のぞきのススメ–あるいは走光性窃視症について–
湫川 仰角
のぞきのススメ
のぞきが好きです。
いや、いきなりですいません。でも、ストレートに表現するとそうなってしまうのです。
知っていますか。
見られている、という意識を持たない時、人は意図せず自分自身を曝け出していることを。そうして本人すら知り得ないパーソナリティは、本人すら知り得ないまま、赤の他人に盗み見られている。簡単に言ってしまえば、まぁ、そういうことを考えるのが好きなんですよ。
もちろん“自分の趣味はのぞきです”などと公言したことはありません。そんなことを言ったら、昨今どんな炎上を被るかわかったものではないですからね。
けれど、溢れかえる情報を前にして、便所の落書きのような論争に巻き込まれて、やりたいこととやらなければならないことで板挟みになる毎日。つい魔が差して、道を踏み違えてしまう人がいるのも無理からぬことです。
私としては同情すら覚えてしまいますね。
だから今日は。
そんな陰鬱さを吹き飛ばす“のぞき”の楽しさを是非お伝えしたいのです。今風に言うならライフハック、というやつでしょうか?
いくつかの心得を守れば、のぞきとは心に安らぎをもたらしてくれるものです。医学的な効用は未だ立証されていませんが、そのうち効果が認められるに違いありません。あなたもきっと、気にいるはずです。では、早速。
心得ひとつめ、あなたは社会的立場のある大人だ。
いや、やはりいきなりで申し訳ありません。ですが、のぞきがしたくてのぞきをするなど現代人として失格です。それをしたければ犯罪者になる他ないのです。
それではいけません。礼節を弁え真にのぞきを嗜むのであれば、普段の生活の中にそのエッセンスを抽出する必要があるのです。
私の一番のお楽しみの時間は、やはり帰宅時の満員電車でしょうか。絶対に乗りたくないとあなたは言うかもしれませんが、あれはなかなかに愉快なものです。
いいですか。この心得が意味するところは、満員電車に普通の乗客として乗ること、です。ここまで聞いて頂けたのならお分かりでしょうが、のぞきのための行動はしません。あなたは単に電車に乗り、窓をぼうっと眺めている冴えないサラリーマンの一人に過ぎない。せいぜいがやけに熱心に外を眺めているな、と思われるくらいなのです。注意点を挙げるとするなら、座らないこと、でしょうか。
宜しいですね。では次です。
心得ふたつめ、エロは想像から生まれ、想像は疑問から生まれる。
夜を徹して光を発するビル街、踏切で待つ人々、並走する車。たくさんの光の筋を引く車窓から見える景色は、実に様々な人の活動で溢れています。
最近の車内では、ほとんどみんなスマートフォンを弄っていますね。うなじを晒した物言わぬ巨人が並ぶ様を見ると、一人一人のうなじに切り込みを入れ回りたくなりますが、その話はまた別の機会にさせてください。情報を得ることや娯楽に興じて社会と繋がろうとすることは大事ですが、本当のリアルというものは窓の外にあると思うのです。
見てください。
ほら、オフィスの窓から明かりが漏れていますよ。まだ誰かが残業しているのでしょうね。そのオフィスには何の企業が入っているか、知っていますか? 居残る彼はどんな仕事で残業するはめになっているのでしょうか?
あ、通学路を歩く学生が見えます。こんな時間に帰るなんて、部活帰りでしょうか? あの制服はどこの学校のものなのか、知っています?
おや、サラリーマンが項垂れてとぼとぼと歩いています。お疲れの様子ですが、彼は何駅で降りたのでしょうね?
お、高く聳える塔が見えてきました。あれはゴミ処理施設の焼却炉なんだそうです。知っていましたか?
80センチ四方程度の窓から切り取られた風景は、どんな絵画よりも精彩で、どんな映画よりもリアリティに溢れ、どんな情報よりも緻密な背景があるのです。
……無防備に、カーテンを開けっぱなして室内丸見えの部屋が通りましたね。
見えたのは一瞬なので多くのことはわかりません。ですが、緑の花柄レースカーテン、イエロー系のラグ、本棚に置かれたピンクのアロマディフューザーに鑑みるに、家主は女性でしょう。それもどこかちぐはぐな色使いから引っ越してきたばかりの。いまの時期に若い女性が越してくるといえば新大学生か新社会人。あのマンションは新大学生には荷が重いはずなので、おそらく彼女は地方から上京してきた新社会人でしょう。カーテンを開けっぱなしにしても気にしていないのであれば、実家は生垣など設えてある大き目の一戸建て、アロマにも気を使える資本を備えた裕福なご実家かもしれません。とはいえ、半分はカーテンが閉まっていました。ということはそちらにはソファ、あるいはベッドがあるのでしょう。慣れない環境、仕事という初めての責任、積み重なる疲労。残業も徐々に増えてきた頃合いでしょうね。疲れた彼女は帰宅後真っ直ぐお風呂に入り、緩やかに緊張をほぐすに違いありません。湯上り、火照った体を冷ましつつソファでくつろいでいると、いつしか火照りは熱情へと変貌し、やがて熱情は劣情へと変わり果てるのです。やがて辛抱堪らなくなった彼女は、夜更けに一人、慰めの行為に勤しむ……フフ、フ、フフ……
さて、名残惜しいことですが、次で最後です。
心得みっつめ。深淵をのぞくとき、深淵に写り込んだ自分を忘れないように。
ファミレスでたむろする若者、手を繋いで電車を待つカップル、待合室で一人佇むサラリーマン。
夜の車窓から見えるものはすべて、明かりに照らされています。月明かりに照らされて、などと言えれば趣深くあるかもしれませんが、現代においては蛍光灯の方が圧倒的に明るいものです。
では。
今、目に入る光景の中で、最も近くにある強い光源とはなんでしょうか。
ネオン煌めく風俗店? 誇らしげに輝く学習塾の看板?
いいえ。それは、あなたが今いる車内の蛍光灯です。
少しだけ焦点をずらしてみてください。外をぼんやり眺めている、自分が見えましたか?
繰り返しますが、見られている、という意識を持たない時、人は意図せず自分自身を曝け出します。それは自分も例外ではありません。
自分の内面そのものが、自分に焦点を合わせたその瞬間に写るのです。蛍光灯の光を必死になって目で追っている、自分自身が。
人工的な光に吸い寄せられていく様はまるで、光に集まる蟲のようではありませんか?
やがて、電車は目的の駅に着きます。
あらぬ妄想を繰り広げ、興奮すら覚えた冴えないサラリーマンは、何食わぬ顔で降車します。
毎日これだけを楽しみに生きているのです。これまではそうでしたし、今日もそうでしょう。おそらく、明日も。
寂しいと思われますか。犯罪者予備軍の社会不適格者だと思われますか。
試してみたければ、公序良俗に反しないよう細心の注意を払って。
どうぞ、ご自由に。
のぞきのススメ–あるいは走光性窃視症について– 湫川 仰角 @gyoukaku37do
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