〜お母さん〜
私の母は女手ひとつで私を育ててくれた。
私は父の顔も知らないが
母との暮らしを不便に感じたことはなかった。
かといって家計はなかなか安定せず私が小学生にあがってから三年生になるまで母は昼パートを終えてからも夜9時頃まで書店で働いていた。
その頃私は母の仕事が終わるまで、一駅となりの母の友人である麻里子さんの家に預けられていた。
麻里子さんは作家志望で主婦をしながら家で執筆活動をしていた。私とも少なからず会話をしてくれたが、麻里子さんは忙しそうで四六時中私を見ていたわけではなく、夕食を作ったり部屋でなにか書いていました。
でも私は退屈はしていなかった。麻里子さんの娘さんの里香ちゃんがずっと遊んでくれたからだ。
里香ちゃんは私より1つ年下で私のことをお姉ちゃんと慕ってくれていた。
でもこの里香ちゃんがときどき変なことを言うのだ。
その日も居間で2人で遊んでいると
「お母さんに会わしてあげる」
と言うのだ。私は慌てた。麻里子さんは締め切りがどうのとかでいつもの部屋で執筆中だ。子供ながら邪魔すべきではないことはわかった。
だが話はそうじゃなかった。
麻里子さんの現状を私が説明するが二階の奥の部屋に「お母さん」はいるらしい。
麻里子さんは私たちの声が聞こえるとなりの部屋にいるはずだった。
「ね。行こ。」
里香ちゃんに手を引かれ二階にあがる。二階は来たことがなかった。
階段は家の中心近くにあるためか窓もなく暗い。ゆっくり里香ちゃんのあとをおって、奥の部屋の戸を開けて入る。
畳敷きの六畳間の和室は物置のようになっていて昔流行った健康器具などが置かれている。
「誰もいないよ?」
私は入るなり里香ちゃんにたずねる。
早く下の部屋に戻りたかった。
「押入れにいるの。」
里香ちゃんは、その部屋の奥にある襖を指差して言う。里香ちゃんは前を向いたままなので表情は見えない。
「いないよ。下に戻ろ?ね?」
私は怖くなって里香ちゃんの手を引くが彼女は
「会わせてあげる。」
と言って押入れを開けた。
押入れの上の段には布団が高く積み込まれている。下の段にはプラスチックの箪笥が入っている。冬服が入っているのだろうか。
「ほら、いないじゃん!もどろ?!ね?」
私は少し声を荒げながらも里香ちゃんを諭す。正直このやりともうっとおしく感じ、なによりこの部屋にいたくなかった。
「ううん。いるの。」
まだこんなこと言う。里香ちゃんは無言で下の段を指差す。
私はもう頭にきて、押入れの下の段に半分首をつっこんだ。プラスチックの箪笥は閉まっている隣のほうにももうひとつ入っていて人が入るところはない。
だがふいに私はその箪笥と箪笥の間の隙間の闇に目をやる。
およそ人のいれるスペースのない隙間の奥に顔があった。ガリガリの女の人が箪笥の裏に体育座りをしていた。
「お母さんいた?」
里香ちゃんが後ろからきいてくる。
私はガクガク震えながらも
「い、いないよ。」
と答えた。
里香ちゃんは
「そっか。今日はいないのか。」
と言った。そのとき一階から麻里子さんの声が聞こえ私のお母さんが迎えに来たことを伝えてくれた。
私はその日すぐに家に帰ったが、それからも預けられることが何回かあったが里香ちゃんがまた同じことを言うので麻里子さんの家に行くのを拒むようになっていった。
母には悪いことをしたと思ったが、母はその頃懇意にしていた男性と再婚することになり少し生活が安定したため、それから私はあの家に行くことはなくなった。
麻里子さんのこと里香ちゃんのことを大人になるまで私は忘れていた。
この話を思い出し書くにあたって母に麻里子さんの家のことを聞いてみた。
押入れで見た女の人。あんなものがいたあの家で里香ちゃんは大丈夫だったのだろうか、十数年たって今更心配になった。
「ねぇねぇお母さん。私昔麻里子おばさんの家で預かってもらってたでしょ?」
「それがどうしたの?」
「いやー里香ちゃん元気かなって思ってね。」
私は正直にあの出来事を話せず、ぼやかしてきく。
だが意外なこたえがかえってくる。
「里香ちゃん?誰それ?」
「え、麻里子さんの娘の里香ちゃんだよ。私の1つ下の」
「あんた何言ってんの。麻里子に子供はいないわよ」
「え」
身体中の毛穴が逆立つ。
じゃあ私の遊んでいた里香ちゃんは誰なんだ。
母に何度聞いても麻里子さんには子供はいないという。若い頃に婦人病にかかり子供が望めなくなったらしい。だから趣味の執筆活動に精を出していたというのだ。
私が麻里子さんの家で見た母娘はいったい誰なのだろうか。
麻里子さんは数年前に引っ越してあの家は今は空き家になっているらしい。
あの母娘はまだあの家にいるのかもしれない。
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