4.川はどうして流れてしまうんだ……

「なんていうか……麺の輪郭が粗い?」


 ずんぐりした太い麺を1本、箸で摘んで持ち上げてえるは言った。

 ここは内宮前の土産物屋の2階にあるお食事処神路庵。駐車場を出入りする車がよく見える窓際の席で、私とえるは伊勢うどんを前に向き合っている。


 伊勢うどんは言わずと知れた(だよね?)伊勢名物。太くて柔らかい麺と黒いおつゆが特徴だ。

 米作の少なかったこの地の農民が小麦でうどんを打ち、それにたまり醤油をかけて食べていたのが始まりとされている。やがてお蔭参りの流行とともに参拝客にも振る舞われるようになり、伊勢の定番として広く知られるようになったという。


「1時間くらい茹でるからね。やわらかくてコシがないの」

「話には聞いてたけどさ、それ欠点じゃないの?」


 えるのつまんでいた麺が箸の抑える力に耐えかねて、ぷつりと切れた。


「いやいやこれがいいんだよ。食べてみ食べてみ。おつゆよく絡めてね」


 コシという概念を盲信してはいけない。それはうどんになくてはならないものではないのです。

 えるは半信半疑の表情で麺をおつゆに絡める。伊勢うどんのおつゆはたまり醤油に出汁を加えたもので、広く知られるかけうどんとは違って麺が浸かるほどの量はない。かけうどんが全身浴なら、伊勢うどんは半身浴か足湯くらい。


「これ、おつゆがよく絡むようにブヨブヨにしてあるのね」

「それもあるけど、ずっと茹でてればお客さんにすぐ提供できるからね」


 常に茹でているからひっきりなしに訪れる参拝客にすぐに提供できて、また、おつゆが少なくてすぐに食べ終えることができるから店の回転率もいい。つまりは、土地に適応した食品なのだ。あらゆる観光地は伊勢うどんを売るべきだと思います。

 そんな私のうんちくをえるはあまり聞いていなかったのか「んー」と生返事で、麺をもごもごと咀嚼している。


「……人が食べてるとこジロジロ見ないで」

「あ、ごめん。口に合うか気になって」


 伊勢うどんは世間一般に認知されるうどんのステレオタイプの真逆を行くせいか、グーグル検索のサジェストキーワードに「まずい」が出てくる不遇の郷土料理だ。それだけに初めて食べる人の感想は気になってしまう。


「そうね、おつゆが甘くてちょっとびっくりだわ。案外悪くない」

「やった」

「でも普通のおうどんのほうが好きね」

「……」


 まあ、そんなもんか……。

 ちなみに、私の育った三重県北勢地域では伊勢うどんはさほどメジャーではないんだけど、ある機会に伊勢うどんを食べた私はどハマりして毎日のようにおばあちゃんに作って作ってとせがんで、飽きるほど食べて飽きた。

 これは伊勢に来たときに食べるくらいがちょうどいい。



          *



 内宮は正式には皇大神宮こうたいじんぐうという。

 祭神は言わずと知れた皇祖神・天照大御神あまてらすおおみかみ。この伊勢に鎮座したのは今からおよそ2000年前。当時は奈良に祀られていた天照大御神を、よりふさわしい地に祀ろうと倭姫命やまとひめのみこと御杖代みつえしろ(神様や天皇の杖代わりになって仕える人)として諸国を巡った末に到ったのが伊勢だという。

 威光の強さもあってか、内宮の参拝者は外宮のそれに輪をかけて多い。それは宇治橋を渡る人の群れを見れば一目でわかる。


「内宮だけ参拝するってひとも多そうね」

「そうみたいだねえ。鳥羽志摩あたりを観光して、おかげ横丁で買い物するついでにお参りしちゃおうって感じかな」


 外宮ではほとんどの人が鳥居をくぐる前にお辞儀をしていたけど、内宮では頓着しない人もちらほらいる。なんというか、ライトな気分で参拝している。まあ人が増えればそんなものだよね。


「私が神様なら、そんないい加減なノリでウチに土足で上がってくる連中は全員大凶にする」

「えるは来る人全員大凶にしそう」

「疫病神じゃない。ひとをなんだと思ってるの」


 人混みに流されるままに神苑を歩き、火除橋を渡って手水舎の先の一の鳥居をくぐると、五十鈴川の川縁に造られた御手洗みたらし場が見えてくる。

 五十鈴川は倭姫命が御裳のすそを濯いだことから御裳濯川みもすそがわとも呼ばれていて、ここでは手水舎と同じようにお清めができるんだけど、川を眺めて憩う人も少なくない。


「ここの石畳はね、徳川綱吉のお母さんの桂昌院けいしょういんが寄進したとも言われてるんだって」

「そうなの」


 えるの返事はじつに興味なさげ。ただぼんやりと川の流れを見つめている。私の視線はそのアンニュイな表情に繋ぎ止められてしまった。

 私の視線に気づいたえるが目を合わせてくる。


「なに?」

「や、なんでもない」


 私は川面へと視線を逸らした。えるはなにも言わなかった。


 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 曲がり、うねり、絡まって流れる澄んだ水を眺めて、過ぎるのは方丈記の書き出し。

 いつしか雑踏は遠く、流れと虫の音だけが耳をくすぐる。


 私は淀みに浮かぶうたかただろうか。それとも、岩の下に群れている小魚の1匹だろうか。おぼれて流され沈んでいく哀れな虫かもしれない。

 永遠に続けと幾度となく願った瞬間にも時間はいつも過ぎ去っていた。川は今も目の前で流れ続けている。無常が世の理なら生きる意味とは……。


「川はなんで流れてしまうんだ……」

「流れるから川なのよ」

「……それもそうか」

「まだ終わってないレポートか手つかずの原稿でもあるんでしょ」

「知りません……」


 現実逃避まで見抜かれてしまった。



          *



 御手洗場をあとにして、神楽殿で御朱印を頂いた。力強さの中に繊細さを内包した墨書きは惚れ惚れするほど格好いい。躍動感があって、一枚の絵画のようだった。


「どう? 素敵じゃない?」

「書いてるときが見たい字だわ。書き終えたのはあんまり惹かれない」

「書いてるときも格好良かったよー。迷いや淀みってものがなかったね」

「……それはたくさん書いてるからじゃない?」


 神楽殿から少し進むと、参道に分かれ道が現れる。一方は内宮、もう一方は天照大御神の荒御魂あらみたまを祀る別宮・荒祭宮あらまつりのみやに向かう道。徴古館や御手洗場で思いのほか時間を使ってしまったから、別宮は涙をのんで通り過ぎる。


 外宮は正宮まで石段がひとつもなくて、別宮のほうが正宮よりも高い位置に鎮座しているという変わった配置だった。

 対して内宮の正宮はさすが伊勢神宮と言いたくなるような、立派な石段の上に鎮座している。石段より上は撮影禁止だから、その下は撮影スポットと化していた。


「私さ、神社で写真を撮るのって気が引けてできないんだよね」

「なにそれ。畏れ多いの?」

「まあ、そんなとこ。神様も写真くらいで罰を当てるほど不寛容じゃないとは思うんだけど」

「不寛容な神様ならこっちから願い下げだわ。はいピースピース」

「え?? ぴーす」


 言われるがままに私がピースサインを見せると、えるはすかさず私を撮った。スマホを取りだしたかと思うと1秒後にはバシャリ。見事な手際だった。インスタしてる人ってみんなこんな感じなの?


「なぜ私を」

「被写体が乗り気だった場合、撮影者と被写体のどっちに罰が当たるのかなって」

「乗り気じゃないし、神様は全部見てるよ」


 今ので私に罰が下ったら理不尽すぎる。


「じゃあわたし撮ってよ。被写体が撮らせた場合はどうなるか」

「……わたしのスマホでいい?」

「いいけど。なに、わたしの写真がほしいの?」


 スマホで隠されたえるの口許は間違いなくにやついている。私、そんなにわかりやすいかなあ……。


「そういうんじゃないけど」って早口で否定しながら、できる限りの早さでスマホを操作してニヤけ顔をを撮ってやろうとしたけど、撮れたのはばっちりキメ顔のえるだった。……かわいいからよし。

 それからツーショットの自撮りもした。きっとえるは罰はおろか神様だって信じてないから、一緒に写真を撮りたかっただけに違いない。


 石段を上った先はひどく混雑している。参拝を終えた人が退いたスペースに周囲の誰かが入っていくといった具合で、なんとなく落ちモノパズルを彷彿とする。列形成してほしいと思うのは、やはりオタクの性なんだろうか。


 じつは、内宮や外宮の正宮には賽銭箱がない。

 かわりに白布が敷かれていて、皆そこにお賽銭を投げ込む。賽銭箱がないのは、本来は天皇以外の奉幣を禁じる「私幣禁断しへいきんだん」だから。もっとも、今それを気にする人はほとんどいない。空気を読んで5円玉を投げ込んだ。

 二礼、二拍手。小気味のいい破裂音がパンパンと鳴った。今日イチの柏手。心の中でガッツポーズをしたけど、最後の一礼が浅かった気がして消化不良。今度は心の中でため息だ。


 伊勢最後の目的地は、内宮参道のおはらい町とおかげ横丁。

 赤福を食べないことには伊勢からは帰れない。

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