5.糖分を摂取すればするほど人間はしあわせになれる
おはらい町に入ってすぐの場所にある赤福は、繁盛の一言に尽きた。店先にずらりと並ぶ縁台はすべて人で埋まっていて、店員さんが注文番号を呼びながら合間を行き交っている。
「人がゴミのようね」
「人混みね、人混み」
「押し合いへし合いしてまで食べたくないんだけど……」
「そこまでじゃないでしょ。食べなきゃ帰れないよ」
「それこそそこまでじゃないでしょ」
「そこまでだよ」
なんて言いながらも、結局注文の列に並ぶ。
5分ほど待って、赤福と赤福氷を注文した。
赤福は言わずと知れた伊勢名物。餅をこしあんでくるんだいわゆる餡ころ餅の一種で、あんの3つの筋は五十鈴川の流れを表しているとかいないとか。ちなみに中京・近畿圏の各主要駅やサービスエリアでも買えて、名古屋駅で一番売れているおみやげが赤福だったりするくらいだ。
一方、赤福氷は夏期限定で、店舗にもよるけれど9月末くらいまでは食べられる。氷の中に特製のあんと餅が入っている抹茶味のかき氷だ。ボリュームはなかなかのもので、ひとりでも食べるにはちょっと重め。ちなみに、同じく季節限定の「赤福ぜんざい」とともに直営店でしか取り扱っていない。
お客さんが多いせいか、注文のメニューが来るまで30分待ち。空いている席があれば確保して雑談でもするんだけど、見あたらない。とはいえ立ち話には長すぎるし、買い物するには短すぎる。
空席ができるまで待つのが賢明だろうけど……そうだ。
「そこに五十鈴川があるから、河原で涼もうか」
「また現実逃避するの?」
「しないよぉ……」
河原にはわたしたちと同じで赤福の順番待ちをしているのか、それとも単に暇なのか、川に入ったりコイを眺めたりしている人々がいた。
「お、水切りだ」
大学生くらいの女子3人組と、それとは別のグループで小学生くらいの男の子ふたりが、河原の石を拾っては川面に投げつけている。それは水切りと呼ぶにはいささかつたない代物で、それこそ投げつけていると言ったほうがふさわしい。
「ヘタクソねえ」
「えるがお手本見せてあげたら?」
「わたしって箱入り娘だから、お箸より軽い石がなくちゃできないわ」
「実家出といてなーに言ってんだか」
ふざけたことを言ってみせるえるに目をやると、ふと、視界の端にまるで水切りのためにここまできれいに削れたんだと言わんばかりの円盤状の石を見つけた。無意識のうちにつばをのんでいた。
「なに?」
「すごく水切りに向いてそうな石見つけた」
私が指さすしたほうをえるは見る。
「どれよ」
「もうちょい左」
「あ、これ? せっかく見つけたんだしやってみたら?」
えるは石を投げてよこした。なかなか重い箸を使う箱入り娘ですなあ。
「5回跳ねたらジュースでも奢ってよ」
「自信あるの?」
「初めてだけど、この石はめっちゃ跳ねる顔してるし。いけるっしょ」
「どこに顔があるっての。……ま、いいわ。5段ね」
水切りで大事なのは石が回転していること、つまりは手首のスナップを利かせて投げることだって、どこで知ったかは覚えてないけど知っている。水切りのために生まれたようなこの石なら、全力でサイドスローすれば5回くらいは余裕で跳ねてくれるはずだ。
石をもっておおきく振りかぶると、移転した保育園の跡地で野球をした日の思い出がよみがえる。あの日はーー
「えいっ」
ーー回想が動作に追いつかなかった。野球をしたのは友達の兄弟に誘われてのこと。野球ボールじゃなくてテニスボールを使っていた。投手はおろか打者になった記憶もない……。
石はと言うと、完全に明後日のほうに飛んでいって、対岸の木の枝や幹にぶつかりコツコツと跳ねた末に水中に沈んでいった。
これだから投手も打者もやらせてもらえなかったんだ。
「……木の上で5回くらいは跳ねたよね?」
「木って水じゃないのよ。知ってた?」
「ワンモアチャンス!」
「次は人にぶつけるかもしれないから、だめ」
あまりにもお粗末な結果にみっともない食い下がりかたをしてしまった。小銭がないわけじゃないんだよ。
赤福に戻ったら、案外すんなり席を確保できた。注文の品がやってきたのはそれから5分ばかり後。
店員さんから受け取ったお盆の上には、陶器のお皿に山と盛られた赤福氷に、小さなお盆に載った赤福ふたつ。湯飲みには伊勢茶。それにスプーンと割り箸。
「割り箸で食べるの?」
「お餅が主食だった頃の名残なんだって」
「こう狭いと串を使いたいけど……」
なんて言いつつ、えるは割り箸をきれいに割って器用に赤福を摘む。
「……ん、こしあんはなめらかでいいわね」
小さな口で赤福を、まるで口づけみたいな小さなひと口ぶんだけ食べた。くちびるについたあんを舐めるために、わずかに姿を覗かせた舌が艶めかしい。
食べるだけでも絵になるんだからずるいよなあ……。
「なに?」
「あ、いや、えるってこしあん派なのかなって」
「どっちかって言うとね。つぶあんも嫌いじゃないわ」
「私もこしあん派なんだよ」
「ふーん」
塩対応の極みかよ。興味ない話へのつれなさが尋常じゃないな……。
えるは平然と赤福氷の頂上のいちばんたっぷり蜜がかかったところを、ごっそりとすくっていく。このままじゃおいしいところを全部持っていかれる。ちいさな口をおおきく開けて氷をほおばる姿に気を取られている場合じゃない。危機感とともにスプーンをとった。
ふたりで言葉もなく黙々と氷を切り崩していく姿は、周囲の目にはどう見えたことだろう……。
赤福氷を食べ進めていくと、密の少ない部分に達したあたりでスプーンがあんと餅にぶつかる。味気なく感じはじめるあたりでこんなの、すごく粋じゃないか。
「赤福氷のあんと餅ってね、赤福とはちょっと違うらしいよ」
「赤福が入ってるから赤福氷ってわけじゃないの?」
「氷に合うように特製したんだって」
「そんなら一緒に食べなきゃね」
そう言ってえるは氷とあんと餅を一緒にすくった。ほんと器用だな。
「どう?」
「ん、んー……。もうちょっと食べなきゃわからないわ」
「そっか。……って、私のぶんまで全部食べる気か!」
「あらま。ばれちゃった」
あらまじゃなくて……。まあでも、それだけ口に合ったんだと思えば嬉し誇らしなんて気分。
「ああ……しあわせだねえ」
赤福と赤福氷を平らげて、しあわせの糖分に満ちた口の中にすっかりぬるくなった伊勢茶を流し込む。この味覚のギャップがまたオツでたまらない……。
ところで、伊勢茶とはなんぞや。
もちろん三重県で産出した日本茶のこと。じつは三重県は静岡、鹿児島に次いで茶葉の生産量が多い全国有数のお茶処。私の育った四日市市でも、山側の地域には茶畑の広がるのどかな風景を見ることができる。それなのに知名度が低いのは……ブランド力かな……。
「糖分を摂取すればするほど人間はしあわせになれるって、下の姉が言ってたわ」
「しあわせ太りしちゃうね」
「わたし太ったことないのよね」
「……それは文字通りに自慢? 人生不幸続きって自虐?」
「自虐に走るくらいならわたしを不幸にした奴を虐げるわよ」
「メンタルが強すぎてバイオレンスだなあ」
なんてしょうもない会話だろう。これもまたしあわせの形。ずっとこういう話をしていたい。
あとはお土産を買って、素敵なお店を見て、おいしいもの食べて……。
ああ、旅が終わってしまう。
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