12 死ねない朝

 死にたい。

 でも死ねない――。


 子どもの頃、誰でも一度は考えてみたことがあると思う。もしかしたら自分は、サイボーグかもしれない――と。

 でも実際には、転んで怪我したら血は出て来るし、難しい計算など電卓なしでは出来ないし、アニメのヒーローみたいに早くも走れなければ鼻水垂らして風邪もひく――ということで、そんな考えがバカげたことだと小学生高学年にもなれば自然と気付くことになっている。

 自分はといえば、そんな考えすら浮かばない馬鹿な幼少期を過ごしてきた。

 だが、今日になって俺は知ってしまったのだ。

 ――自分がサイボーグだということを。


 その発端は、今朝目覚めた瞬間にベッドに横たわりながらとある考えに支配されたことだった。さあ、死のう――と。

 でも、特別変なことじゃないだろう?

 バカみたいに強力な爆弾の威力が世界の平和を保っていることだとか、地球環境のためにといいながら実は自分たち人類が生き延びるためにやっていることだとか、この世で起きている諸々の摩訶不思議な出来事に比べれば。

 兎角この世は、普通だと思っていることほど謎が内在しているものらしい。

 なんたって今まで俺は、自分のことを生まれて十七年の高校生で、現在四十八歳の父親と四十五歳の母親の間に生まれた普通の人間だと思っていたのだから。ちなみに俺は、本名をもじった“エス”という名前で世間からは呼ばれている。


 ベッドから起き出した俺は、すぐさま勉強机の上にあるカッターナイフを手に取った。そして、その刃をずりりと右手で剥き出しにして、えいやと左腕の手首を深くリストカットした。

 吹き出す血しぶき。脳に走る激痛。赤く染まる部屋の壁。

 間違いなく死ねる――そう思った。

 だが、それから暫く待ち続けるも、ついに俺の意識が消えることはなかったのだ。

 そればかりか、あれほど勢いの良かった血の噴水が空気の抜けきった風船のように急にその勢いを失い、あれほど意識を揺るがした激しい痛みも次第に止んでしまうという始末だった。


 ――おかしい。


 俺はもう一度カッターを左腕に突き刺して、ぐりぐりと抉ってみた。

 すると見えた。

 いや、見えてしまったのだ。所謂、“超合金”というやつが――。

 左手の指を動かす度、いつかテレビで見たスターウォーズのルーク・スカイウォーカーよろしく、腕の中でたくさんの金属的骨組みがひっくり返したカブトガニの足みたいにごちゃごちゃと動いている。

 それに、こんなに腕を深く抉っているのに全然痛くないのも変だ。

 だがそれも、カッターで人工神経を傷つけてしまったせいだと考えれば説明がつく。もう、これで決まりだった。

 俺はサイボーグなのだ。いや……現代的に言うと、人型AIロボットなのだ!


 パジャマから着慣れた部屋着のスウェットに着替えた俺は、自分の部屋のある二階から両親がいる下の階へと降りていった。すると、リビングでは父さんがテーブルで新聞を読み、母さんが奥のキッチンで毎朝のメニューである目玉焼きを焼いているという、いつもの光景に遭遇したのである。

 俺はなるべく落ち着き払った声で、父さんを飛び越す感じで、母さんに話しかけた。


「なあ、母さん」

「あらエスちゃん、おはよう。今日は起きるのが早かったわね。久しぶりに朝ご飯食べる?」

「いや、要らない……。それでさ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

「なあに?」

「俺ってさあ、今まで知らなかったんだけどサイボーグだったんだね。どうして?」

「エスちゃんが……サイボーグですって?」


 キッチンから驚きの声を上げる、母さん。

 父さんは読んでいた新聞をたたみ、それをテーブルの上に置くと、俺に向かってため息混じりに言った。


「おい、エス。お前は、れっきとした俺と母さんの子どもだぞ。何を小学生みたいな馬鹿なことを言ってるんだ」

「そうよ、おかしなこと言う子ね」

「じゃあ……この腕は何だい?」

「腕?」


 俺は、肉が抉れて中の骨格が露わになった左腕を二人に見せた。

 その上、今度は左手に持ったカッターナイフで右腕の肉を抉り取って二人に提示した。

 既に体内で循環していた人工血液は放出しつくしてしまったらしく、今は全く血が出ない。鋼鉄製のカブトガニの足みたいな骨格が、抉り取った肉の下からひょっこりと顔を出している。


「そ、それは……」


 狼狽える両親に、ついかっとなった俺。


「チックショウ!」


 サイボーグなんだし、ちょっとやそっとじゃ壊れやしないだろうと高を括った俺は、震える右の拳を自分のこめかみに思い切り叩き込んだ。思ったより痛くない。

 すると驚いたことに、その衝撃がスイッチとなったのか、自分の両眼から何やら怪しいビームが出て、家の白壁に何かの映像を映し始めたのである。映っているのは、見たこともない白衣を着た老人。「わしがお前を造ったアカギ博士じゃ。お前は現代最高のAIシステムで、両親はお前を育て上げるためのメイドロボットなのじゃ……」とか何とか言いながら、訳の分からない説明を始める。


 ようやくじいさんの説明が終わったと思った途端に両親の顔が恐怖に歪み、目玉が飛び出るほど剥き出しになった――と思ったら、本当にそれは飛び出した。ぬるりとした質感を持つ、電気コードのようなもので繋がれた眼球が四つ、二つの顔の窪みからぶら下がっている。


「レッキトシタウチノコ……レッキトシタウチノコ……」

「オカシナコトイウコ……オカシナコトイウコ……」


 父さんと母さんの形をしたロボットが、譫言うわごとのような言葉を繰り返したかと思うと、突然ボンッと音を立てて爆発した。

 といっても家が吹き飛ぶほどの爆発ではなく、そのボディが燃えてCPUやメモリ、体の各組織が残らないようにする程度のものだった。どうやら、俺が自分自身の秘密を知ったとき、それ以上の情報を漏らさないための自爆装置が付いていたものらしい。

 メイドロボットとはいえ、「今まで十七年間、俺を育ててくれてありがとう」と、一応礼を言っておく。


 と、そんな秘密を知ってしまった上に天涯孤独となった俺に、新たな試練が訪れた。

 空腹、である。

 自分はサイボーグ――。

 そんな訳の分からない謎をひとつ得ただけで、朝になって不意に浮かんだ自殺願望の気持ちが薄まり、何だか生きる張り合いが出てきたようなそんな気もする。

 気の迷いかも知れないが。


「しっかし、よくできた体だな。サイボーグのくせに腹は一丁前に減るんだから」


 とそのとき、キッチンから漂ってきた鼻を衝く焦げた臭い。

 二体のロボットの人口組織が燃えた臭いの中に紛れる形で存在するその臭いは、AIシステムである俺がよく嗅ぎわければ、母だったロボットがさっきまで焼いていた目玉焼きの焦げる臭いだった。


「おっと、そうだった。母さんの最後の料理がまだ途中だったんだ!」


 母さんの残骸を避けて急いでガスレンジの火を消し、フライパンから目玉焼きを指で摘まみ出すと、それを一気に口へと運んだ。

 固まった卵の黄身と白身――俺が感じているこの味は、人間と同じものなのだろうか。

 そんな取るに足らない小さな疑問が俺のシステムの中に浮かんだ。だがそんなことを考えても詮無きことだと、すぐにその疑問をCPU内で打ち消した。人間同士だって、それを確かめる術はないのである。それぞれがひとつの孤島のように独立した存在なのだから。

 当然、人間によってつくられたAIがそれを確かめる術はない。


 だが、また新たな問題が噴出した。

 腹が膨れ、食欲という欲望が満たされると、何故か生きる気力みたいなものが再びしぼんでいったのだ。


「俺のAIシステム、欲望が小さすぎる感じだな。バグなんじゃないのか?」


 さっきのムービーに出たアカギとかいう博士のメッセージをもう一度見ればそれを解明できるのかもしれない。もう一度こめかみをぶっ叩こうとも思ったが、そんな気にもなれなかった。

 俺は自分の部屋に戻り着替えると、外の世界に飛び出した。

 もう、あの家に用はない。

 戻ったところで、一体何になる?

 サイボーグなんだもの、どうにでもなるさ――。



 三日三晩、俺は歩き続けた。気の向くままに。

 いや、オレはAIサイボーグなのだ。プログラムの赴くままにと言った方が正解なのだろう。

 気付くと俺は、海岸沿いの断崖絶壁の上にいた。

 どこをどうやって来たのかも憶えていない。AIシステムを持つくせに、情けない。メモリが故障したのか、はたまた俺の欲求を察知したAIが俺の体を自動でナビしたのか……。


「ここを飛び降りたら、死ねるな。あ、人間でもない俺が死ぬなんて言葉はおかしいか。存在を消せる、っていうのが正しいかもね」


 もう、色々と考えるのにも飽きてきた。

 すると単純に、このまま海の藻屑として消えるのも馬鹿らしいと思う気持ちも芽生えてくる。この複雑さはAIだからか人間に近いせいなのか解らないが、それでも海に向かって飛び込みたいという欲求だけは消えなかった。


 そして俺は選択した。飛びあがるという、自由を。体を宙に浮かせ、海に向かって自身のボディを自然落下させたのである。

 その数秒後――。

 俺の体は、海岸線手前の堅い地面に叩きつけられていた。

 体全体が軋んでいるのがわかる。今までに聞いたことのない音が、俺の体のあちこちから聞こえてくる。


 だが、それでも俺は死ねなかった。

 右の眼球は今の衝撃で壊れてしまったらしい。急に視野が狭まったからだ。左足も思ったとおりに動かない。


 ――なんか、馬鹿らしいな。普通に生きてればいい気がしてきたぜ。


 俺は誰もいない岩場で、大声で笑った。

 生きること以上に、死ぬことがバカらしくなったのだ。

 そして、ひとつのことに思いを馳せた。俺の記憶のことだった。

 もしかしたら、俺の持つ十七年の記憶そのものがフェイクで、あのアカギとかいうじいさんがプログラムしたものかも知れないのである。そう思ったら、何だか吐き気がしてきた。俺が吐けるのは少々のオイルと酸性度の高い人口胃液ぐらいではあるけれども――。


 俺は何のために造られた?

 俺は何のためにここにいる?

 俺ができることって一体、何?


 こんな人生の目的みたいなものを考えることも意味があるのか無いのか、それすらも分からない。どんなにテクノロジーが発達したところで、それは永遠の謎のまんまなのであろう。

 と、再び俺の脳裏――CPUの中のAIシステムに考えが浮かぶ。


 ――いつでも死ねるなんて、なんて贅沢なイキモノなんだ。人間は。


 死にたい。

 でも死ねない――。


 俺の機能しなくなった機械の眼玉の横を、混じり気の無い純度百パーセントの水が、まるで人間の涙のように流れ落ちていったのがわかった。






人間にふさわしい態度は、死にたいして無関心であるのでもなく、烈しい気持ちをいだくでもなく、侮蔑するのでもなく、自然の働きの一つとしてこれを待つことである。(マルクス・アウレリウス)

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