第87話:帰りましょう

「さて、リヌリラ。そろそろ帰りましょうか。カマドでパンを焼いているから、早く帰らなくては」

「おっほ! 今日は何のパンを焼いたの?」

「パンのくぼみにビーフシチューを注いだパンですよ。一斤の食パンをまるごとくり抜いて、風味たっぷりのルーに大きく切った牛肉をたくさん入れたやつです」

「うっひゃー! さすがルーミル! 料理研究家バリのこだわりと革新を求める究極のシェフぅ!」

「そりゃあ女子力高めを目指していますもの。将来のまだ見ぬ伴侶様に振る舞わなきゃだし♪」

「(性格さえ問題なければ、女子力皆無でも結婚相手は困らなかったろうに)」


 すっ……


「……えっ?」

「今、『性格さえ問題なければ、女子力皆無でも結婚相手は困らなかったろうに』って、心のなかでこっそり考えていましたね?」

「……えっ、い、いや? いやいや? な、な、何のノノノのことですかね? えへへへへへ?」


 ルーミルが瞬時に私の背後に回り込んできて、耳元から囁くように私に問いかけてくる。

 唐突な奇襲に思わず動揺を隠せなかった私は、思わず吃りと戸惑いを隠せず噛み噛みになってリアクションをしてしまった。


「人の心を正確に読み取る力。それはとある超循環の力を使うことで、効果を発揮することができます」

「……そ、そんな素材があるんでしたか、ははは……」


 心のなかで裏の気持ちを考えてしまうだけでも相手にバレてしまうのは恐ろしい限りだ。

 迂闊に考え事をするのも警戒しなくてはいけないとは。


「私が変態だから、誰とも結婚ができないですって? ふふふ、そんなこと思ってたんですね?」

「ひゃ、いやだなぁ……ルーミル。別の人の考えを間違って読み取っちゃったのかな? うふふふ!」


 耳元で囁かれるホールドから逃げようとするも、既に両手をガッチリ手で押さえつけられている。

 いやいや、無理やり外せばいいじゃないかという人。

 それは甘いぞ。


 ルーミル握力めっちゃすごいからね。

 かぼちゃ素手で半分に割って、グーパンチでマッシュ状にしてかぼちゃケーキ作るし。

 ガァン! ガァン! ってまな板叩きながらニッコニコで女子力アピールしているからね。


 なので、私がこの後することは、一つしか残されておらず……


「そ、その……この度は、大変不手際な思考がルーミル様のお気を悪くさせてしまいまして……その……」

「うふふ、いいんですよ」

「……えっ?」

「今は私、リヌリラが一緒に暮らしていますし、それだけで毎日の生活が充実していますもの」

「ルーミル……」


 確かに、料理や洗濯などの家事をしているときのルーミルは、戦闘しているときとは違い、純粋にニコニコと楽しそうに過ごしていることが多い。

 やっぱりルーミルも戦いに長けていると言いつつも、毎日の平和な日常を送ることを信条としているのだろうか。


「一人で暮らしていたときは、戦いだけしかありませんでした。いつも心の中に悪魔に対する憎悪と殺欲しか抱いていませんでした。周りの人が怯えないようにと、いつもニコニコとしていましたが……」

「……」


 そうか、ルーミルも人知れずという形で多くの苦難を乗り越えてきたのか。

 実力があるということは、つまり求められる機会が多いということ。

 そして、より不幸な出来事に遭遇する可能性も増えることになる。


「でも、リヌリラのおかげで、少しずつ、自分自身が人間的に生きれているという実感が持てるようになってきました。私は表面上の見てくれを良くしているだけの人間ではなく、喜怒哀楽をまだ残せているって」

「…………」

「戦いを終えて、平和が取り戻せたとしても、戦いを通じた人間の心がすぐに平穏を取り戻せるわけではありません。私は、自分自身の力が強すぎるあまり、戦いを終えたとしても、普通に戻れるかどうかとても心配でした」


 人であるからこその心配。

 人が人であり続けるかどうかという尊厳。

 人が悪魔に墜ちる恐怖。


 私にはそんな思考を思いつくことはなかったけれど、強さというのは、そういう苦難にも立ち向かわなくてはいけないのか。


「戦いの中ではいつも笑顔を絶やさないように心がける。それが、私が自らの意思を貫くためのポリシーです」

「……だから、いつもニコニコしていたんだ。危ない境遇に出くわしたとしても」


 戦いに慣れた穏やかな思考なのかと思っていたけど、それは神経を削ってまで人としての尊厳を守り抜こうとした決死の努力だったのか……


「戦いに怒りを感じると、私は理性を抑えられなくなります。強い殺欲を悪魔に感じるようになり、殺害だけが全て正しいと感じてしまうほどに」

「そ、その……稀に表情や口調が怖くなるのも……」

「……ごめんなさい」


 ルーミルは背中越しに小さな声で私に謝罪してくる。

 その声はどこか自らの運命から逃げ出したいような、迷いを感じる声色だ。

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