91 暗渠の奥に

 さて、怪物を退治してめでたしめでたし、といいたいところだが、そういうわけにはいかない。後片付けが残っている。

 おびただしい量の怪物の体液が、厩舎と下の暗渠にどろどろと水溜りのようにうずくまっている。これを片付けるのは衛兵たちの仕事である。ダーたちもなんとなく責任を感じ、彼らの仕事に加わろうとしたのだが、「今回の魔物退治の功労者に、そんなことはさせられませぬ」

 と一蹴された。とりあえず強烈な体液の臭いをおとすべく、フェニックス一行は男性陣と女性陣にわかれ、水浴びをおこなった。

 

「うええ、まだ下劣な臭いが身体にまとわりついてるようだわ」


 とヴィアンカは渋面をつくっていたが、これ以上のことは宿に帰ってからになるだろう。

 それよりも、大変な報告が、地下へもぐっていた兵士たちからもたらされた。

 マンイーターの体液をすべてとりのぞくと、怪物が鎮座していた位置には、さらに下へと通じる大蓋があったというのだ。

 むろん、この設計は領主であるウォフラムは識っていたことであったが、領主一族の逃亡用の経路である。秘中の秘であり、衛兵もごく一部の上官のみに識らされていることで、当然のことながら冒険者であるかれらには知る由もない。

 ダーたちはふたたび、怪物の消滅した横穴に入ることとなった。

 マンイーターの脅威がなくなったので、晴れてクロノとエクセ、ソルンダの長身トリオも内部に入ることができた。万が一に備え、隊列の後方にまわることとなったが。

 ロセケヒトの遺体は、衛兵がすでに地上へと運び込んでいる。彼らの前には、ただ石造りの蓋があるだけである。


「はてさて、珍妙なことじゃ。蓋の上に怪物がいたというのは――」


「もちろん、意図的なものでしょうね。問題はそれが、逃亡防止用の措置か、それとも――」


「――それとも、なにかがこの下に隠してあるのか」


 エクセの言葉を、ヴィアンカが引き継いだ。

 探索の必要がある。念のため、領主の許可を得てから、かれらはこの重い蓋を動かすこととなった。


 クロノとダーのふたりが力を合わせると、程なく蓋は横へと移動した。

 竪穴は黒々とした深遠に覆われて一寸先も見通せない。

 ルカが光明の奇跡を唱える。魔法の光が竪穴を照らしだす。石造りとおぼしき床が見える。

 光の届く範囲はごく一定の距離にとどまり、その先は暗黒である。とりあえず降りてみる必要があるようだ。ソルンダは荷物から、機敏に縄梯子をとりだした。

 

「まずワシが先陣を切ろう。いちばん小柄だからな」


 ダーはそういい置いて、背嚢を背負ったまま縄梯子をくだった。たとえ行く先がどれだけ狭かろうと、身長の低いドワーフならば行動の自由が利く。

 さらに攻撃面を考えると、最適の人選だろう、と考えてのことである。

 縄梯子から、ダーは慎重に床へ足を着けた。

 さらにどんどんと、その場で足踏みをしてみる。頑丈なようだ。   

 ダーは背嚢からランタンをとりだし、火を灯した。天井を照らしてみる。高さはクロノが身を屈めずともすみそうなくらいはありそうだ。

 さらに、ルカの魔法の光の届かぬ、先のほうを照らしてみる。

 階段だ。それも螺旋を描き、延々と下へ続いている。

 ランタンの光も、階段の先をすべて照らすことはできない。とりあえずダーはランタンを頭上へ振り、下へ降りてもよいという合図をおくった。

 さすがにダーとて、敵が待ち受けているかも知れぬ場所で、大声で呼ばわるほど迂闊ではない。

 ダーの合図を受けて、一同はしずしずと下へ降りた。

 

「ほう、これは……」


 とエクセがつぶやくのも無理からぬ光景である。

 かれら一同が降り立った場所を基点として、螺旋階段はゆるやかな曲線を描いてどこまでも続いている。まるで奈落の底へと通じているのかと思えるほどに深い。

 足を滑らせないよう、慎重な足取りで階段を下りていく。

 埃っぽいのは、長い間人が行き来していない証であろうか。

 

(まるで地獄へ向かって降りていくようじゃわい)


 と、ダーが縁起でもない考えに捕われていたときである。

 ふと、階段の壁の一部が陥没しているのに気づいた。暗闇をランタンで照らすと、どうやら奥へと続く通路のようである。


「ここはなんじゃ」


「ああ、確かココは、非常用の倉庫です。逃亡したときに着の身着のままでは大変ですので、ここに武器や水、携帯用の食料などを置いておくのです」


「用意のいいことじゃ。しかし、そうそう使う部屋ではあるまい」


「それはそうですよ。あくまで非常用ですから。私もご許可をいただいたときにお話を伺っただけで、実際に見るのは初めてです」


「ダーさん、それより先へ急ごうよ」


 コニンがせかした。何しろ階段はまだ先へとつづいているのだ。

 ダーは静かに首をふり、ランタンを床へと近づけた。

 一行に驚きの表情が浮かぶ。あきらかに床には複数の足跡がある。

 ごく最近、人が何度か出入りした証明である。


「これは一体……上には怪物がいるのに……」


「その怪物と縁のふかい人物が、この先にいるということでしょう」


「思いがけず、スピード解決になりそうじゃな」


 ダーたちはひそかに頷きあい、互いの得物を手にかけた。

 ランタン片手に、ダーが通路を進む。木作りの扉が行く手をふさいでいる。

 ダーは低い身長をさらに低くし、扉をゆっくりと押し開けた。

 すぐ背後では、援護のコニンが銀色の弓をかまえている。

 

 ダーは開きかけた扉をすぐさま閉じた。

 衝撃音が通路をこだました。扉に何者かが痛撃を加えたのだ。

 

「待ち伏せか、しかし厄介じゃな」

 

 ヴィアンカ、ソルンダを含めた7人は、すこしばかり馬鹿馬鹿しく、しかし深刻な事態に陥っていた。

 細い通路のなか、扉をはさんで、敵と対峙しているのである。

 どちらも扉が開いた瞬間に攻撃を加えんものと待ち構えている。

 先に動いたほうが負ける。謎の人物との闘いは、根競べの様相を呈してきた。


「もう、いつまでやってるのよ!」


 これにしびれを切らしたのが、深緑の魔女である。


「粉砕」クランブル


 彼女が小さなステッキで扉に触れた瞬間である。扉は音もなく粉砕され、消滅した。

 それを待っていたのだろう。あっという暇もなく、彼女に襲い掛かる黒いものがある。


「――ファイア・バード!!」


 すでに空中魔方陣を完成させていたエクセが、炎を身にまとった鳥をそれに正面から衝突させた。烈しい音がこだまし、空中で黒い物質と、炎の鳥は相殺し、消え去った。

 

「なにものだ、おぬしら」


 漆黒のフードに身を包んだ、怪しい男が立っている。

 大きな杖を片手に、もう片手をこちらへと向けている。その手は小枝のように細くねじまがっている。


「それはそのまま、そっくりお前さんに返すわい」


 ダーがずい、と前に歩みよった。

 部屋のなかは、とても倉庫とは呼べぬものであった。

 部屋の四方に不気味な香が炊かれ、臭気だけでめまいがしそうだ。中央の床には呪術の刻印とおぼしき、不可解で邪悪な文字が刻まれている。その上におびただしい数のしゃれこうべが積み重なっており、不気味な塔を形成している。


「貴様かっ! 奥方様を呪っているのはっ!!」


 戛然かつぜんと床を蹴ったのはソルンダである。勇躍し、剣を鞘走らせて突進するが、あわててコニンが横からタックルして、ともに床に倒れた。

 ソルンダが先ほどまで立っていた空間に、黒い蛇のようなものが通過していく。ふたたびエクセの魔方陣から炎の鳥が飛翔し、ぶつかりあい、消滅する。


「すると貴様ら、わしのかわいいグロドゴブを殺しよったか」


「グロドゴブ? あのマンイーターのこと?」


「あれがかわいいというのなら、お前さんの価値観とは一生相容れぬわい」


「相容れずとも結構。俺の仕事は人を呪い殺すことにある。その人数が増えたのだから、たっぷりと追加料金を踏んだ食ってやるわ!」


「ほう、その追加料金を払うのは、誰かの?」


「――……」


 呪術師は沈黙した。しゃべりすぎたと後悔しているふうである。

 次の変化は劇的であった。呪術師は突如として奇声を発するや否、黒い蛇を大量に宙へと放ったのである。

 その数、とてもエクセのファイアバードでは太刀打ちできない。

 

空間消滅」エクスティンクション


 深緑の魔女、ヴィアンカが呪文を唱えた。空間にステッキで円を描く。

 その空間に泳いでいた黒い蛇が、すべて音も立てずに消滅した。

 

「それ、今じゃ!!」


 その光景を、呆気にとられて眺めていた呪術師は、咄嗟の反応が遅れた。

 気づいたときにはダーとクロノが、すさまじい勢いで飛びかかり、彼は地に叩き伏せられた。遅れてソルンダものしかかり、しばしの格闘のすえ、呪術師はついに縛についたのである。

 

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