ゴミ溜め、墓場、パンドラの箱、あるいは宝の山

桜田一門

廃屋の片耳ウサギ

第1話 廃屋の片耳ウサギ - ①

 街外れにある洋館は俺たちの楽園だ。

 そよ風に剥がされる壁。苔と埃が縄張りを争う床。至る所から身を伸ばす雑草。かつて人が住んでいた気配など微塵も感じさせない退廃的な雰囲気は、一体いつの頃から醸成されてきたのだろう。廃墟となって久しいこの建物には、街の人間はおろかそういう類のマニアですら全くといっていいほど寄りつかない。

 静謐で厳かで美しい俺たちだけの楽園だ。

 人間に捨てられたガラクタたちの辿り着く果てだ。


     1


 俺はバーニー・ザ・ワンサイドイアー。楽園に棲み着いたガラクタの一つ。夜のように黒い毛並みと、月のように青白い瞳を持ったウサギ。ぬいぐるみのウサギだ。

 俺たちが楽園と呼ぶ洋館は三階建てで、かつて暮らしていたのはさぞや気位の高い人間だったのだろうと容易に想像させる豪奢な造りをしている。ダンスパーティーが開けそうなリビングがあり、ちょっとしたレストランのようなダイニングがあり、風呂はさしずめ小さなプールといったところ。だがそんな洋館も今では廃墟と化していて、ここで暮らそうなんていう酔狂な人間はいない。廃墟マニアや、度胸試しをしたい地元の不良すら近寄らない。ひょっとすると幽霊だって忌避する。そんな場所だ。

 俺の定位置はそんな洋館のリビングのソファの上。愛用のアップルベントパイプを椅子代わりにして、何を考えるともなシネマスクリーンのようなテレビを眺める。それが一番心が落ち着くのだった。

『ヘーイ! YOYO ブラザー バーニー 今日はなーにーを見たいんだーい? 俺はブラウン・ダイス 皆のクラウンだい 最高のテレビ YOYO』

 俺がソファに来るとすぐに、テレビに電源が入る。そしてやかましい男の声がヒップホップで歓迎する。50インチのブラウン管テレビ、ブラウンダイスだ。

「ああ、ブラウンダイス。適当にオススメを教えてくれ」

『本日7月7日 水曜日午後 おすすめは何か スパイシーニュース 素晴らしいニーズ』

 ジョーカーの声とともにチャンネルが切り替わり、人間の世界の光景が映る。人間の世界の事情など、俺たちガラクタにとっては知ってどうにかなるものでもない。ただテレビという娯楽は、それなりに楽しい。クソみたいな人間が生み出した、数少ない優れものだ。どんな奴にも褒めるべきところはある。俺はテレビからそれを学んだ。

『YOYO 今日のニュースの一押しは 摘発された中華料理屋 東京は神田の中華料理屋 魅惑の中華 疑惑はなんだ 違法な商売? 続報頂戴』

「わかった。わかったから少し静かにしてくれ」

『オーケーソーリー 黙るよ、バーニー』

 うんざりしたような声で頼むと、ブラウンはすんなり黙ってくれる。やつは素晴らしい番組をいくつも快く紹介してくれるが、余計な副音声だけが玉に瑕だ。

 しばらくそうして画面を眺めていると、突然やかましいモーターの音がアナウンサーの声を遮った。パイプを降り、ソファの淵から足下を見ると、案の定、DBのやつがそこにいた。

 DBはラジコンのダンプカーだ。いつもうるさくて大袈裟で慌て者で、この楽園に訪れるトラブル案件の大半はDBが持ってくる。案の定今日もそうらしかった。

「大変だ! 大変なんだよみんな!」

 DBのいう「大変」というやつは、取るに足りないことか歴史的な大事件か、そのどちらかに限られた。中間はない。「少々骨が折れる大変さ」など、わざわざDBは持ってこない。

 DBは前輪を浮かせ、後輪だけでしっちゃかめっちゃかにリビングの床をかき回しながら、その場にいたガラクタたちを集めた。かわいい指人形のフィンガーシスターズ、筆置きの一黒齋老人やスリングショットのカタパルト十三、目覚まし時計のサー・クロック、百粒余りのビー玉族に、水晶玉のクリスタルヘッド。エレガント・ベビィなど。暖炉の下にはあっという間にガラクタたちの枯れ垣が出来た。俺は二割ほどの興味で、ブラウン・ダイスは全身の興味で、DBがこれから何を言い出すのかに耳を傾けた。

 DBは勿体ぶるように一度ウインカーを点滅させ、それから甲高い声で叫んだ。

「この館に、人間の子どもがいる!」

 そいつは確かに大変だ。俺は目を閉じて天井を見上げた。勿論歴史的な大事件という意味で。


***


 子どもは一階の奧にある、比較的日当たりのいい五角形の部屋にいた。トイレや風呂や物置ではない、ということが辛うじて分かるくらいの小さな部屋だ。

 部屋の隅に丸まって倒れていた子どもを前にした瞬間、俺の身は強ばった。

 子どもの肩が時折上下に揺れた。寝ているらしかった。真っ直ぐな黒髪を2つに結び、桃色の頬がぷっくりと膨らんだ6、7歳の女の子ども。下ろしたてのような皺の少ない紺のワンピースを着て、真っ赤に光るエナメルの靴を履いていた。今のこの廃屋に収まるには歪だが、廃屋になる前の洋館であれば相応しく暮らすことの出来る、身なりのいい少女だった。

 物好きなガラクタたちが何体か、そっと彼女に近付く。けれどもほとんどのガラクタたちは遠巻きにその様子を眺めているだけ。俺もその1つだった。

 この洋館は人間に捨てられたガラクタたちの楽園。俺たちの大半は人間に乱暴に扱われたり、古いとされたり、飽きられたり、失くされたりしてここに辿り着いたのだ。だから人間を脅威に感じているし、恐ろしいと思っている。人間を嫌うものだって少なくない。

 俺も人間を嫌うガラクタの1つ。その中でも特に、目の前に倒れているような女の子どもが大嫌いだ。彼女を見た瞬間俺は踵を返そうとした。しかし既に俺の後ろにはガラクタたちが集まっていて、連中を掻き分けるのには骨が折れると分かったから仕方なくその場に留まった。

「おい、行けよDB」

 そう言ったのはワニの玩具、ギャング・アリゲータ。凶悪な歯を蓄えたデカい口で、DBのケツを押した。トラブルを持ってくるDBは、その責任を取って一番手を任されることが多い。本人もそれをまんざらと思っていないらしく、ヒーローにでもなったかのようにウインカーをチカチカと光らせて少女に近付いた。

 DBは恐る恐るといった様子でタイヤを回し、少女の頭の辺りをアイドリングした。少女は目を覚まさない。不安と好奇心を半分ずつ向ける他のガラクタたちを振り返り、DBは意を決して少女の腕にバンパーをぶつける。何度か繰り返すと、やがて少女はもぞもぞと動きだし、そっと瞼を開いた。

 緊張が走る。俺たちは動きを止め、ただのガラクタに戻った。絨毯爆撃を受けたかのようにバタバタと廃屋の冷たい床に転がった。

 涙の雫に睫毛が揺れて、薄茶色のつぶらな瞳がガラクタたちを見た。

「……ここ、どこ?」

 身体を起こし、少女は寝ぼけ眼で部屋の中を見渡した。割れた窓ガラス、剥げ落ちてまだらになった壁、床に散らばる朽ちた木材、部屋に充満するカビ臭さ。さながら幽霊屋敷の有様を目の当たりにして、少女が一瞬で不安を覚えたのを俺たちガラクタは感じた。

「まま」

 部屋の中に誰もいないと分かった少女は、震える足で立ち上がり、「まま、ぱぱ」とか細く繰り返しながら部屋を出て行った。

「いったい何なんだあの子は」「なんでここに?」「人間とはいえレディーだ。皆丁重に扱え」「気取るでないぞ目覚まし時計」「クリスタルヘッド! 偉大なる我らが王よ!」「ふん。あのおこちゃまもわたちの前ではおじやみたいなものでちゅわ」

 ガラクタたちがどよめき出す。驚きや好奇心が恐怖に競り勝ち、言葉を交わさずにはいられないようだ。俺は黙ってあの少女の声が洋館の至る所へ移動していくのを聞いていた。

 しばらくして少女はとぼとぼと元の部屋に戻ってきた。身を寄せ合って言葉を交わしていたガラクタたちはすぐに床の上に転がって死んだ振りをした。少女はついさっきまで自分が倒れていた床にうずくまると、堪えきれずに泣き始めた。大粒の涙を目の端からぼとぼとと溢し、鼻水をだばだばと垂らす「まま」と「ぱぱ」と漏らす声が殆ど言葉になっていなかった。どうやら彼女が望んでここに来たわけではない、ということだけは俺たちにもわかった。

 ガラクタたちは泣いている少女の様子に、互いに顔を見合わせる。どうしたらいいのかと迷っているようだった。俺の隣に立っているいつも陽気なフィンガーシスターズも、今ばかりは不安げに眉を下げていた。

 俺は無視を決め込む。人間の、それも女の子どもに同情してやる義務も義理もない。他のガラクタたちをよそに俺は背中に下げるパイプを椅子にして座る。やかましい泣き声。赤ちゃん人形のエレガント・ベビィに負けず劣らずだ。パイプの柄にもたれて、俺はため息を吐く。

しばらく待っても泣き止まない子どもを見かねたガラクタたちの顔が、一斉に一点に向いた。困った時の汚れ役、DBだ。彼は驚いたようにウィンカーとヘッドライトを点滅させ、言った。

「ぼ、僕? 僕がなんとかしろって? 困ったなぁ。得意じゃないんだけど」

 DBはバンパーに照れを滲ませて、皆より一つ前に出た。口では嫌々と言いながらも、DBは汚れ役を期待の裏返しだと考えている。なんとも哀れな思考だが、扱いやすいから誰も何も言わない。

 泣きじゃくる少女が気がつかないよう、そっと近づくDB。皆はその様子を固唾を呑んで見守る。俺は垂れ下がった自分の左耳に触れながら、あくまで傍観者を決め込んだ。泣きじゃくる女の子どもなんていうのは剥き出しの爆弾だ。それに近付いていくDBの姿に、俺は僅かばかりの緊張を覚えた。

 DBが先ほどと同じく、バンパーをそっと少女にぶつける。それでピタリと彼女は泣き止んだ。まるで蛇口を閉めた水道のように。

ガラクタたちの間の空気が張り詰める。彼女がDBに対してどう出るのか。感情に任せて払いのけるのか、無視をするのか、あるいは。

「……くるまさん」

 少女は鼻声でそう言って、DBに手を伸ばす。幾つかのガラクタたちはこの後に起きるかも知れない悲劇を想像して、顔を逸らす。俺の隣でも、シスターズが小さな五つの身を寄せ合う。

「えへへ」

 少女は鼻水をすすって顔を綻ばせた。そしてDBの背中を掴むと、前後に動かし始めた。きゅるきゅるとDBのタイヤが鳴る。DBはラジコンカーだからそれが正しい遊び方ではなかったが、少女は間違いなくDBで遊んだ。壊すでも無視するでもなく、楽しそうな顔を浮かべて。 

 こちらを向いていたDBが素早くウインカーを瞬かせる。喜びの点滅だった。ガラクタたちが少女の死角で顔を見合わせた。一様に嬉しそうにして、声なき声で歓声をあげた。人間に捨てられたガラクタたちにとって、少女がどう出るか気が気でなかったのだろう。安堵の笑いがあちこちに生まれた。

この日ガラクタたちは廃屋に置き去りにされていた少女と出会った。ガラクタたちは彼女が信頼に足る人間だとみなして、彼女がいないところで大いに盛り上がった。彼女が知らないうちに近くに寄って、ガラクタたちは久しぶりに人間に構ってもらえる喜びを思い出した。

  だが俺は、あの女の子どもを微塵も信用していなかった。

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