めいせん

韮崎旭

めいせん

 わたしは恐れている。会話を。対話を。一般に家庭内のそれは大変に粘着質だ。コーンスターチと砂糖で塗り固めたのか?という気分の悪さ。たぶん、コーンスターチ、増粘多糖類、乳化剤、しょくぶつ油脂、それにたっぷりの砂糖、豚のえさが入っているのだろう。それ以外の何であり得ようか?

 豚のえさ、すなわち……豚のえさ。家畜の良好な育成に寄与する以外のなんの効能も性能もない製造物。豚のえさだ、家庭内の対話、会話、やり取り、抑揚、調声、すべて、豚のえさのようにねばりついて意識にこびりつき、害する。なぜ豚のえさの話なんかしないといけないかというとそこに豚のえさがあり、私を脅かしているためだ。まさしく豚のえさであり、粘液でつながった利害関係であり、死んだほうがいい。たぶん、毒の種類としては、最も心証が悪いベノム:生物の毒腺から分泌される毒、だろう。生物は気味が悪い。べたついている。触らないでいただきたい。どうせきさまらコーンスターチでしょ?触らないでほしい、などとほざいている私もしかし生物ではあり、しかしだからこそ己の醜さが知れるともいうではないか。知らないが、だから水で溶いた小麦粉のような発狂はやめてくれって、貴様は変質した持越してんぷら油か何かなの、音を発するな、声を出すな、私に話しかけるな、心配したそぶりで善良でいたいという欲求を満たそうとするな、生物を私的に無許可で利用するな、滅亡しろ。だあからーあ、銘仙とか言ってるばあいじゃないって言ってんだよ。めいせん、私はそれをよく知らないが、どうも普段使いの和装の生地か何からしい。普段使いの和装。和装は機動性が最悪なのでしたくないのだが、洋装はいかんせん布が余る。布が余るのは結構だし、体型もカバーしてくれそうだし、そう、体重の減少なども覆い隠せそう、希望がある、だが、布が余る服というのは場合によっては不安なものである、落ち着かないものである、心細いとすらいえる。というのはなんの圧迫も内需たいというのは自分は果たして衣服を着用しているのか不安になる。銘仙。そんなこと言ってないで薬飲んで寝ればよかったのだ。手遅れだ。手遅れになるに違いないのだ。私はこれまでにそんな手遅れの悲劇をいくらも体験してきた。私の皮膚に血肉に、しかと刻まれた忌まわしい思い出たちだ。私はあえて追憶するまでもなくその時の、そう繰り返し嘔吐して、明らかに胃液だけであるとは思えなくなってきた吐しゃ物の苦さのような、というかその苦さをかみしめているような不快な心象をありありと描ける、追体験だってできる、無駄なハイスペック、意識の維持に使われるべき容量をここに割いている、正気のふりを、美容室ではしないといけないだろ?正気のふりは大変だったし、たぶんどうせうまくいっていいないのだが、でもどうしようもない、ものが食べられないのは仕方がないし、活動できないからカフェインを摂取するのも仕方がないし、含有量からして一日コーヒー1杯くらいだからむしろ健康に良い説もあるし、だからこれは仕方がないのだが、ただでさえ体調がまったく心当たりなく悪かったのに、カフェインをとると私は絶対に多動になる傾向がある。不注意にもなり、多弁にもなる。だからこんなところで銘仙、とか書いている。まあ『AMEBIC』(金原ひとみ著、集英社文庫、ちなみに持ち歩きで相当傷んでいる)を読んだからかもしれないし違うかもしれない。私の平時のBMIは17.4くらい、今は16.4から16.8くらいまでの幅の中で変動しており、平時より低いために体調が悪い懸念は当然あるが、それが何か。それが、だからお前に何か?だから粘着質、気色悪いっていってるんだろ、出直せよ、コーンスターチをたらふく食べて破裂して来てから出直せ首くくって出直せ腹を裂いて出直せ気色悪いから、触らない、見ない、話しかけない、音を立てない、存在しない!そうそう銘仙ね。字が分からないから変換で出たものを適当に用いているのだが、洋装で布が余ると不安なのだ。私は人型をしているか?私は、歩ける、あるいは、いるのか、私なのか、確かな圧迫感でもって私を支えてくれる衣服が時に私には必要で、でも大抵の服は余る。それは私がオーバーサイズに着たがるからで、だって体型をさらすなんてはしたないとは思わないのか、ほとんど全裸ではないか、そういうはしたない人間にはなりたくないから必死で作法を保とうと、オーバーサイズな衣服を選んできた。いや、それは嘘かもしれない。その時点で今より体重が多くて、体型を見せたくないのでオーバーサイズだったのかもしれないし、あるいは衣服の上下でサイズの合い方に緩急つけることにより当時の、というと私が私を肥えた人間と認識していた、BMIでいうと最大21くらいの時の私が、私の気に食わないところの当時の体型を少しでもましに見せようとしたのかもしれない。たぶんその可能性が一番高い。厚生労働省なんてしんようしていたら、だめだ。あれはせいぜい使役に耐えるとか、死亡しにくいとかそんなもので、美観とはまるで無関係だし、私はこと私自身の景観に関してのみは私しか信用しない。当たり前だろう、死亡しないことに何の価値があるのか、長命だったところでふたを開けてみると中身は不信感と不満、不全、不愉快、そういったものでいっぱい、だとしてそんな長命に価値を置きたいか?というか死に近づくことこそよきものでありうるのではないか、白骨は生物より不潔ではないにせよなんにせよ。だから普段着で着られるような、いわば外にも出られる部屋着レベルの和装をそろえようかと思案していた、和装の何たるかをしらないため、和装するつもりはもとよりなく、また、機動性最悪、なのでなおさら机上の空論ではあるのだが、そうはいってもやはり、なにか圧迫感のある衣服、これは計上などではなく、物理的なそれを指すが、そういうものが必要に違いないと思ったのだが、いかんせん、和装は、普段着レベルでもそろえると高くつく。そのへんにわりにいい加減そうな和装屋を見るが(田舎だからあまり良いものを期待するのは酷だし、また、期待してもいない、というか、ちゃちな和装屋のほうがどうせ安くて悪いものしかないだろうからさんざん炒める蹴られる予定の普段着にはいいとは思うが、……どうせ誰も何もみちゃいない……かまわないのだが)、どう考えてもコルセット、装飾品と実用を兼ねた系統のもの、を買ったほうが早くて安いだろうと思うわけだ。問題は近隣に店がないことであり、サイズは問題なくとも、やはりこのような体に合わなくてははなしにならない拘束具を買うにあたっては店舗でできれば見たい。というか自分のウエストなどを知らないが。というか、コルセットスカートなら持っているのだが、ニュアンスが限定されすぎるけいとうであるうえにやはり機動性が悪いし、大抵コルセット的な機能が機能していなかった。そもそも着用の段階で難がある。というわけだから、コルセットが購入可能な店舗に行かないとならないのだが、果たして髪を切っていただいているあいだもさんざん正気のふりに苦心した私が、電車に乗るのか?正気にふるまう?正気?

 ここにきて鎮静剤が効いてきたか、疲労を感じるが、食えそうなものがないから冷蔵庫が、海洋のような砂漠となっており、まあどうせなんも食わんが、だって低体重の維持ができなくなるから、ああだが、医者に文句を言われる、だが、医者、お前は私のなんだ?職業的関係性においてお前に職業上の関与以上を許可した覚えはないし第一私はまだ正気だ。よく怠薬する精神疾患を持つ人間に過ぎない私に、貴様が何を?


 わたしは忘れずに書けただろうか、衣服、薬剤、それから、それから?ここにきて私の頭には初めから何の概略図もなかったことを知り愕然とする。たぶんわたしとは、書くものが不信感であるのだ。

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めいせん 韮崎旭 @nakaimaizumi

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