105 奥の手

 一騎討ちは、ナハンデル側に凱歌があがった。

 しかし、これは前哨戦というより、単なる余興の部類であろう。

 本格的な戦は、これからはじまるのだ。

 ヴァルシパル国王軍から、人馬のうごめく気配がした。やがて進軍ラッパが鳴り、馬蹄のひびきが地をゆるがした。ヴァルシパルの誇る、騎馬隊が動きだしたのだ。


 これに対抗するナハンデル側は、わざと狭隘な地に陣をしき、さらに高い土塁を築きあげている。土塁はヴァルシパル側には急勾配となっていて、ナハンデル側は上にのぼりやすいよう、なだらかに設置している。 

 ヴァルシパル騎馬隊は、一気に斜面を駆けあがろうと突進してくる。だが、土塁の前には、土を盛るために掘られた穴が、堀のようにうがたれている。

 さらに馬の上には、鎧帷子に身を固めた、重い騎士が乗っているのだ。

 この状態で、騎馬が土塁を駆けあがるのは至難の業である。

 さらにエクセの献策で、土塁の上には弓手部隊が配置され、接近する騎馬をばたばたと射殺している。まともに正面突破をはかろうともくろむヴァルシパルは、序盤から無益な出血を強いられていた。

 ここにコニンも配置されていた。際立った力量をもつ彼女の存在は、大いにナハンデルの助けとなり、大いにヴァルシパルを苦しめた。


「ええい。坂を無理に上ろうとするな。あの穴を突け!!」


 号令がくだる。あの穴とは、土塁の中央部だけ、ぽかりと人馬がとおりぬけられるほどに開かれた、通行口のことを示している。

 先ほどの一騎討ちで、スカーテミスが駆け抜けていったのは、ここである。

 それを、ヴァルシパル側も見ていたのだ。

 ここが弱点であると考えるのは当然といってよかった。

 土塁の上の、弓箭隊の弓のいきおいが暫時おとろえた。

 混乱している、隙が生じた。とヴァルシパル側は判断した。


「――よし、俺が一番乗りだ!!」


 ひとりの騎士が、土塁の隙間を駆け抜け、歓喜に満ちた雄たけびをあげた。

 それが最後の言葉となった。

 次の瞬間、死んだ。

 左右から、無数の長槍が全身をつらぬき、かれを空中に固定したのだ。

 主のいない馬だけが、そのまま走り去っていく。

 

 狡猾な罠だった。土塁の隙間は、人馬一体が通り抜けるのが限界であるようにこしらえられている。

 その左右の死角に長槍隊を伏せておき、通る瞬間、刺し殺すのだ。

 馬蹄がとどろく。つぎつぎと、土塁の隙間を目指して一騎ずつ騎馬があらわれては、左右から延びる槍に全身をつらぬかれ、落馬して地に屍をさらしていく。

 彼らは土塁を通り抜けるまで、自らの運命を知らない。

 死の瞬間のみ、おのれの身に起こったことを知るのだ。


 ヴァルシパル側も、多数の犠牲者を出してようやく事態を把握した。

 なにしろ、高い土塁が視界をはばみ、裏で何が起こっているのか見当がつかないのだ。一方のナハンデル側は、急ごしらえとはいえ、豊富にある木材で造られた物見の櫓がある。これで敵の様子はほぼ一望できるのだ。

 ヴァルシパルが何かを企図する。それを櫓の上で見ている兵が、旗をあげてナハンデル全軍に伝達する。

 ほぼすべて、ヴァシパル軍が狙った行動は阻止されつづけている。

 これに業を煮やしたのが、ほかならぬヴァルシパル国王であった。


「ええい、何をしている! 森の方面は手薄であろう。そちらから一気に片付けぬか!」


「は、しかし――」


「しかしもお菓子もあるか。国王の命令であるぞ」


 国王命令であるといわれれば、騎士に否やはない。

 かれらはやむを得ず、この無茶な指令を実践に移した。

 結果は散々なものであった。 

 そもそも木々の間を騎馬で駆けるという行為が危険なものなのだ。障害物が多く、せっかくの騎馬の機動力が半減する。

 さらにナハンデル側は、そこに周到な罠を設置している。

 縄である。

 騎馬で跳びこえられない、絶妙な高さで縄を張っておく。

 すると馬の首か、騎士の身体に縄がかかる。

 騎士は当然のように落馬する。いったん落馬した騎士ほど哀れなものはない。重い甲冑が災いして、まるでひっくり返された亀のように、容易に立ちあがることすらできない。

 そこに伏兵が駆け寄り、鎧の隙間からとどめを刺す。それだけでいい。


 かくして国王の命令により、さらに貴重な騎馬が無駄に死んでいく。

 この劣勢を打ち破るには、奥の手を用いるしかない。

 決断は迅速だった。ふたたび国王の命令がくだった。


「――魔法騎馬隊を投入せよ!」


 魔法騎馬隊。

 鞍上に、馬の扱いに熟練した魔法使いを配置し、駆け抜けさせる。

 馬を疾らせながら、馬上より魔法を放つ。

 馬の突進力と火力で、敵を圧倒し、強引に勝機をつかむ。

 これこそヴァルシパルの誇る必勝戦法だった。


「ついに魔法騎馬隊のおでましです。いよいよ敵は本気ですね」


「本気なのは最初からわかっていたことではないかの」


「まあまあダーさん、ぼやかない」


「……ダー、がんばって……」


「そうです、ここからはあなたが主役なのですからね」


「おだてても何も出んが、まあ確かにワシがやらざるを得まい」


 ダーはよっこらしょと重い腰をあげた。

 いままで采配はエクセにまかせ、ダーはしばらく高みの見物にまわっていたのだが、ようやく彼の出番が到来したのだ。


「ところで弓手のコニンは、ここにいていいのかの?」


「うん、危ないから一時避難。あとはダーさん次第だよ」


 轟音が響いた。敵の放った朱雀の攻撃呪文、ファイヤ・バードが、硬い土塁を揺るがしているのだ。

 敵は一撃を見舞っては、離脱していく。

 次の騎馬がまた攻撃呪文を唱えつつ突進する。離脱する。

 この波状攻撃で、一気に場を制圧しようという構えだろう。

 それを許すわけにはいかない。


 ダーは懐から玄武の珠をとりだした。それをかざしつつ、土塁をのぼる。

 そうじゃ。ダーはふと思い出した。


「珠の力を最大限にひきだしたいなら、言霊をのせるといいわ」


 そういってアドバイスをくれたのは、深緑の魔女だった。

 ダーはさっそく試すことにした。


玄武障壁」ゲンブ・シールド 


 緑の光が、激しく視界を覆った。

 彼の手のなかの玄武の珠の力が増したように感じられた。

 振動はまるでしなくなった。

 敵の魔法攻撃は、すべて玄武の珠の力で防がれてしまっていたのだ。

 こうなるともはや、王国の誇る魔法騎馬隊といえど、なすすべはない。

 

「頃はよし、反撃開始!」


 ウォフラム・レネロスの号令一下、敵の魔法攻撃に避難していた弓手隊が、ふたたび土塁の上へと駆けあがった。弦の音がかさなりあい、矢の群れがうなりを生じて魔法騎馬隊におそいかかった。

 これを回避する方法は、騎馬隊には存在しなかった。

 ばたばたと、馬が悲鳴にも似たいななきをあげて地に倒れた。

 魔法使いは抵抗をこころみるが、この障壁のなかで何ができるわけでもない。

 矢が死の痛みをともなって、彼らを襲いつづけた。

 

 ひとりの騎士が、無念の表情で国王の前で膝をついた。

 報告をする義務が、かれにはあった。 


「王、魔法騎馬隊……全滅しました」


 その声はふるえ、かすれていた。ヴァルシパル王国の誇る最強の部隊、魔法騎馬隊が、このようなとるにたらない一領主を征伐するのに失敗し、地上から消滅したのだ。

 この事態に、王をとりまく重臣たちも、苦い表情を見合わせるほかはない。


「王よ、残念ながら、戦況はわが方の不利です」


「ここは一時後退し、ふたたび陣を立て直すべきです」


 その苦渋にみちた進言を、国王は一笑に付した。


「なぜ撤退する必要がある。私の目には、劣勢など映っておらぬ」


「しかし、われわれは刻を急ぐあまり、ほぼ騎馬隊ばかりでこの場に急行しております。攻城兵器が王都より到達するまで堅く陣をしき、防御に撤するべきでは?」


「やれやれ、心配性の家臣ばかりで、私も気苦労が絶えぬ。こちらには、まだ最強の兵器が残っておるではないか」


「はて、最強の兵器とは、どういう――」


 そのときであった。

 この場にいる全員が、思わず引いてしまうほどのド派手な格好をした若者が、ゆっくりと王の前に姿を現した。


「お呼びですかねえ、国王陛下」


「うむ、やってくれるな、ハルカゼ・ミキモト――」


 ミキモトと呼ばれた若者は、舌なめずりせんばかりの不気味な笑みを浮かべ、


「わかりました。実に! 造作もないことですねえ」


 と応えた。

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