41 戦のあとで
――その夜のザラマの町は喧騒と、にぎやかな歓声につつまれていた。
夜だというのに、町のいたるところに松明が焚かれ、さながら昼のような明るさだ。
調子外れのラッパの音や、太鼓の音があちこちから響く。天に手を突き上げ、勝利の雄たけびをあげるものもいる。
みな、片手には酒、片手には肉串を持って、陽気に踊りまわっている。
今日だけは無礼講だ。
魔王軍を完全に撃退し、しかも、町に被害はまったく及ばなかったのだ。
長期戦を覚悟していた民にとっても、快哉を叫びたくなるというものだ。
誰も彼もが勝利の美酒に酔っていた。
むろん、ここ冒険者ギルドの一階でも、その限りではない。
夜の夜中だというのにも関わらず、大勢の冒険者がひしめきあっている。
それぞれが円形のテーブルにつき、入れなかったものは二階に、そして床に座り、酒杯を高々と掲げている。
「それではザラマの無事と、冒険者ギルドの勝利を祝して」
酒杯を片手に、音頭をとるのは『ミラージュ』のベスリオスだ。
「――乾杯っ!!」
わっという歓声とともに、いっせいに酒杯が天に掲げられる。
冒険者ギルドは今回の大活躍で、一気にその存在価値を上げた。
その立役者たる選抜メンバーは、文字通り英雄である。
冒険者の誰もが、彼ら英雄たちと杯をかわそうと殺到する。ギルド内はちょっとした混乱模様を呈している。
女給はいそがしくテーブルの間をかけまわり、注文を受けては、盆に酒杯を持って帰ってくる。
焼けた串焼きのいい匂いが漂う。冒険者達は酒をぐいっと痛飲しながら肉にかじりつき、今日の主役たちの話に聞き入っていた。
「――つまり黒魔獣を放置しておくと、圧倒的不利なわけ。そこであたしの出番。気配を絶って、怪物の背中によじのぼり、ちょろちょろしているゴブリンどもを蹴散らし――」
名調子で語り続けるベスリオス。
彼女も仲間をふたり失って、つらい気持ちが強いはずだ。
しかしこうして集まってくれた冒険者たちに、笑いをふりまき、哀しみを酒で吹き飛ばそうとしている。
「ベスは強いな」
二階の手すりから階下を見下ろし、そうつぶやいたのはヒュベルガーだ。
本来ならば、ここはギルドの受付のフロアなのだが、今日は特別に冒険者たちに開放され、ここでも酒が呑めるようになっている。
「アイツもつらいだろうに……」
彼の眼には、いまだ怪物に切り裂かれたドルフの死に様が灼きついていた。
――救えるはずだった。しかし、力及ばなかった。
そもそもこの共闘は、彼が勝手に言い出したことだった。
ダーたちだけでは、なぶり殺しに遭うだけ。それはあまりにも悲惨だし、同じザラマのギルドにいる者として、捨て置けはしなかった。つい衝動的に協力を申し出たのだ。
ついてきてくれたドルフ以外のメンバーには、あとから説明した。
『トルネード』としては、一文の得にもならぬ。
俺だけが義によって参加するので、お前らを巻き込むつもりはない、と言った。
――すると、やつらは言ったものだ。
「水臭いじゃないですか、俺たちは仲間でしょう」
「そうそう、隊長だけじゃ、危なっかしくて放っておけませんや」
「――おまえら、そんなに俺が信用できんか」
憮然としてヒュベルガーが応じた。
「その装備のすごさはしってますけどねえ」
「意外とおっちょこちょいですものね、そう見えて」
けらけらと、紅一点のレインが笑う。
「おまえら、本当は俺をバカにしているだろ」
「そういう隊長こそ、そうでしょう? 俺たちの身を案じてそう言ってくれるのはいいですが、俺たちも子供じゃない。命を張って隊長がザラマを守ろうとしてるんです。メンバーの俺らがサポートしなくてどうします?」
感動に胸を衝かれ、不意にこみあげてくるものを必死に抑制するヒュベルガー。
けたけたと陽気にドルフは笑った。お前の負けだといわんばかりに。
「おまえら……」
「あきらめな、俺たち全員揃って『トルネード』だからな」
「すまん、ドルフ、すまん、レイン、すまんみんな……」
「あー隊長泣いてるーー?」
「ばか、泣くか! おまえらの馬鹿さ加減に呆れてるんだ!」
――思い出せば、いよいよ胸が痛くなる。
チームの危機には、真っ先に身体を張って防衛してくれたドルフ。俺よりもよほどリーダーにふさわしかったかもしれない。
そんなあいつは、今は単なる肉塊になって、死体袋につめられている。
「――ずいぶんまずそうに、勝利の美酒を呑む男もいたもんだ」
そう言って隣に来たのは、全身ぶかぶかのローブに身を包んだ男。コスティニル。フォーポインツのリーダーだ。
「悲しむのは後日でいいんじゃないか。薄情に聞こえるようだがな。今日だけは、あつまった冒険者のために、道化を演じてやるのもいいんじゃないのか?」
言われて気付く。またコスティニルも、仲間を失っていることに。
階下のベスは、はしゃいで魔王軍との激闘を、いささか誇張して語っている。
このお祭り騒ぎが終わったら、きっと奴も仲間の事を思い返し、こっそりと泣くのだろう。
「……そうだな、考えるだけ詮無きことだった」
ほろ苦い笑みがこぼれる。死者は甦らない。少なくとも、生物としては。
「俺が苦い顔で酒をあおっても、死者は帰ってこない、か。忠告ありがとう。悲しむのは後にして、今だけはすべてを忘れるようにつとめるか」
「そうしろ。ただでさえお前はクソ真面目だし、考え込んだら、いつまでもふさぎ込んでいるだろう」
「――そうですよ、隊長」
レイン以下、生き残った『トルネード』メンバーがやってきた。
「今日だけは笑い、明日はドルフ達のために泣きましょう」
気丈に、力づけるように、レインは言った。
「――ああーっ! ここに、英雄が集まってる!」
誰かの叫び声がした。声が若い。駆け出しといったところか。
平和に呑んでいたかったが、どうやら見つけられてしまったようだ。
「――すいません、みなさん、お話よろしいですか?」
まだ若い――すくなくとも6級以下と見える冒険者グループが、彼らの元に近寄ってきた。吸い寄せられるように、その数は増していく。
どうやら、ヒュベルガーの悲愴な顔つきが、彼らを近づけ難くしていたようだ。遠巻きに彼らの様子を窺っていた連中も、話を聞きたさに、『トルネード』の周囲に集まりはじめている。
「今回の闘いのようすを、是非みなさんの口からお聞かせ願えたらと――」
「ベスさんのお話は、大げさすぎて……」
「そら、おいでなすった。相手をしてやれよ」
長いローブの男は、ポンとヒュベルガーを励ますように肩を叩いた。そのまま、階下へと降りていく。
『フォーポインツ』のメンバーと合流するつもりだろう。
「――それで今回の戦いなんですけど――ヒュベルガーさんの炎の魔剣が、今回の戦いを勝利に導いたと聞きました。見せていただいていいですか?」
「いや、ちょっとそれは……」
「どういう心境で、今回の戦いに望まれたのですか?」
「伝説の魔法、ファイヤー・カセウェアリーが炸裂したというのは本当なのですか?」
「握手してもらっていいですか?」
「――ああ、待った待った。順番にな」
彼と『トルネード』の仲間は、矢継ぎ早にくりだされる、若い冒険者たちの質問に応えるのにてんてこまいだ。どう返答しようか。そう思って視線をさまよわせたときだった。
ヒュベルガーは部屋の片隅に、いるはずのない者達の姿を見て、眼をこすった。
そこには、ドルフ、バーンドといった、今回の戦で散った仲間たちがいた。
彼らは笑っていた。決して後悔はないと、笑っていた。
「隊長、なにボーっとしてるんです? 質問に答えないと」
ヒュベルガーが呆然としているので、不審に思ったレインが声をかける。
その声に我に返ったヒュベルガーは、今の事態を説明しようとした。
「いや、いま、そこに……」
彼らの姿は、一瞬でかき消えていた。
まるで夢を見ていたかのように。
「……いや、ちょっと疲れが出たようだ」
「隊長、夜はまだ長いですよ」
「そうだな……そのとおりだ」
冒険者たちがひっきりなしに挨拶に訪れる。その対応だけで今夜は終わりそうだ。
ヒュベルガーは一瞬、空へ杯を掲げ、一気にそれを飲み下した。
夜は続く。そして、必ず朝が来る。
明日にはまた新たなる冒険が待っている。
ヒュベルガーは心の中でひとりごちた。
――そうだな、俺たちはまだ生きるよ。ドルフ。
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