46 ベールアシュにて
船旅は、またしても快適なものとはいいがたかった。
絶え間なくおそいくる波頭は、ダーたち一行を乗せた船を、執拗なほどに揺動させている。
空は一面、灰色のベールに覆われ、一行の顔色同様に暗い。
風はひたすらふきつけているが、厚い雲を吹き飛ばすにはいたらないようであった。巧みな逆風帆走術を用い、船はひたすらベールアシュへ。
船の右側に陸影が見えるものの、それを楽しむだけの余裕があるものは殆どいなかった。
「やっと着いたーっ!」
ベールアシュに到達した一行から、安堵の吐息がもれた。
なにしろフェニックスのメンバーのうち、船に平気なのがルカとクロノふたりだけなのだ。他のメンバーにとって、船旅の過酷さは想像を絶するものだった。
ジェルポートから陸路へ切り替えるという手段もあったのだが、それだと日数も金もかかる。魔族という脅威を背後に抱えた状況で、贅沢をいっている場合ではなかった。
――ベールアシュの町。
ヴァルシパル王国の西端の町がザラマとするなら、東端の町はここベールアシュということになる。
ザラマの町の特色としては、他国から流れ込んだ亜人の方が多いという印象があった。
このベールアシュは、それをさらに雑多にした感じである。
亜人も勿論いるのだが、人間も数が多い。肌の色が白いのや黒いのや黄色いの。さまざまな人種がごった返している。
むろん、一行は船旅で疲労していて、ゆっくりと観察しているゆとりもなかったのだが。
今回は、ジェルポート公爵家の手助けがなかったのも大きかった。ザラマの時と違い、通関の手続きがやたら長引き、彼らの肉体的疲労をより大きなものにした。
すべてが終わり、ようよう這い出るようにベールアシュの地を踏みしめる。
感慨深げにコニンがつぶやいた。
「揺れない地面がこんなにありがたいものだとは思わなかった」
「同感ですね」
エクセもうなずき、お互い青い顔を突き合わせていたときである。
「――さて、さっそく近くの酒場にでも入ろうかの」
先程まで青銅色の顔をしていたダーがつぶやいた。
「さっきまで、死人のような顔をしていたのに……」
「あなたはどれだけタフなのです?」
呆れた顔でエクセがつぶやく。
とるものもとりあえず、彼らは歩きはじめた。
舗装された道の左右に、色とりどりの屋台が視界いっぱいにひしめき合っている。
はるかに見える尖塔は、彼らの旅の目的地、魔法使いの塔である。
「まず、今日の宿の確保です。すべてはそのあとでも遅くないでしょう」
エクセの言う事ももっともだった。
すでに通関でかなり時間をロスしており、陽は西に傾きかけている。
さっさと宿をとらなければ、このような知る辺もない土地で、野宿の憂き目にあってしまう。まごついている場合ではなかった。
鮮やかな色彩の、さまざまな果実を売っている屋台がある。かと思えば、大声で呼び込みをしている食べ物屋の屋台がある。香ばしい匂いが彼らの空腹を刺激する。
しかし、のんびり食事を摂っている暇はない。
その隙間を縫うように、彼らはもの珍しげに周囲を見渡しながら歩く。
彼らが訪れた、ほとんどの宿屋は満席だった。
船旅で疲労している彼らには追い討ちである。
「仕方ありません、とりあえずここの冒険者ギルドに寄りましょう」
エクセが提案する。ギルドによっては、宿泊施設を完備している支部もあるのだ。もちろん、他に腹案のない他のメンバーに否やはない。
しかし彼らのはかない望みは、あっさりと打ち砕かれた。残念なことにこのベールアシュは、そのタイプのギルドではなかったのだ。
「――それでは、どこか宿泊できる施設はこのあたりにありますか?」
忍耐強い笑みで、エクセが尋ねる。
「そうですね、夕暮れの海岸亭なら、空いているとは思いますが……」
ギルドの受付嬢は、親切にそこまでの地図を書いてくれた。
意外とここから遠い。
まだ歩かなければならないのか、と憂い顔を並べた一行だったが、
「お嬢さんがた、宿を探してなさるのかい?」
たくましい体格、禿げ上がった頭、鎖帷子を身にまとった戦士が声をかけてきた。どうやら、ことの一部始終を眺めていたらしい。
「今から夕暮れの海岸亭に向かってたんじゃ、日が暮れちまう。俺のいきつけに流離い狼亭という宿があるんだが、そこならここから近いぜ」
一行は顔を見合わせた。
近いならそれに越した事はない。
彼らは道案内をこの男に任せ、その宿に向かうことにした。
陽はすでに西にその身を隠そうとしている。
ベールアシュは程なく、薄暗がりに包まれた。あれほど喧騒に満ちた道も、人影がまばらになっていく。
――それから、半刻も歩かないうちだった。
「着きましたぜ、お嬢さんがた」
せまい路地を抜け、出た先は人気のない空き地である。
「はて、これはなかなか寝心地のよさそうな地面じゃわい」
飄々とダーが言う。そのときだった。
ばらばらと、どこからともなく、数人の男たちが現われた。
みな威嚇するように、それぞれ手に武器を持っている。
「女たちは全員上物だ。できるだけ傷つけずに捕獲しろ。それから、そこのドワーフは邪魔なので、とっとと始末しとけ」
スキンヘッドの戦士が指示する。どうやらこの男がボス格らしかった。
「さて、とっとと始末されます? ドワーフさん」
いささか皮肉っぽくエクセが言う。
「疲れとるときに、面倒くさいのう。まあ、クロノ一人で充分じゃろ」
「……まかせて……」
薄暗がりでよく分からないが、指名されて張り切っているようだ。
「さて、ちょっと明かりがいるのう」
「――
エクセが応じ、瞬間的に空中に魔方陣を描いた。
「大いなる天の四神が一、朱雀との盟により顕現せよ――」
「こ、この女、魔法使いだぞ!」
とりかこんだ男達がざわつく。まず女性ではないし、さらにローブ姿を見て、魔法使いであると察せられないあたり、相当な間抜けである。
もっとも、あたりが薄暗がりということもあるだろうが。
やがて炎を身にまとった鳥がエクセの魔法陣から出現し、一人の男に衝突した。
「ぎゃあああああっつうううう!!」
たちまち火達磨になってのた打ち回る男。
「これはよい松明じゃわい。さて、クロノ、やってしまえ」
「……うん、やっつける……」
クロノトールは静かに、黒いバスタードソードを抜いた。
ザラマの町で『巨大なる戦女神』『黒装甲の巨神兵』の二つ名で呼ばれた彼女の実力を、男達は目の当たりにすることとなった。
巨体に似合わぬ速度で、瞬時に一人の男の懐に跳びこんだ。
男は「ひっ」と小さな悲鳴をあげて腰の剣に手を伸ばしたが、遅すぎた。
彼の首は、すでに胴から離れている。
「……ひとつ」
クロノは静かに告げた。
さらに次の男に斬りかかる。男は剣で応戦したが、クロノの剣は、黒魔獣の角でできた特別製である。
男は、受けた剣ごとまっぷたつになって、地に転がった。
「ふたーつ、みっつ……」
次から次に、男たちは悲鳴をあげる間もなく、死体となって大地に眠った。
明かりが不足したとばかりに、エクセもさらにファイア・バードの呪文を発現し、男たちを生きた松明へと変えてゆく。
鋭い矢音。コニンも薄暗がりを苦にもせず、敵を射抜く。
「な、なんだこいつら!!」
さすがに男達も、自分らの狙った獲物が、とんでもない化物だったと気付いたようだ。
生き残った男たちは次から次に、空き地から逃げ出していく。
「ま、待てお前ら! 置いていくな!」
あわてて彼らの後を追って逃げ出そうとしたスキンヘッドの戦士は、ぐっと背後からベルトを掴まれて身動きできなくなった。
「さて、お前には、ちゃんとした宿への道案内を頼もうかの。今度こそな」
自分が出る幕もなかったせいか、いささか不機嫌にダーは言った。
「――お、おまえらは何者なんだ!?」
スキンヘッドの男の目には、ありありと恐怖の色が見える。
まるで得体の知れぬ怪物を見るような眼だった。
間髪入れず、ぐっと親指を立ててコニンが応えた。
「オレたちは『フェニックス』。これからこの町でお世話になるから、よろしく!」
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