44 フェニックス再始動

「なにやら、久しぶりじゃの」


 ダーはいつものように、エクセに気安く声をかけた。

 眼を醒ましているダーを見たエクセは、瞬間的に顔をほころばせかけた。が、不意に雲に閉ざされた真冬の空のような顔つきになり、つかつかとダーに近寄った。

 ぱあん、と乾いた音が部屋に響いた。

 エクセが、ダーの顔を平手で叩いたのだ。

 ダーは驚きにかるく目を瞠った。この美しく温和なエルフが他人に暴力を振るうなどという事態は、50年のあいだ、一度も見たことがなかったからだ。


「はて、エルフの挨拶も変わったのう。いきなり叩くのがそうであったか」


 とりあえず軽口を叩く。すると、さらに無言で手を振り上げようとしたエクセを、あわてたコニンとルカが背後から阻止する。


「だ、ダメだよエクセさん」


「そうです、らしくありませんわ」


 クロノはぬっと、二人の間に立ちふさがった。


「……ケンカ、ダメ……」


 クロノは厳しい顔つきで双方を見やる。さすがにおとなげないと思ったのか、エクセはふっと肩の力を抜いて、ぎこちなく笑った。


「大丈夫です、もうぶちませんから」


「……ほんと……?」


「ええ、ですから話をさせてください」


 ダーはぶたれた頬をさすりながら、いぶかしげに尋ねる。


「……そこまでワシがおぬしの怒りを買ったことは50年のあいだ、とんと記憶がないわい。ワシが悪いのだろうが、その理由を教えてくれまいか」


「あなたが私をかばって、死のうとしたからです」


「おかしなことを言う。ワシはただ、仲間を助けただけじゃ」


「その結果、自らのいのちを失うことになっても、ですか?」


「仲間を助けるのはワシとしては当然の行為じゃ。命を捨てたいとは思わん。思わんが、その信念に基いた結果、そうなったらやむをえぬわい」


「――では、誰が世界の危機を救うのです!」


 エクセは珍しく声のトーンを上げた。心なしか、瞳が潤んで見える。


「私はあなたの、本気でこの世界を救おうとする心。その熱い心に打たれて旅に出たのです。そのあなたが先に死んでは、意味がないでしょう。それに以前、オークの襲撃で仲間を失った3人のことも考えてください」


「するとワシは、おぬしを見殺しにするべきだったと言うのか」


 エクセの柳眉が寄った。

 しばしの黙考のあと、銀色の髪を縦に振る。


「……合理的に考えれば、そうです」


「それこそふざけるなじゃ。おぬしを見殺しにした後、宿へ帰ってニコニコ酒を飲めというのか。そんな酒の何が楽しいというのじゃ」


「別にニコニコ酒を呑む必要はありませんが」


「それはともかくじゃ。合理的には考えられぬ。最初のワシは仲間はいなかった。この4人が集まってくれたのは奇跡のようなものじゃ。それにワシの代わりはおぬしがいるじゃろ」


「断じてイヤです。申し訳ありませんが、あなたがいなくなったら、私はさっさと家に帰ってしまいますよ」


 ちょっと呆れたような表情で、ダーはエクセを見やる。


「おぬしは、あれじゃな。冷静ぶっているが、意外と一番の激情家じゃな」


「そうです、識りませんでしたか」


「知り合って50年も経てば、なんでも識っておるといいたいが、さすがに自信がなくなってきたわい」


「人はあなたが思っているより、色んな側面があるのですよ。それを取り繕いながら、ごまかしながら、人は生きているのです」


「ふむ、いつものお説教モードになってきたのう」


 ダーはにやりと笑みを浮かべた。


「またそうやって混ぜっ返す。いいですね、今度やったら、顔のかたちが変わるまで叩きますよ」


「その場合、どっちかが死んでるから不可能じゃ……」


 と、小声でコニンがつぶやく。


「約束はできぬな。ワシはな、頑固でわがままじゃからな」


「自覚はあったんですね」


「ウム。自分の言ったことは決して曲げぬ。じゃからな、危機に陥った仲間を見捨てるなどという選択肢はダーの辞書にはない」


 エクセはあきれ返ったように、深い溜息ついた。


「そうですね。あなたの意思を曲げるなんて、私の細腕でミスリル銀を砕くぐらい困難なことですからね。でも、心に留めておいてください。あなたの存在は、この国の亜人――いえ、もはや大陸中の人々の希望となってきているのですから」


 エクセは立ち塞がったクロノに目配せをした。クロノはまだ不安げな表情で、


「……もう、叩かない……?」と訊いた。


「大丈夫です。さっきのは、ほんのたわむれですから」


「たわむれでビンタされてはたまったものではないわい」


 その言葉を無視して、エクセは無言で右手をさしだした。


「よく戻ってきてくれました。ダー・ヤーケンウッフ。わが友――」


「ああ、ワシは不死身じゃからな。友よ」


 ふたりは和解の握手をかわした。

 

「おっと、オレ……あたしも忘れてもらっちゃ困るよ」


 コニンもふたりの交わした手の上に、掌を重ねた。

 続いてクロノトールも、さらにルカもそれに倣う。

 全員の顔がほころび、笑い声が室内を包んだ。

――こうして一週間ぶりに、『フェニックス』メンバーの全員が顔を揃えることになったのであった。



「それで、今回の事態について、思いだせる範囲のことを教えてください」

 

 隠す事など何もない。ダーは雲だらけの間で起こったことを洗いざらい話した。四獣神との会話。授かった未知なる力のこと。一週間の昏睡という大きなペナルティ。 

 4人は、さすがに四獣神と逢ったなどという話は想定外だったようだ。

 唖然とした顔つきで、ダーの話に口を挟む事なく、ひたすら耳を傾けている。

 ダーは「白虎との会話の途中で気が遠くなり、気付いたらここにいた」といって話を結んだ。

 かれが語り終えたあと、しばしの沈黙が室内を包んだ。 


「驚くべき話ですが、あれを見た以上、信じざるを得ませんね」

 

 エクセが神妙な面持ちでつぶやいた。


「すると今は、あの力は使えないってこと?」とコニン。


「そういうことじゃ。今後あの力を行使するならば、残りのふたつの珠のありかを見つけ出す必要があるということじゃな。でなければ、再び一週間おねむじゃ」


「せっかく異世界勇者と対抗できるほどの力を得たのに、むずかしいね」


「そのことなのですが、いささか改善の余地があると思います。聞きますか?」


「聞かせてもらおう」


「まず、いかなる生物にも、魔力マナというものは存在します。しかしそれを鍛え上げなければ、幼児のごとき力しか発揮できません。ダー、あなたは生まれてこのかた、魔法の研鑽を積んだことはありませんね?」


「それはそうじゃ。ワシにとっては魔法なんて小難しい代物、乗馬並みにやりたくないものじゃわい」


「つまり――今のあなたは魔力がゼロに等しい状態です。ないものが無理に魔法を使ったため、精神力を根こそぎ吸い取られてしまい、今回の長い眠りにつながったのです。私が言いたい事がわかってきたでしょう……?」


「とすると、ワシは……」


「はい、これから無理やりにでも、魔力マナの強化を行ってもらいます。そうすれば、眠りの間隔を短いものにすることが可能でしょう」


「……ドワーフの魔法使いとは、見たことも聞いた事もないわい」


 ダーは絶望に彩られた、情けない声をあげた。


「どうやらビンタよりも、こちらの方があなたにとって、きつい一撃だったようですね」


 エクセはしてやったりと、人の悪い笑いを浮かべている。

 これには、さすがのダーも、絶句せざるを得なかった。

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