関東平野遊覧飛行
座席の右側の窓から外を見ると、おだやかな海がずっと先まで広がっている。水平線の手前に、うっすらと陸地のようなものが見えるが、霞んでいてはっきりしない。私が乗っている観光用ヘリコプターは穏やかに飛行しているが、それでも座席が振動し続けている。ペットボトルの水を、こぼさないように一口飲んで、素早く蓋を閉める。
後部座席には誰もいない。観光シーズンを外しているから、客がいないのだろう。左の操縦席には、若い男性が座っていて、彼がこの観光用ヘリコプターのパイロット兼ガイドだ。プロペラがうるさいので、マイクとヘッドホンを通して会話をする。
「前方をご覧ください。伊豆半島が近づいてまいります」
と、ガイドの声が、ヘッドホンから聞こえた。青黒い海の上に、緑のこんもりした陸がある。海岸と山が接近していて、平らなところがほとんどない。
「その先が箱根でございます」
ガイドが補足する。
「箱根には温泉があります。白い煙のようなものが、ご覧いただけますか。あれは温泉の蒸気です。向こうの山ほうに見える黒い煙は、火山活動です」
ヘリコプターは東に進路を取る。小さな山と山の間から、キラキラした光が見える。やがて最後の山を通り抜けると、視界一面が光り輝いていた。地面には、黒光りする四角い板状の構造物が、敷き詰められている。板の周りは頑丈そうな金属の枠がついていて、地面に固定されているようだ。
「関東平野のソーラーパネルです」
まがりくねった帯のように、ソーラーパネルが敷かれていない箇所がある。川があるのだ。ところどころ壊れている。ヘリコプターが川に沿って進んでいき、河口に出て、さらに海岸沿いに飛んでいくと、大規模に壊れている箇所もある。
「大きな地震があると、河川の付近で液状化現象が起こることがあります。また、このあたりでは津波があったため、大規模な崩壊が見られます」
とガイドが教えてくれた。
「壊れた部分は、どうなるの?」
「作業ロボットが修理します。破損したパネルは、完全に発電が停止するわけではありませんので、人間が作業すると感電の恐れがあるのです。降下して見てみましょう。少し揺れますので、ご注意ください」
私はペットボトルの水を飲み、すぐに蓋をしめる。
二〇〇〇年代初頭、東日本で大規模な地震が発生したとき、原子力発電所が壊れて放射線が漏れるという事故があった。その後、世論が原子力発電所を全て廃棄するように動いた。一方、外貨を稼げなくなった日本は、石油の輸入に頼る火力発電を継続できなかった。その結果、日本の電力はすべて太陽光発電に切り替えることが国会で決議された。太陽光発電を推さなければ、選挙で選出されなかったからだ。
ガイドがそのような説明をした。
「でも、太陽光発電は、あまりにも発電効率が悪いのでは?」
と、疑問に思ったことを尋ねる。
「その通りです」
「じゃあ、どうして?」
「その点は、今でもよく分かっていません。当時の日本人は、合理性よりも、直感的な心理的安心、安全を求めたという記録が残っています」
ガイドは説明を続ける。
日本列島はもともと平野が少なく、自然災害も多い。むき出しのソーラーパネルは、あちこちで破損した。しかも作業ロボットの動作は遅いので、日本全体で常に二〇パーセントほどのソーラーパネルが稼働していなかった。その結果、狭い平地に、さらに多くのソーラーパネルを設置していくことになった。
ヘリコプターが旋回する。遊覧飛行はそろそろ終わりで、帰路についている。
「人はどこに住んでいるの?」
「平野にはソーラーパネルが敷き詰められているので、人間が経済活動できる場所はありません。日本列島には、ほとんど人は住んでいないと考えられています。国家がなくなって調査自体できませんしね」
窓の外を見下ろすと、作業ロボットがゆっくりと、しかし淡々とソーラーパネルを修復している。破損したパネルを取り除き、新しいパネルを設置し、ケーブルをつなぎ直している。年間これだけの電力をソーラーパネルでまかなうことを決めたときに、この事態を予想できなかったのだろうか。住む場所がなくなる前に、ソーラーパネルの設置を止めなかったのだろうか。日本人というのは、それほどまでに愚鈍であったのか。そんなことを、うとうとしながら考えていた。
ヘリポートに着陸し、プロペラがとまった。マイクとヘッドホンをはずしたので、ガイドの声を直接聞いた。
「日本は、世界を席巻する勢いの時代もあったようです。ですが、専門知識に基づいた合理的な決定ではなく、知識のない多数の人間が投票するという民主制をとっていました。その結果が、今の状況なのです。もったいないですね」
ガイドが少し悲しそうな顔をする。私は、ペットボトルの水を飲む。
「ところで、何を飲んでいらっしゃるのですか?」
とガイドが聞く。
「これ? 水素水」
と私は答えて、すぐに蓋を閉める。
「健康にいいって、みんなが言っててね」
「みんな?」
「ええ、ネットですごく話題でね。中の水素が逃げないように、すぐに閉めるようにしているの」
ガイドが悲しそうな顔をした。日本の話をするときより、少しだけ、より悲しそうな表情だった。
「水素分子はペットボトルを通り抜けます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます