122 ウルルとイルン
異様な光景であった。
ダーたち一行も、冒険者たちも、隊商の人々も、驚きの表情でたがいの顔を見合わせるしかない。
それも当然であろう。絶対的有利な立場にある襲撃者――凱魔将ウルルが、単なる魔族の一少年の前に膝を屈しているのである。
いや、もはや誰も、彼がただの少年であるとは信じてはいない。
この沈黙を破ったのはダーであった。
「少年――名は確か、イルンとか言ったの。おぬしはずっと何もわからぬと申しておったが、すべて偽りの演技であったのだな」
その声に、少年はゆっくり振り返った。
表情には苦い笑みが浮いている。
「ごめんなさい。正体が割れると、あなたたちにも危害が及ぶ心配があったから……。僕はずっと、転移魔法で大陸中をさまよっていたんだ。行くあてもなく。でも、フシャスークもガイアザも、すでに魔王軍の支配下にある。僕という存在がまったく知られていない土地は、ここヴァルシパルしかなくなっていたのさ」
「なぜ、おぬしは追われておる。それも凱魔将ほどの高位の魔族に」
「話せば長くなるけどね。ウルル、少し時間をくれるかい?」
ウルルは膝を屈した姿勢のまま、頭を垂れた。
少年は話しはじめた。魔王は200年に一度、ハーデラ神の力が増大した瞬間、誕生するということ。
そして魔王襲名のルールはたったひとつ。その瞬間、もっとも強大な魔力を有する人物が選ばれる。それだけだということ。
そうして選ばれたのが、その生涯を魔力の研究に捧げた男、ヨルムドル・ランディニリであった。襲名時すでに160を越える老齢であったという。
しかし、そこまでの老齢の魔王など、過去に例がない。
年齢的には、いつ老衰で倒れてもおかしくはない。そこで魔王の側近たちは保険をかけることにした。すなわち、ヨルムドルに次ぐ魔力を有する魔物を探し出し、後継者として用意しておくことにしたのである。それがここにいる少年、イルン・ウェミナーだった。彼はそれまで共に暮らしていた両親から隔離され、ダーク・クリスタル・パレスで生活をすることになった。
「だけど、そこである問題が生じたんだ」
「問題とは?」
「――現魔王ヨルムドル様による、イルン様暗殺計画だよ」
うなだれた姿勢のまま、ウルルが口を挟んだ。
ダーはしばし絶句し、考えこんだ。かるく衝撃を受けたのだ。
「つまり、現魔王ヨルムドルと、魔王候補であるイルンには、派閥による対立があったということですね?」
代わりに口を開いたのはエクセだった。
「対立ということもないよ。失礼な言い方だけど、イルン様はあくまでヨルムドル様が崩御された場合のスペアにすぎないんだ。でも、ヨルムドル様は――なんというか、性格に偏執的な面があってね」
「はっきりいってしまえば、ヨルムドル様は僕が魔王の座を簒奪しようと企てている。その妄想に取り憑かれておられるのさ。僕はすぐにダーク・クリスタル・パレスから姿を消した。逃げだしたんだ」
「貴方に懇意な魔族はいなかったのですか? 貴方の力になってくれそうな人物は」
「うん、いたよ。だけど、そこで僕が彼らに『助けて』といえばどうなるか。僕にはわかっていたんだ」
エクセもダーにもわかった。魔王ヨルムドルの命令は、あまりに無体である。なにせ、自身の後継者を自らの手で粛清しようというのだ。その命に従い、イルンを殺したところで何を得るだろう。未来の魔王を消滅させるだけではないか。
しかし、イルンを救おうとすれば、それは魔王と対立することを意味する。
下手をすれば、魔王軍はふたつに割れるほどの騒動となる。
この少年は自らが身を隠すことにより、それを避けようとしたのだ。
「だけどウルル、君がここまで来たということは。ヨルムドル様はまだ諦めていないのだろう?」
ウルルは無言で首肯した。
魔王候補の少年、イルンは深い溜息をついた。
「実を言うと、僕が襲撃を受けたのはこれが初めてではないんだ。どこへ逃げても、ヨルムドルの刺客はどこまでも、いつまでも追ってくる。僕はひたすら逃げた。死にたくは無かったから。でも、まさか君が刺客になって追ってくるとは思わなかったよ、ウルル」
「……私も、こうなるとは思ってもいませんでした。だけど、命令なのです」
イルンは、片膝をついたままのウルルの傍にしゃがみこんだ。
彼女と目線を合わせるようとするかのように。
だが、ウルルはうなだれたまま、顔を上げようとはしない。
「君と僕はパレスの中で、一番仲がよかったよね。歳が近いせいかな。君と一緒にいると、とても楽しかった。僕に転移魔法を教えてくれたのも君だったね」
「……恐れ多いことです」
「君は、僕を殺しに来たのだろう」
ウルルはびくりと身をすくめた。電流に打たれたかのように。
「なるほど。ワシらを狙ったわけではない、というのはそういうことか。ウルル、おぬしが狙っていたのはその少年の命か」
それですべて合点がいったとばかり、ダーはこっくり頷いた。
あの雑木林を利用したガトルテナガザルの襲撃は、いかにもウルルらしくない周到で陰湿な罠だった。おそらくは、彼女の発案ではあるまい。何者かの入れ知恵によるものだろう。
「――いいよ」
イルンはふっと、年相応の無邪気な微笑を浮かべた。
その言葉に引き込まれるように、ウルルはようやくイルンと眼を合わせた。
「僕は何もしていないのに、しつこく殺そうとしてくるヨルムドル様が嫌いだった。だから絶対殺されてやるものか、という意地だけで、今日まで必死に生き延びてきたんだ。だけどウルル、いいよ。君に殺されるなら、仕方ない」
そのイルンの笑顔は澄んでいた。すべてを受け入れた顔だった。
ウルルの両眼から、ぼろぼろと透明な
彼女は立ち上がり、ゆっくりと、懐から短剣をとりだした。
「いかん――!!」
ダーが大声を発し、ふたりの間に割って入ろうとした。
「部外者は入ってこないで!」
ウルルが斬るような声で叫んだ。だがダーはひるまない。
「そうはいかぬ。彼はこの
「なら、先に君たちを始末するしかないってことだね」
ウルルの双眸が、炎と燃えてダーへと向けられた。
彼女もこんな任務は受けたくは無かったのだろう。
親しかった友人を害するなど、誰であっても、魔族であっても嫌に違いない。しかし魔王直々の任務である。逆らえば、彼女も懲罰対象となってしまうだろう。
そんな、誰にもぶつけようがない鬱屈した感情が、矛先を得て、こちらに流れてくるような感じであった。
「イルン君、下がってくれ。――エクセ、コニン、クロノ、ルカ、やるぞ」
ダーは戦斧を構えた。一行は頷き、それぞれが臨戦態勢をととのえてダーの背後へと集まっていく。
そのダーの脇から、するりと滑るように前に歩み出た人物がいる。
「まさか、この異世界勇者の存在を忘れたわけではないでしょうね」
ミキモトが、じろりとダーを横目で睨んだ。
「フム。異世界勇者どのが参戦とは心強い。では、参りますかな」
「言われるまでもありませんね」
ウルルは、両の掌を向けてこちらを睨んでいる。
ダーと戦斧を、ミキモトはレイピアを構え、突進した。
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