第五章
43 目覚め
ダーは気がつくと、見覚えのある場所に横になっていた。
空に連なる無限の雲。足許も雲。例の空間にもどっていた。
おや、とダーが身を起こすと、周囲に四つの影が立っているのに気付く。
むろん四獣神である。
「おい、ドワーフ、うまくやりやがったな」
そう豪快に笑うのは、白い着流しを着た筋肉質の男、白虎だ。
どうやらダーの戦いの一部始終を、ここから見ていたらしい。
「私どもが力を貸したのですから、この程度はやってもらわねば」
冷然と言い放つのは、緑色の漢服に身を包んだ長身の玄武だ。
そう言いつつも口許が綻んでみえるのは、気のせいではあるまい。
「それでワシはまた何故ここに舞い戻っておるのかな。まさか、あのあと急死したとか、そんなオチは勘弁じゃぞ」
「まあ、似たようなものです」
「おいおいおい、それは困るわい」
「半分は冗談で、半分は本当です。あなたは力を使いすぎたという処でしょうか」
時計の針のように長身の玄武が、諭すように語りつづける。
「あなたの手許にあったのは、朱雀、青龍のふたつの珠のみです。私――玄武と、白虎の珠は所持していなかった。しかし事態が事態です。私たちはあなたに力を貸すことに決めた」
「それがまずかったのかの」
「ないものの力を借りるのだから、それなりのリスクはあるわな。その不足分は、お前さんの精神力から引き出したというわけさ。現世でのお前は仮眠状態にある」
「死んではおらぬ、というわけじゃな」
「死んではいません。ですが、肉体に意識がもどるまでは一週間ほどかかりますね」
「一週間!?」
さすがにダーも唖然とするしかない。
「この力を行使する度に、それだけワシはお休みになるということなのか」
「ですから貴方には、私たちの珠を見つけ出してもらう必要があります。そうしないと、再度あの力を行使した場合、また一週間の昏睡状態が起こるということです」
「さすがに死活問題じゃのう」
今回は、肉体は死滅していないという。それだけは不幸中の幸いである。
それにしてもとダーは思う。四獣神の力を借りる。初めての経験だったが、五体隅々まで、圧倒的な力が行き渡るのが感じられた。
あの暗黒神の力を宿したヤマダを一蹴したのを見れば、桁違いの能力なのは明らかだ。
ただし、一週間も昏睡状態に陥るようなハイリスクの能力なのである。
特に、敵をしとめそこなった場合は最悪だ。その場合。ダーは完全にパーティーのお荷物と化してしまうだろう。
「どうやらわかったようだな、ことの重大性が」
にかっと白虎が笑ってみせる。ダーとしては、肩をすくめるしかない。
「それで、どこに珠があるのか、場所は教えてくれるじゃろうの」
「そうしてやりたいのはやまやまだが――……」
「時間です――」
ダーは自らの身体が、急速に光輝に包まれていくのがわかった。
肉体が――あきらかにかりそめのものだが――うっすらと透けていく。
「おい、それは無責任というものじゃ――」
みなまで言い放つこともできず、ダーの意識は白濁化していく。
完全に意識を失う一瞬、白虎の声らしきものが脳裏に滑りこんできた。
「――すぐに来る……チャンスを逃すな……」
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
不意に、薄闇がダーを包んだ。ダーはわずかに動揺したが、すぐにこの闇は、目蓋を閉じているせいだと気付く。
どうやら地上へと帰ってきたようだ。耳鳴りが戻ってきていた。
眼をひらくと、無機質な板張りの天井が視界に飛び込んできた。
薬草の匂いが鼻につく。雲の間ではなかった感覚だ。五感が一気に、ダーへと押し寄せてくる感じである。
左を向くと、開かれた大きめの窓から清涼な風が流れ、陽光がななめから部屋に差し込んでいる。
どうやらここは、施療院のなからしい。
(さて、あの戦いから一週間が経過しているということじゃが)
どうも記憶が曖昧になっている。
ダーは天国とも地獄ともつかぬ場所で、四獣神と出合った。
ついさっきの事のように感じられたが、どうやら地上とあの空間とは刻の流れが違う、ということなのかもしれない。
(しかし、この様子だと、どうやら何事もなかったようじゃ)
耳に心地よい、小鳥の歌声が聞こえてきた。
どうやらザラマの町の平和は護られたようだ。
一週間も現世を離れていたという実感はないが、ぐうぐうと自己主張を始めるすっからかんの胃袋がそれを証明していた。
看病疲れなのか、床に膝をついて、彼のベッドを枕にするような形でコニンが眠っている。
小さな椅子には、ルカが、これまたうとうとと眠りについている。
栗色のふわふわした髪が差し込んだ光を受け、きらきらと輝いて見えてきれいである。
(はてさて、でかいのとエルフの姿が見えんの)
これはちょっとダーには意外だった。
エクセをかばったことは、曖昧ながら記憶にある。あのあと仮にエクセが死んだなら、あっちの世界で会えたはずだから、ふたりとも死んではいない、と思う。
まあ、ここは天と地の何処でもない、と青龍はいっていたから、なんの根拠もないのだが。
「やれやれ、わしが見舞われる立場になるとはのう……」
そうつぶやいたとき、がつん、と大きな音が響いた。
ダーから見て右側に設置されていた扉、その上部分に頭を強打した人物がいる。
どうやら扉を開いて中に入ろうとしたものの、かがむのを忘れて、頭をぶつけてしまったものと見える。
「……いたた……」
「そりゃ、痛かろう」
ダーがそういうと、水の入った手桶と、身体の汗を拭くための布切れを持った大きな女性が、呆然といった風情で立っていた。
いうまでもなくクロノトールである。
「……ダー、起きてる……」
「そうじゃな、さっき起きたとこ――ぎゃあ、いたたたたた!!」
手桶を放りだしてダーに突進したクロノが、ダーをお得意のベアハッグに捕えたのだ。
「いたたたたた病み上がりにやめんか、死ぬわい」
「………いや。ダー起きないの、心配した………」
その絶叫で、コニンとルカも眼が覚めたようだ。
「あー、ダーさん、起きた!!」
「よかったです。みんな心配していたんですよ」
「心配していたならこの大女の拷問からワシを助けい!」
ダーがその拷問から開放されたのは、けっこうな時間が経過してからだった。
なにしろクロノの怪力ゆえ、振りほどくのに苦労したのだ。
「ふー、危うく起きた途端にまた召されるところじゃったわい。ところで、あれからどうなったのか。ことの経緯を聞かせてもらえぬかのう」
ルカとコニンの話はこうである。
あの戦の後、参加したほとんどの冒険者はランクが上がった。特に大将首を獲ったクロノは、2つも階級がゲインした。ひとりだけ、3級冒険者に認定されたという。
これにはダーも笑みを浮かべるしかない。
ダーの手柄を奪ってしまったと、クロノは罪悪感に満ちた顔つきである。
むろん、弟子の昇進に不平を鳴らすほどダーは狭量ではない、
ダーはぐっと親指を立てて「でかした!」と賞賛した。
ここでようやく、クロノの顔に安堵感が広がった。
「ところで異世界勇者達は、どうしたのかの?」
異世界勇者たちは不平不満で口を尖らせたまま、船に乗って何処かへと姿を消したという。
彼らの行く先はようとして知れない。ある勇者は、ヤマダを追って隣国ガイアザに乗り込んだのだとか、また別の冒険者は、更なるパワーアップを目指し、新たな修行の場を目指して旅立ったなど、さまざまな噂が広がっている。
まるで眼中になかった男、ヤマダひとりにさんざん蹂躙され、危機的状況をひとりのドワーフに救われたのだ。その屈辱たるやいかばかりだろう。
そこで不意に、扉が開いた。
うつむき加減で現われた美貌のエルフが、眼をまるくしてダーを見つめている。
驚きのあまりか、絶句したままのエクセに対し、ダーはいった。
「すまんが、メシの支度はまだかのう」
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