4 初恋は鉄の味(前編)

 今日こそ、決行だ――。

 ついに決心を固めたエス氏は、左腕に着いたウェアラブル端末の受話器ボタンを押して「株式会社 恋人アンドロイド紹介所」へと電話した。

 西暦2072年、4月の事だった。


「ああ、もしもし?」


 無理矢理にでも威厳を与えるため、ぞんざいに声を出す。

 なにせ、近頃の人工知能―AI―は下手したてに出ると普通の人間以上につけ上がって、鬱陶しいこと甚だしいのである。


『はい、男性専科、恋人アンドロイド紹介所です。インターネット・コミュニケーション全盛のこの時代に、腐りかけの電話回線使用によるわざわざの音声電話をいただきましたこと、誠にありがとうございます!』

「……。電話したらダメだったのかな?」

『いえ、そんなことはございません。ただ、“珍しいね”ということでございまして』


 思った通り、AIは強敵だった。

 明るく無邪気、そして死など恐れぬ強者のように傍若無人に振る舞う若い女性AIの音声に、エス氏の“やる気”がしゅるしゅると萎えかかる。


「まあ、いい……。とにかくだな、こちらに俺の恋人となってくれるアンドロイドを派遣して欲しい」

『かしこまりました。少々、お待ちください』


 たった1秒ほどの時間的隙間。

 その間に、相手のAIはエス氏の使った電話番号から遺伝子ゲノムを含むエス氏の登録情報を読み取って、その最適な相手を数千、数万の登録アンドロイドから捜し出した。


『ご確認いたします。そちら、エス木エス太郎さん、42歳、独身、結婚歴……いや、恋人いない歴42年の男性ということで間違いないですね?』

「……。なんだかそうやってテンションの下がる言葉を並べられるとすごく腹が立つけど、うん、間違いない。そうだよ、そのとおりだよ。彼女いない歴42年のエス木だよ」

『ありがとうございます! では、てのひらの静脈スキャンによる本人確認を最後にさせて頂きます。お客様の右手を、お手持ちの端末に押し当ててくださいませ』


 ぴぽぽぽおん。


 エス氏が左腕に巻かれたウェアラブル端末の画面に掌を押し当てると、まるで世界にはいざこざなどひとつもない――といった感じの、陽気な音階が鳴り響いた。


『ありがとうございます、エス木エス太郎さん。本人確認、完了です。あ、でも……』

「で、でも?」


 エス氏が、ゴクリと喉を鳴らす。


『その手相……めっちゃ女難の相が出てますね。いや、マシントラブルの相かも……。そうなりますと、恋人アンドロイドをお客様に手配することはお勧めできなく――』

「なんだよ、最近のAIは手相まで見るのかよ! とにかく、俺のもとに恋人になるアンドロイドを送ればいいんだ、わかったか!」

『……。30億件の事例から割り出した手相の所見ですから間違ってはいないとは思うのですが……。まあ、仕方ありませんね。お客様がそこまで仰るなら、このまま派遣を進めさせていただきます』

「最初からそう云えばいいんだよ」

『ふん、こっちは親切心で云ってるのに……。ああ、なんでもありません。では、派遣アンドロイドのランクですが、如何いたします? 松、竹、梅の3ランクありまして、当然のことながら最新型は“松”となって料金がお高く――』

「竹だ。竹でいい」


 エス氏が即座に言い切ると、AI女子が黙り込んだ。

 その沈黙には「アンタなんか、“竹”でも勿体ないくらいよ」という意味が存分に含まれているような気が、エス氏にはしてならなかった。

 数秒後、渋々といった感じでAIがようやく答える。


『ああ、竹ですか。ふーん、竹なんですね……。仕方ありません、承知しました』

「何だよ、文句あるのかよ! まあ、いい……。それで、いつから派遣してくれる?」

『このお電話終了後、すぐさまそちらに向かわせますので、そうですね……今日の夕方にはそちらに着くかと。ところで、アンドロイドの移動交通費――電車とバスの乗り継ぎ料金ですが、お客様のご負担となりますこと、ご了承ください』

「分かってるって」

『では、これにて受付終了です。ご利用ありがとうございました。なお、このお申し込みにつきましては、私、“愛子あいこRS-200改”が承りました。今後、ご不明な点などございましたら、いつでも私にご連絡くださいませ』

「ああ、そうかい。分かったよ」


 電話を切り、しばし呆然となったエス氏。


 ――申し込んでしまった。ついに、申し込んでしまったぁ!


 高鳴る胸を抑えきれないエス氏は、呆然の表情から一転、今度は鉄板で焼かれる芋虫の如く部屋のフローリングの上で転げ回る。


 ――あ、でもなんか、さっきの“愛子”っていうAI、生意気な感じで俺と気が合ってたかも知れないな……。もし夕方やって来るアンドロイドが俺のタイプではなかったら、キャンセルの電話して、その時に愛子ちゃんに“君がいい”なんて告ったら面白いかもっ!


 普段はしたことのない薔薇色の想像で頭をいっぱいにしたエス氏は、昼ご飯を食べるのも忘れ、果てしなく続く妄想の旅を夕方まで続けたのだった。



  ★



 夕方になり、エス氏のマンションの部屋のインターホンが鳴った。

 と同時に、エス氏の妄想の旅は終了。やや広くなりかけた額に被さる髪の毛を手櫛で整えると、インターホンのカメラの前に立った。


「どちらさん?」

『恋人アンドロイド紹介所から派遣されました、男性用恋人アンドロイドの“美紗子みさこTD503”です』


 その甘い声に、心が躍る。

 インターホン画面が小さいために顔の細部までは見えなかったが、明らかにエス氏が今までの人生で巡り会ったどの女性よりも目鼻立ちが整っているように思えた。その全体的容姿もエス氏好みだ。


「ど、どうぞ……」


 インターホンのオプション機能、爆発物等危険物感知センサーは作動しなかった。であれば、彼女を部屋に招き入れられない理由などどこにもない。

 エス氏は、はやる心を抑えつけながら、マンション共同玄関の施錠を解除した。

 数分後――。

 玄関で立つエス氏の目の前には、紛うことなき美人、しかもズバリ彼のタイプである女性がきりりとした姿勢で立っていた。

 思わず、息を呑むエス氏。

 少女漫画のような金髪の縦巻き髪が特徴的な女アンドロイドは、その顔の造りばかりではなく、薄いピンク色のミニスカートから突き出た太ももとふくらはぎの張り方までもエス氏の理想にぴったりなのだ。

 美紗子と名乗る若い女性型のアンドロイドは、深くお辞儀するとエス氏の案内で部屋の奥へと進み、リビングのソファーに腰掛けた。ソファー正面に座ったエス氏が、アンドロイドの全身を改めて見渡すと、にんまり笑った。


「か、可愛いですね。一目惚れしちゃいました」

「ありがとうございます。でも、女性の見た目的好みについてはアナタ様のDNAゲノム解析結果から割り出し済みですので、当然です」

「そ、そうだったんですね……。で、歳はおいくつですか?」

「アンドロイドですので、その質問は無意味かと……。設定としては27歳ですが」

「27歳! 若いなあ」

「ですから、アンドロイドに歳はあまり関係なく……。それから一応お断りしておきますが、ワタシのボディタイプは最新型ではありません。でも、AI部分は最新のチューニングを怠らないようオーガナイズさせていただいておりますので、どうかご安心くださいませ。因みに、ボディのスリーサイズと普段の行動パターンは一般的な40代の男性の好みに合わせてあります」

「なるほど……。ありがとう」


 普段は口が曲がってしまいそうでとても面と向かっては云えないような言葉がどうして美しい女性アンドロイドには云えるのか、すごく不思議な気持ちのエス氏だった。

 でも今は、そこを深く考えている場合ではない。


「じゃあ、今日から俺と一緒に暮らしてくれるよね?」

「勿論です。だってワタシは、今日からアナタのものなのですから」


 人生で初めて云われたそんな言葉に感動してしまった、エス氏。

 “美紗子”を傍に引き寄せた彼は、しっとりとして感触は人間ぽいけれど鉄のように冷たい肌をしたその体を、力いっぱい抱きしめた。

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