第53話 案の定……


 祢音の背中の裾をちょこっと握る命、その後ろで固まっている冥を視界に入れて、アリアは一オクターブ下がった声音で口を開いた。


「ずいぶんと綺麗なお友達が多いわね?祢音?」

「……なんでちょっと怒ってんの?」

「フン!別に怒ってないわよ!」

「いや、怒ってんじゃん……」


 冥達を見て、突然あからさままでにへそを曲げるアリア。


 時折見せる彼女の情緒不安定ぶりは今に始まったことではないが、その理由がわからない祢音からしたらやはり困惑するもので、今も不機嫌さを表す様に頬を膨らませるアリアを見て、困ったようにため息を吐いた。


「……誰?」


 そんな折、いまだ祢音の服の裾を握っていた命がアリアに気が付いたのか、誰何すいかするように尋ねてくる。


「あぁ、この人は――」


 祢音が命の疑問に答えるため開口しかけるが、その前にアリアが二人の間に割って入ってくると、


「ふっふっふ!よくぞ聞いてくれたわ、おチビちゃん!私は無道アリア!祢音の妻よ!」


 悪びれることもなく、むしろ誇らしそうに祢音の片腕をその立派な胸で挟むように抱いて堂々と虚言を宣った。


「ハァッ!?」


 突然のアリアのアホらしい嘘に祢音は虚を突かれたように振り返る。


「……む、おチビじゃない」


 命は呼び方がお気に召さないのか、アリアに向かって小さく抗議した。今、気にするところが自分の呼び名だという命はやはりどこかマイペースな少女である。


「何言ってるのかしら?君の見た目はどう見ても小さいじゃない!ほらほら!」


 ぽんぽんと命の頭を軽く叩いて煽るアリア。


「……むぅ!」


 あまり感情を表に出さない命が珍しいことにムッとした様子で頬を膨らませながら、上目遣いでアリアを睨んだ。


 祢音が止めようとした、途中。


 祢音との遭遇やその隣に立つ見たこともないような美貌を持つアリアの姿に固まって動けないでいた冥にも会話は届いていたのか、彼女は呪いが解けたかのように俊敏かつ即座に彼に詰め寄ってきた。


「無道君!どういうことかしら?あなたのことは真面目で勤勉な人だと思っていたのに……ちゃんと説明してもらえるのでしょうね?」

「ちょっ!?まっ」


 未だ見たこともない冥の圧力に押され、祢音の足が一歩後ろに下がる。その間に命への揶揄いを止めた横のいたずら好きの困った彼の義母がさらに場をかき回し始めた。


「説明も何も見てわからないの?お嫁さんよ、お・よ・め・さ・ん!お分かり?貧乳ちゃん?」

「ひ、ひ、貧乳ちゃんッ!?失礼ね!!」

「失礼も何も私貧乳ちゃんの名前知らないし、なんて呼べばいいかわからないから身体的特徴から名付けたのに……気に入らなかったかしら?」

「当たり前でしょうっ!誰が好き好んでそんな名前で呼ばれたいんですか!」

「貧乳はステータスって名言があるって知らないの?君のそのちっちゃなお胸はこの世の宝、至宝なの。だから残念がらず、その小胸を張って誇りなさい!」

「誇らないわよッ!」


 普段のクールで落ち着いた様子からは考えもつかないような態度で冥は息も荒げながらアリアに食ってかかった。冥の反応が良いからか、アリアもアリアでノリノリで彼女を揶揄い続ける。


「……私はおチビじゃない。訂正して」


 加えて、命まで変に乱入し始め、場はさらなる混沌カオスへと突入。


 完全にアリアの揶揄いが原因だが、普段は毅然とした態度が印象の冥と命がここまで熱くなるのは珍しい。アリアの挑発スキルが高いのか、それとも意外に冥達の沸点が低いのか……。


 兎にも角にも、シックで落ち着きあるこの婦人服売り場で男性一人を挟みながら、声高に言い合う女性三人はかなり目立つ光景だった。しかもそれが三人とも目を見張る美女と美少女ならなおさらのこと。


 我に返った祢音はさすがにまずいと判断してすぐさま彼女らの間に、止めに入った。


「お前ら、落ち着けっ!注目浴びてるぞ!」


 祢音の注意でようやく気が付いたかのように、冥と命は周囲を回視する。


「え……あっ!?」

「……ん?」


 冥は周りの視線に気が付くと、恥ずかし気に頬を赤らめて下を向き、命は気が付いたはいいものの、いつもと変わらぬ様子で首を傾げての薄い反応を示した。


 対して、アリアだけはまだ不満そうで、袮音に文句を飛ばす。


「なんで止めるのよ!祢音!楽しいところだったのに!」

「なんで、じゃねぇよ!俺の友達にいきなり何やらかしてくれてんだよ!」


 この義母はははっ!と頭を抱えたい気分に陥る祢音。

 

 普段からの破天荒ぷりには慣れていたつもりだが、まさかその魔手を冥達にまで向けてくるとは考えたくはなかった祢音である。


 まさに自分の親のはっちゃけ具合を見て、恥ずかしくなる子の図だ。


(……とにかく離れよう)


 早々にここから立ち去らねばと思考を新たに、袮音は行動を開始した。


「とりあえず此処ではなんだし、一回落ち着けるとこに行って話さないか?そこでアリアのことも説明するから!」


 冥と命に向かって、早口で捲し立てると、祢音は返事も聞かずに、出口へと歩を進める。テキパキと快活に動き始めた祢音に冥も命も「え、ええ」「……ん」と若干唖然とさせられるも、素直に彼の後ろに付いていった。

 

 まだ納得いかなそうな表情で口を尖らせているアリアだが、彼女もしぶしぶと祢音の背中を追う。


 その時である。


「ま、待って!祢音!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」


 背後から彼らを呼び止める二つの声が響いた。


(そういえば……)


 その声が聞こえると同時、祢音は脳裏から完全に忘却していた存在がこの場にいたことを思い出す。アリアのアホな宣言のせいですっかり忘れていたが、どんな偶然か、冥や命だけでなく、祢音にとっては会いたくない二人とも鉢合わせしていたということを。


 その二人――血の繋がった実の兄妹である紅音と朱音の焔魔姉妹は、思いがけない祢音との遭遇に呆然と固まって、今まで彼らの成り行きを見守っていた。というより、再会時に自分達に向けてきた一面とは違った祢音の一面を見て、声をかけられずにいたのだ。


 ――それは随分と懐かしい幼き日に自分達にも向けられてきた大好きな弟(兄)の素顔。


「……なんだ?」


 しかし、今はどうだろう。


 振り向く彼の瞳に映る色は無関心そのもの。軽蔑も嫌悪も憤怒も嫉妬も憎悪も何一つ感じられない本当に稀薄で空虚。


 宣言通り、彼女達と何ら関わる気のないスタンスを貫こうとしているのだ。


 話しかければ、返事は返ってくるだろう。呼びかければ、足を止めてくれるだろう。でも、結局はそれだけのこと。

 

 祢音にとって関わる気のないということは相手を完全に他人としてみることだ。知人でも友人でも家族でもない。本当に道端で歩いていても気にも留めないような、全くの赤の他人。


 もう心から紅音達のことを身内として見てくれることはないのだろう。あの頃に見せてくれた顔を祢音が彼女達に見せてくれることはもう二度とないのかもしれない。


 それを理解すると、紅音は悲し気に目を伏せる。朱音も少しはチクリと胸が痛んだが、それよりも裏切り者だと思っている祢音が自分の大好きな姉に寂しさを感じさせていることが我慢ならず、憤怒に燃えた。


「ふ、ふん!あんたみたいな奴が休日に女性を連れて遊び歩くなんて世も末だわ!」

「……で?呼び止めたのはそれが言いたかっただけなのか?」

「ッ!て、テスト前にも関わらず随分と余裕なのね!?あんたがそんなんで大丈夫なのかしら!?」

「別に休日の過ごし方をお前に指摘される筋合いはないな。……それで、もういいか?用がないんだったら、もう行きたいんだが」


 姉に悲しい顔をさせた祢音に悪態を吐いて、挑発を頑張る朱音。だが、祢音自身には微々たる衝撃も与えられず、挑発に乗ってくることもなく、それに焦った彼女はさらに言い募る。


「な、何すかしてんのよ!才能も力もないくせにッ!色なしノンカラーで魔法も使えない無能のくせ――――ッ!」


 それはただ祢音の足を止めるためだけに反射的に口から出た言葉であった。


 悲しむ姉のために裏切り者である祢音に一泡吹かせたいと思ったのだろう。自分と姉を傷つけた彼にせめてもの意地の仕返しでもあったのだろう。もしかしたら自分達にも振り向いて欲しいという小さく健気な感情も詰まっていたのかもしれない。


 だけど、口から出た錆ならぬ禁句の連続は怒らせてはならない人物の怒りに火をつけた。


 横で聞いていた紅音は差別用語も使って祢音を罵り始めた妹を見て、咄嗟に大声で叱りつけようとした。が、彼女はそれをする前に、床に足が縫い付けられたかのように身体が一歩も動けなくなる。当然声など出るはずもなく、ただただ頬を流れる冷たい汗だけが、彼女の首筋を撫でた。


 その現象は紅音だけに起こったのではない。今、この婦人服売り場にいるほとんどの人間は圧倒的なまでの生物の格とでもいうのか、存在感によって体に震えるような謎の悪寒が襲い掛かっており、誰しもが一歩も動けるような状態ではなかった。


 特に紅音の横にいる朱音はひどい。額からは尋常ではない冷汗を流して、口元では歯をカチカチと鳴らし、ぶるぶると体の震えを抑えられずにいる。


 ここら一帯にそんな人外のプレッシャーを放てる人物などこの場には一人しかいない。


 そう――大魔法師たるアリアが最愛の息子を罵倒する言葉を黙って聞いていられるはずもなかった。


「ねぇ?」

「ひっ!?」


 地獄の底から響き渡るかのような声音が朱音の耳朶を打つ。彼女はその声にのどの奥から掠れたような悲鳴しか出せなかった。


 アリアが一歩を踏み出すことに壮絶な威圧感は増し、朱音にかかる重圧が並ではなくなっていく。


 今すぐ膝を折りたい。地について、こうべを垂れたい。一回だけでいいから謝罪を入れたい。そんな思いが朱音の脳裏を過り、ひどく反省をしたい衝動に駆られるが、アリアの威圧感が彼女に少しでも動くことを許してはくれない。


「才能がない?力がない?無能?……私の祢音に対して随分なことを言ってくれるじゃない?」


 声音に感情は乗らずとも、逆にその無味な色がさらなる恐怖を掻き立てる。さらには、いつの間にかアリアの片手には、彼女が真剣に魔法を使う時だけに常備する神聖さを醸し出す巨大な杖が握られていた。


 アリアが何をしようとしているのか。その雰囲気から周囲の人間は次に彼女が行うであろう行動をありありと察することができたが、誰も固まったまま動き出そうとはしない。完全に蛇に睨まれた蛙の状態である。


 だが、婦人服売り場で凶事が発生することはなかった。


 朱音以外の周囲の者達への影響は軽微だが、次第に地までもが揺れ動き、ガラス窓にはひび割れが入り、冗談のように建物への影響が出始めた時。


「アリア」


 一番近くにいた祢音がアリアの腕を引っ張っると、すっぽりと彼女の体を自分の腕の中に抱え込んだのだ。


「ふえ?」


 アリアの目が点になると同時、建物全体にかかっていた見えない重圧が霧散する。その反動で朱音は地面に崩れ落ちるようにぺたりと座り込む。他にも、中には威圧感に中てられて、膝が折れたり、がくがくと震えてまともに立てなかったりしていた人達もいたが、祢音は気にした様子もなく、アリアに聞こえるようにだけ語りかけた。


「俺のためにそんな怒らないでくれ、アリア。俺は大丈夫だから」

「ね、祢音……でも」

「言いたい奴には言わせとけばいいよ。俺はこんな些事でアリアの手なんか煩わせたくないんだから。それにこんなところで大魔法師であるアリアが魔法を使えば、軽く災害が起こるんだから、少しは考えてくれよ」


 耳元で囁くようにアリアを説得する祢音。それは傍から見れば、まるで仲睦まじい恋人のようで、魔神の様な畏怖する怖さがあったアリアを見た後のためか、余計に二人の姿は口の中が甘ったるくなるような愛溢れる光景に映る。


 背中を何度かトントンと叩かれ、祢音の胸の中で大きく深呼吸をしたアリアはようやく機嫌を戻して、憤怒の感情を消し去った。説得が功を成したのかは分からないが、とにかく、アリアの激情が収まったことに何とか祢音は安堵する。


 本当にこんなところでアリアが魔法を使ったら洒落にならなかった。


 まだここに来て三か月と少し。武蔵が消え去るところなんて見たくはない祢音である。

 

 アリアが離れた後(しばらくは頑なに抱き着いてきた)、祢音は地面に座り込む妹とそれを支える姉を一瞥すると、何も言わずに今度こそ彼女らに背を向けた。


 紅音は再度呼び止めようと逡巡するが、言葉は出てこず、彼らの背中を見送るしかできない。


 冥と命も祢音と紅音達の関係が気になる様子で、何回か交互に見つめては、何かを言いたそうに口を開閉するが、結局は何も言わずに彼の後を追うのだった。



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