第1話 廃屋の片耳ウサギ - ⑥

 誘拐、人身売買。

 俺が盗み聞いたクドウの計画の全貌を明かすと、ガラクタたちは各々怒りの声を燃やした。

 今の今までマイと触れ合っていなかった俺ですら怒りを覚えるくらいなのだから、この3日間マイと過ごしていた他の連中のそれは更に苛烈で激しい。

「あの子は、前の持ち主に見向きもされなかった僕で遊んでくれた!」

 DBがウィンカーもテールランプもヘッドライトも全部光らせた。

「あのガキは、俺を怖がらなかった」

 とギャング・アリゲータ。

「たとえ人間でもレディーを助けるのが私の使命」

 サー・クロックは時を刻みながら呟き、

「マ」「イ」「い」「い」「子」

 シスターズは飛びはね、

「あそこまでわしらを大事に扱ってくれる子どもは、そういないだろうの」

 一黒齋老が同意する。

「そうだ!」「そうでちゅわ!」「同意」「クリスタルヘッド万歳! クリスタルヘッド万歳!」「あのクソ野郎をぶっ潰せ!」「ガラクタ舐めんな!」

 口々に上がる怒りが波紋のように広がって、大波のような勇ましい意志に変わる。ガラクタたちはマイのために立ち上がる。人間のために立ち上がる。

「みんな! 聞いてくれ!」

 俺は盛り上がるガラクタたちに向かって言い放つ。

「俺たちはこれからクドウを倒して犯罪計画を止め、マイを助ける」

 おう! と威勢のいい声たちが応じる。 

「俺に考えがある。そのためにまずはチームを分けようと思う。クドウを倒すチームと、マイを助けるチームだ。クドウを倒すチームは俺がリーダーをやる。マイを助けるチームは」

「僕! 僕がやるよ!」

 DBが前輪を持ち上げて精一杯のアピールをしてきた。俺は頷く。

「一黒齋老、頼む」

「そんなあ!」

 気の抜けたクラクションが「ぶぴー」と溜息のように漏れた。

「よかろう」

 木彫りの老筆置きは前に出る。彼は頭に刺さっていた筆を、抜刀するように取って構えた。

「何か案があるのか? 黒兎よ」

「ああ。あなたにはマイの似顔絵を紙に描いてほしい。出来るだけ沢山。絵には洋館の場所と、マイが衰弱しているという情報を入れてくれ。あとはクドウに誘拐されたということも」

「承った」

「それからDB、フィンガーシスターズ」

「……リーダーになれなかった……リーダーになれなかった……どうせ僕は」

 ダンプカーはヘッドライトを不規則に明滅させながらいじけていた。俺は溜息を呑んで、

「DB、お前にはお前のその最高の車体がなければ出来ない仕事がある」

 平坦な声色で俺が運転席のドアを叩くと彼は、

「ほんとかい!? なんでも言っておくれよ! 僕は世界一のラジコンカーだからね!」

  ちょろいもんだ。

「ああ。知ってるさ。だからお前は一黒齋の爺さんが書いたマイの絵を街まで運んでくれ。そしてシスターズと協力して町中にばら撒くんだ。ラジコンカーなら堂々動いてても問題ないからな。出来るか?」

「まかせておくれよ! 簡単だよ!」

「シスターズもいけるか?」

「も」「ち」「ろ」「ん」「!」

 気の早い指人形たちは既にダンプカーの背中に乗っていた。

 俺は3体に頷きかけ、今度は自分のチームの役割について説明する。

「さて。残った俺たちは4段階の方法でクドウを討つ。まず第1段階、ギャング・アリゲータとサー・クロック。第2段階、ビー玉族半分とカタパルト十三。第3段階、ビー玉族残り半分。第2段階、クリスタルヘッドとエレガント・ベビィ。各段階においては今名前を挙げたメンバーを基軸に作戦を展開する。詳細は後だ。各体、自分のポジションを理解したか?」

 一息に言った後で皆を見渡すと、ギャング・アリゲータが、

「バーニー、あのクソ野郎はどこまでやっていい?」

「半殺し以上はダメだ。館が汚れる」

「ならその手前まではオッケーってことだなァ?」

 緑色の口が薄く開いて、爛々とした牙が剥き出しになる。

「ああ。蹴り飛ばされた借り、存分に返してやれ」

「俺とあのガキに手ェ出したこと後悔させてやらァ!」

 アリゲーターは不敵に笑って牙を鳴らす。危険すぎるために生産中止、製品回収にまで至ったという凶悪な玩具だ。彼が本気を出せば人間の大人も大怪我は免れない。爛々と光るその牙に、味方ながらに怖気が走った。そしてその隣に立つサー・クロックはいたって静かに紳士的に寸分の狂いもなく時を刻んでいるが、彼の身体の内側では怒りのネジが巻かれているに違いなかった。

「それから誰か、マイのために毛布を持ってきてくれないか。あるいはそれに近い何か。こんだけ広い屋敷だ。探せばあるだろう」

「あたちがちゃがちゅわ」

 手を挙げたのはエレガント・ベビィ。気品漂う素っ裸で、彼女は言った。

「おじやみちゃいに弱っちい女らと思ったや、中々のやつやっちゃわ。見直ちた」

 ガラクタの中で一番でかい彼女は、ズシンズシンと腐った木の床を踏みならしながら、部屋を出て行った。きっとバカでかい毛布を一枚、容易く持って帰ってくるだろう。

 俺は俺のまわりに集まった全てのガラクタたちに視線を流してから、あらん限りの力で拳を突き上げた。

「タイムリミットは2時間! 余裕だな、おまえら!」

 ガラクタたちは廃屋を揺るがすような鬨の声を上げ、作戦を開始する。

 

***


 カチッ、カチッ、と。サー・クロックが時を刻んでいる、その音だけか響く。部屋の中はぬいぐるみの布の音さえやかましく聞こえてしまうほどの静けさに包まれていた。

 館中から集めてきた紙類100枚ほどに、一黒齋の爺さんがマイの似顔絵と彼女に関する情報を書き終えたのが1時間ほど前。それからすぐにDBが、紙束を持ったシスターズたちや数体のガラクタを乗せて館を飛び出して行った。荒れた床板を飛び越えていく姿は、中々勇ましかった。だが調子に乗るのでDBには言わないでおく。

 部屋に残ったのは俺たちアサルトチームと、今回は出番のないガラクタたち。そして、マイ。エレガント・ベビィが見つけてきた毛布を被って、安らかに寝息を立てている。床で丸まる彼女に俺は、「もう少しだ。耐えろ」と囁いた。

 木机の上のギャングアリゲータと目が合う。凶暴な目が俺に頷きのような瞬きし、俺も頷きを返す。作戦開始は午後2時半。クドウの出発予定よりも30分早い時間だ。

 カチッ、と。サー・クロックの針が、最後の秒針を振った。

 次の瞬間。けたたましく鳴り響いた鉄のベルが、部屋の静寂を破り裂いた。


 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ


 サー・クロックは鳴り止まない。全身全霊で己の出しうる最大音量でベルを打つ。

 ベルの音が途切れることなく1分ほど続くと、上階を走り回る足音が聞こえ、物々しい音を立てて何かが2階から転がり落ち、大きな影が部屋に入ってきた。クドウだ。

「ッるせぇ! なんだっつーんだオイ!」

 脂ぎった髪に指櫛を突き込む。そして奇声を発しながら目覚ましの場所を探し始めた。床、テーブル、窓枠、椅子。クドウは彼自身の狭い常識の範疇で必死に考えを巡らせているようだ。だがサー・クロックはそんなところにはいない。その身を巧妙に隠しながら、クドウの神経を逆撫でするように、鳴り続ける。

 マイの耳には耳栓をぶっさしてあるから問題ない。俺は段々と愉快になってきた。

 更にたっぷり2分ほど悩み、クドウはテーブルの上に視線を戻した。テーブルの上のワニの玩具に。恐る恐るといった様子で口の中を覗き込み、彼はわかりやすく笑みを見せた。サー・クロックを見つけたのだ。そして彼は躊躇いもなくワニの口に手を突っ込む。時計のベルは鳴り止み、そして、

「……ッツアアアアアアッ!?」

 絶叫と共にすぐさまワニの口から引き抜かれた手は、赤く染まっていた。ギャング・アリゲータが容赦なく噛みついたのだった。それも彼の噛みつきはただの玩具のそれとは違う。上の歯を全て画鋲に換装しての噛みつきだ。クドウの手の甲はまるでキノコの原木のように何本もの画鋲を生やしていた。

『ゲームオーバー! 美味しい手をありがとよガハハハハハハハ』

 ギャング・アリゲータのシステムボイスが、愉快そうに告げた。

 狼狽え、戸惑い、苦鳴を上げるクドウ。第1段階の成功を喜ぶのも束の間、すぐさま俺は第2段階への移行を指示した。

 俺の隣に立っていたスリングショットのカタパルト十三と、ビー玉族の約半数に当たる50粒が動き始める。ビー玉たちは統率の取れた動きで十三の後ろに並び、まず先頭の1粒目が革製の発射台に腰掛けた。すると戦地へ飛ぶ友へ敬意を示すように、残るビー玉たちが一斉に身体の角度を正した。

「不肖某パパゲーナ、1番粒を務めさせていただきます!」

 最初の1粒が声を張り、

「クリスタルヘッド万歳! 1番粒パパゲーナ万歳!」

 その他全粒が声を揃えて答える。十三は何も言わずに狙いを定め、俺はクドウを睨んでタイミングを探る。

「痛ぇ! 痛ぇよ! なんなんだクソが! クソが! クソがあぁぁぁぁああぁぁぁああ」

 クドウは叫びながら、画鋲を抜きながら、狂ったように地団駄を踏む。血の付いた画鋲がぼろぼろと手から落ちていく。手は苺みたいに穴だらけだった。そして彼の意識が完全に自分の手に向いたところで、俺は「いけッ」と囁く。

 カタパルト十三のゴムに力強く導かれ、1段粒パパゲーナが発射される。

 第2段階。それはビー玉とスリングショットによる死角外からの射撃。

 パパゲーナは壁に向かって飛んでいき、跳弾によって角度を変え、鋭くクドウの肩を刺す。

 画鋲の痛みも冷めやらぬ内に次のビー玉がクドウを狙う。彼は身体を捩って、声にならない悲鳴を上げた。

 ビー玉たちはパパゲーナに続く。2番粒、3番粒、4番粒。十三の巧みな狙いによって、彼らは壁や天井を経由して吸い込まれるようにクドウへ到達する。四方八方から襲い来るビー玉の雨に、まだ全て抜けきっていない右手の画鋲。クドウは最早どこに驚き、どこを痛がり、どうすればいいのか分からないといった様子だった。

 まだ画鋲の残る手で、クドウは頭を抱えて守りの姿勢に入る。せめて頭だけは、という思いだろう。

 だがもう遅い。彼が頭を抱えたその瞬間に、俺は床に向かって既に、第三、第四段階への移行を指示し終えている。

 第三段階。スリングショットで飛ばなかったビー玉族の残り半分が、部屋の隅から一斉にクドウの足下へと転がっていく。

 ビー玉空中部隊によるスリングショット攻撃はまだ続いている。

 その一方、統率の取れたビー玉地上部隊が、古代ギリシャの歩兵部隊を思わせる密集陣形で進撃し、そして頭を抱えたままたたらを踏むクドウの足下で一気に拡散。彼はビー玉に足を取られてバランスを崩し、転倒。そこへ第4段階として拳サイズの水晶玉クリスタルヘッドを抱えたエレガント・ベビィが、棚の上からクドウの顔面めがけてダイブ。そして見事クドウを仕留める、という筋書きだった。

 しかし。

 クドウはバランスを崩しこそすれ、倒れはしなかった。ビー玉だらけの床に膝と手を突き、踏みとどまった。

 まずいっ、と俺はエレガント・ベビィに向かって歯を食いしばる。しかし彼女はこれ以上ないほど完璧なタイミングで空中に飛び出していた。これ以上ないほど完璧なタイミングなのだ。クドウが倒れていれば。

 コマ送りに落ちていくベビィの表情が、驚愕と困惑を浮かべていた。もう俺の指示は間に合わず、間に合ったとしても空中のベビィに為す術はない。今度は俺が頭を抱え込む番だった。

 重い音が響いて、ベビィとクリスタルヘッドが床に落ちた。腐った木の床に彼らは倒れた。俺は唇を噛み、自分の詰めの甘さと判断の性急さを呪った。

 クドウが物音に気がついて、床の2体を見下ろした。ビー玉族の攻勢は終わっている。彼の顔にこれまで溜め込んだ怒りが赤く浮き上がる。

「………ァアアアアアアッ! ッッぽkllmぽkぽjぽjp1おぽkッ!」

 言葉にならない奇声を放ち、クドウは床のエレガント・ベビィを渾身の力で蹴り飛ばした。

 宙に舞ったベビィの手足は歪な角度にねじ曲がり、首はもげた。下手をすれば二度と元どおりにならないかもしれないもげ方。唖然としたベビィの表情が、衝撃の凄まじさ物語っていた。

 クドウの反撃は凄まじかった。借金へのストレス、言うことを聞かないマイ、そして全身を襲った理解不能な痛み。そういった目に見えない現実の棘を全て怒りに変えていた。発狂。肉体のタガが外れてしまったかのように暴れのたうつ四肢が、床を砕き、壁を穿ち、転がっていたガラクタを踏み砕く。耳を打つ断末魔のような破壊音。絶望の光景が目の前に広がった。

 俺は考える。どうすればクドウを止められるか。このままでは俺たちは皆奴に破壊される。原型をなくして、廃屋の一部になって、終わる。そしてマイも。俺たちがクドウを止めなければ、彼女もまた悲惨な目にあう。知らない中国人に売られ、親と引き離され、闇の底に落ちる。

 クドウの投げた椅子の残骸が、俺や十三の立つ棚を直撃した。俺たちは軽々と虚空へ投げ出される。上下左右がなくなって、俺の頭は白く染まる。冷たい床に叩きつけられ、暴れ止まないクドウを見上げ、為す術なしと目を閉じかけたその時。俺は床に転がっていた愛用のパイプを見つけた。

 その瞬間、最後の手段を閃いた。きっと今まで一番危険で無謀なその作戦。成功する可能性は限りなく低い。だから俺以外の誰かにやらせることは出来ない。

「十三、クリスタルヘッド。俺は今からあそこに落ちてるパイプを取りに行く」

 俺は隣に転がっていたスリングショットと水晶玉に呼びかけた。

「俺がパイプを手に入れたら合図をするから、そしたら十三がクリスタルヘッドをヤツの脛めがけて打ち込んでくれ」

「御意」「わ、わ、わかったよバーニー」

 俺はゆっくりと動き始める。

 ひとしきり破壊したのか、嘘のようにクドウの暴風が止む。部屋は一転して静けさに満ちる。壁からぶら下がっていた木片が、ずんっと床に倒れ落ちた。クドウが動きを止めた今、これを逃す手はない。パイプと俺との距離は2メートル。人間の足では数歩だが、俺たちガラクタにとってはそれなりの距離だ。慎重に、しかし素早く、

 そこで俺は、クドウがある1点を見つめていることに気がついた。

「……何の小細工をしたんだ、クソガキ。大人を舐めるなよ………」

 数秒前の狂った怒声からは想像もつかない冷たい声。部屋の空気を張り詰める。踏み出した足が止まる。俺とパイプの間に立ち塞がったクドウの身体が、マイを向いて固まっていた。

 いつの間にか起きていたマイは、毛布を被って部屋の隅に潜り込むようにして逃げていた。クドウの言葉に答える声はない。ただ震えるだけだった。さすがの彼女も、度を越えたクドウの怒りに怯えることしかできないらしかった。

 マイには近づけさせない。そう思ったが、俺もクドウの怒りに足が竦んでしまっていた。

「……決めた。少し安くなってもいい。あの中国人には500万円ほど安値で売ってやる。だがその代わり、俺にお前を痛めつけさせろ。そうでないと気が済まない結局必要なのはお前の中身であって外見なんてどーでもいいんだそりゃあ数回は使うかも知れねえが多少傷ついてても服でどうにかなるだからいいんだ顔さえ傷つけなきゃどこだって多分平気だ平気なんだ」

 クドウは、折れた椅子の脚を握りしめ、1歩1歩マイに近付く。ささくれが杭のように尖った脚は、振られる度に空気を鳴かせる。

 マイがあぶない。動け。動け俺の足。ここへ来て自分が可愛くなったか、ウサギ。マイは自分よりも俺を心配してくれた。ただのガラクタの俺を心配したんだ。それなのにお前はマイよりも自分を優先するのか。俺はウサギのぬいぐるみ。痛みは感じない。クドウを恐れる理由はない。動け。動け。動け。

 マイの顔を見上げる。その目は弱々しく揺らいでいる。誰かの助けを求めている。

 俺の恐怖は消え失せた。

「頼むっ!」

 鋭く言い放つと同時、俺は床を蹴った。己の弱さをかなぐり捨て、クドウの股の間をすり抜け、パイプへ向かって全力疾走する。視界の端で、クリスタルヘッドが勢いよく宙へ飛び出す。

 ビー玉族が銃弾ならば、彼は砲弾。拳大の水晶玉はカタパルト十三の正確な狙いによって浅いカーブを描き、クドウの脛に直撃した。ともすれば骨を粉砕しかねない一撃に、再びクドウの絶叫生まれる。

 クドウは手にしていた椅子の脚を投げ出し、喉を摺り下ろすような呻き声を上げた。かなり効いているらしい。俺はそんなヤツの姿を横目に、床に滑り込んでパイプを手にする。懐かしさすら覚える柄の握り心地。それに浸る間もなく俺は、手足で床を弾いて立ち上がる。

 脛を押さえてうずくまりながら、クドウは上体をのたうって暴れ出す。

「ったアアアアアアッ! 痛ェエエエエエエッ! クソクソクソクソクソォオオオオ!」

 暴れる以外に芸がないのかこの男は。そう呆れてはみても、哮り狂った彼の姿は俺たちガラクタにとっては脅威。マイが見ていることも構わず逃げ出す他のガラクタたちだが、逃げそびれた連中は容赦なく、振り回されるヤツの腕に薙ぎ払われる。

 離さないようパイプを強く握りしめ、俺は冷静かつ迅速に狙いを定めた。激しく暴れるクドウの、踵、膝、腿、腕、肩、そして頭。脳裏に結ばれる目標までの道筋めがけ、走り出す。暴れるヤツの手足をかいくぐり、俺の数倍はあろう身体を駆け上がる。身のこなしには自信がある。決して振り落とされず、俺はヤツの肩に辿り着き、そこで目があった。

「……ぬい、ぐるみ?」

「もう遅い」

 俺は両手で掴んだパイプを大きく振りかぶり、渾身の力でクドウの顔面に振り抜いた。先端の膨らみが真芯でクドウの左目を捕らえる。壮絶な痛みに、彼の声は消え、

「今のは俺を投げ飛ばした分」

 返すパイプでその鼻っ柱を叩く。今度は濁った声で悶絶し、顔を押さえてうずくまる。

「今のは、ガラクタたちを痛めつけた分」

 最後に俺はヤツの肩を踏み台にして宙へ飛び上がり、

「そしてこれが──」

 空中で身体を限界まで反らし、大上段にパイプを振りかぶり、重力の力を借りて、

「──マイを苦しめた分だッ」

 ハンマーの要領で振り下ろしたパイプが、クドウの脳天を潰す。

 クドウがとうとう両膝を突く。頭を抱え込み床にうずくまる。勝った、と拳を空中で握りし、

「──ッ!」

 クドウの手が空中の俺を掴んだ。万力のような握力が、俺の柔らかい身体を変形させていく。

「何が何だか分からないが……俺を邪魔しやがってッ……」

 全く身動きが取れない。醜く伸びたヤツの爪が、突き破りかねないほど俺の生地に食い込む。

 逃げ道はなかった。 

 クドウへの特攻は最後の手段だった。それに失敗した今、俺が取れる作戦はもうない。このままクドウに身体を千切られるか、切り刻まれるか、焼かれるか。どうなろうとも逃れる術はない。マイを見る。マイは俺を見る。困惑を浮かべる小さな瞳が涙に濡れて、俺は心の中で彼女に謝るしかない。

「どっせ──────いっ!」 

 と。そこへ黄色い車体が割り込んできた。廃屋の窓を突き破り、力強くヘッドライトを輝かせたラジコンダンプ。強烈な光がクドウの目を奪い、重いボディーが顔に正面衝突する。たかがラジコンカー、されどラジコンカー。DB渾身の体当たりに、クドウが大きく仰け反った。さらにDBの背中から飛び出したシスターズたちが、それぞれクドウの顔面にだめ押しの体当たり。その威力はさながら小さなミサイルである。

「大丈夫かい!? バーニー!」

 情けない格好ながらもどうにか着地した俺は、目の前で華麗なドリフトを決めたDBに頷く。見直したよ、DB。お前は本当に世界一のラジコンカーかも知れない。

 そしてにわかに屋敷の中が騒がしくなってきた。ガラクタたちの立てる音ではない。幾つもの、そう、人間の足音。

 部屋に人影が飛び込んできた。

「マイッ!」

 上背のある、顎髭が印象的な男。高級そうなグレーのスーツに身を包んだ彼こそが、マイの父親なのだろう。

「パパ……?」

 三日ぶりに目にした父親に、堪えていたマイの涙が溢れた。

「パパぁ……」

 弱り切った身体で毛布をはね除け、這うようにして彼女は父親へ近寄っていく。父親はこれ以上ない力でマイを抱きとめた。

 続けて部屋に入ってきたのは線の細い艶やかな女性。そしてさらにその後に続いて、年老いた者から十代くらいの者まで様々な男たちが雪崩れ込んでくる。

 そんな中、床に倒れたクドウはマイの父親を見て震えていた。誘拐が失敗したこと、警察に掴まること、そんな類の震えではない。もっと根源的な恐怖による震え。恐らく、死への震え。

「か……かん…そんな……嘘、だろ……カンダさん……なんであんたが」

 名前を呼ばれた父親が、首だけで男の方を向く。

 その顔は、冷静に、しかし炸裂する寸前の爆弾のような怒りをたたえていた。


***


 上田マイ。それがマイのフルネームだった。

 父親は白砂会上田組の組長、上田桜花といった。クドウが9000万もの借金をしていた「カンダ」という人物はマイの父親と同一人物。上田は「カンダ」とも読むらしい。つまりクドウは借金相手の子どもを誘拐して金を巻き上げようとしていたのだった。

 マイの父親は低い声で「連れて行け」と呟き、その声に応じて周りにいた若い男がクドウを引き摺っていった。ヤツの細糸のような叫びが廊下の向こうに消えていくのを、俺は少しばかり同情するような気持ちで聞いていた。ヤクザという職業の人間を怒らせると死ぬよりも酷い目に合う、と聞いたことがある。

 クドウや組員らしき他の男たちが部屋の外に出ていったしまうと、いよいよカンダは男泣きでマイを抱きしめた。ヤクザとはいえ人の親。誘拐された娘が何よりも心配だったのだろう。

 俺は家族三人の喜びの泣き声を背に、部屋から出て行った。彼らは俺に気がつかなかった。


 洋館の屋上からは、昏れなずむ人間の街が見渡せる。パイプを屋上の縁に置き、俺は懐かしい座り心地に尻を落ち着けていた。空を燃やすような夕陽が、ビルの間に沈んでいく。もうすぐ夜がやってくる。長い3日間だった。

 洋館の前庭に人影が出てきた。マイの母親と毛布ごとマイを抱える父親。2人は、前庭に止められていた夕陽を照り返す黒塗りの車へと歩いて行く。

 その時、父親の腕の中にいたマイが俺を見上げた。つぶらな少女の瞳が俺を見る。偶然だったのか、俺がここにいたのを知っていたのかはわからない。しかし確かに彼女は俺を見た。

 細い手が俺に向かって振られた。その指に俺の耳が巻かれていた。俺も小さく手を振り返す。すると彼女は驚き、満足したようにほほ笑んだ。

 3人を乗せた車は静かなエンジン音を引いて、前庭から走り去っていった。

 俺はマイに向かって振った手を頭に乗せる。今はもうない左耳の跡。だが悲しみも悔しさもなく、ただ誇らしい気分だけがあった。

 ありがとうよ、と俺はもう見えなくなった車に向かって呟いた。


 俺はバーニー・ザ・ワンサイドイアー。

 この楽園に棲み着いたガラクタの1つ。

 夜のように黒い毛並みと、月のように青白い瞳を持った、誉れ高き片耳のウサギだ。 

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