅厨譚の右腕からタイムマシンを抜き取った。
「おーおー。いいなやっぱ最新機種は。俺のやつは2世代前だから時間の前後幅が20年前までしかないんだわ」
樹論儀は我が物顔で自分の腕に雅厨譚のタイムマシンを嵌める。
「第4世代だと確か前後幅200年だし、障害物自動回避も出来るんだよな」
「ま、まあ」
まだ一度も使ったことがないので、雅厨譚にはタイムマシンの性能がいまいちよく分かっていない。ただ何となく、自分よりも自分の持ち物に詳しい樹論儀に対して悔しいと思った。
「時間は2018年の3月31日……午後9時30分にしておこうか」
慣れた様子でタッチパネルに指を走らせ、樹論儀はあっという間に準備を整えた。すっかり自分の物にしたかのようだった。雅厨譚は恋人を寝取られたような気分で腹立たしかった。恋人がいたことなどなかったが。
「ま、このタイムマシンもお前より俺に使われたいと思ってるだろうさ」
嫌みたらしいセリフを残し、次の瞬間、樹論儀の姿は排水溝に吸い込まれるような動きで、真っ赤なウニ頭の先から虚空へ消えた。腹立たしさを樹論儀にぶつけられなかったのは、偏にタイムトラベルをするタイミングが掴めなかったからだ、と雅厨譚は自分に言い訳をした。
夜である。
右腕に嵌めたタイムマシンのスクリーン上には、現在の時刻と自分の時間軸の時刻とが同時に表示されている。21XX年3月23日の午後4時32分と2018年3月31日の午後9時30分。タイムトラベルが引き起こす一時的な酔いを、深く息を吸って吹き飛ばしてから、樹論儀は辺りを見回した。100年後は雅厨譚の家である敷地も、今は別の人間の敷地。恐らくは前田家の敷地だ。
100年近い昔だ。同じ座標とは言え、夜の闇に浮かぶ景色は先ほどまでとは打って変わって違う。地面は雑草がやかましい土で、家屋は木造。壁際には樹論儀の世代では生で見たことのない二輪の自転車が立てかけられていた。まるで教科書の中に入り込んだような心地がした。
「すげえな。これが100年前の世界か」
タイムトラベル事態は初めてではないが、100年も時を遡るのは初めてだ。見るもの聞くもの触れるもの、その全てが初体験に等しい。興奮と高揚感に背中を押されながら庭を歩き回っていると、しばらくして家屋の方から足音が聞こえてきた。
樹論儀は散策をやめて近くの物陰に身を潜めた。
家屋の扉が開いて(世にも奇妙な手動のドアだ)、暗い庭が四角い光に切り取られる。前田少年と思しき人影が、小脇に例の缶箱を抱えて、桜の木へ走り寄った。
100年前の桜も見事だった。
近所の淡い光に照らされた桜の花びらは、角度によっては先ほどまで樹論儀たちが眺めていたものよりも鮮やかに揺れている。幹の太さは少し物足りなかったが、それでも樹論儀一人では抱えきれないほど太い。
前田少年は桜の根元にしゃがむと、既に掘ってあったらしい穴へ缶箱を落とそうとして、やめた。土の地面に胡座を掻いて、風に舞った夜桜を肩に乗せながら、缶箱を開けて中身を眺め始めた。それぞれに思いが詰まっているのだろう。少年の横顔には時々笑みが浮かんだ。
樹論儀はそんな前田少年のしみじみとした一幕を、気持ちをはやらせながら眺めていた。むしろわずかに苛立っていた。彼は別に少年が思い出に浸る姿を眺めたいわけではない。何故彼が白骨体となって桜の木の下に埋まっていたのか。それを知りたいのだ。
かれこれ五分近く缶の思い出に浸った前田少年も、ようやく決心が付いたのか、全てを缶に入れ直す。するとそこで樹論儀は、紙切れが一つ缶に入りそびれて落ちるのを見た。しかし当の前田少年は気がついていない。全て中に入れきったと満足して、箱を丁寧に穴の底へと落とした。
教えてやるべきか、黙って見過ごすべきか。樹論儀の1ミリグラムほどの優しさとその他のめんどくささが頭の中でそれぞれ立ち上がった時、
「あ、スコップ」
前田少年は手を打って家屋へ駆け戻っていった。穴を埋めるためのスコップを忘れたらしい。樹論儀はこれ幸いとばかりに物陰から出ると、桜の木の下へ小走りで行った。少年の知らない間に缶に中身を戻し、なかったことにしよう、と思ったのだった。
しかし。
「……んだよ、クソ」
樹論儀が桜の木の下で拾い上げたのは、ただの紙屑だった。どれだけ発想を転換しても思い出の品にはなり得ない、純粋に不要な紙の屑。手にしたそれと、穴の底で転がった缶箱とを交互に見て、彼は舌打ちと溜息をついた。
その時だった。
地の底から何かが這い上がってくるような音がした。
地面ががくんと大きく揺れた。
地震だ、と思った直後、樹論儀は穴の縁で足を滑らせた。思いがけない揺れの衝撃で、彼は足下を刈られたみたいにして前につんのめる。家の中から前田少年の声が聞こえた。「また地震ー! やだー!」
樹論儀は穴の中へ頭から落ちていく。
ごん、っという鈍い音を頭の奥の方で聞いた。
それが頭と缶とがぶつかったせいだと気がつくことはなかった。
樹論儀は穴の底で気を失っていた。地震によって崩れた土が、彼の上に容赦なく降り注いだ。
樹論儀が過去に行き、雅厨譚は庭に1人残された。
いや、1人ではない。
足下には前田少年の人骨が埋まっている。見下ろした穴の底から、肉を失った顔がこちらを見ている。骨の奥にどこか恨みがましい感情を見て、雅厨譚は身震いした。
「……ん?」
その時ふと、何かが春の陽に反射して光ったのを見つけた。人骨の首から下の辺りだ。恐ろしかったが好奇心には勝てなくて、手で穴を少しだけ掘り進めた。人骨の首から下、鎖骨の辺りが露わになる。
人骨が首からかけたネックレスの、その真ん中で、子どもが剥いたジャガイモのような石がチロチロと輝いている。樹論儀が彼女からもらったと自慢していた、高価な高価な土星の衛星の一欠片だった。
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