兄に治療された

 病院に着くと診察券を出した。月曜日なのに珍しく空いていたのですぐに呼ばれ、診察室に入ると次兄が目に入る。

 あれ? 怪我って内科だっけ? なんて内心首を傾げる。

 そして顔を上げた次兄は笑顔を浮かべていたんだけど、目の前の丸椅子に座った私の頬を見て、目を丸くしていた。


「雀!? その頬はどうしたの!」


 傷を見た次兄は素人にはわからない単語を使って看護師さんに素早く指示を出す。すぐに机の上にあった消毒液に浸かっている、丸くなっている綿をピンセットで摘まんだ。

 そして頬全体を消毒してからそれを捨てると、新しく綿を摘まんで傷を消毒し始めた次兄。


「い……っ!」

「実は、仕事中に雀……園部さんの頬を二回もひっぱたいた挙げ句、二回とも爪で引っ掻いたクソ女……失礼。女性がいまして」


 消毒液が滲みてじたばたしてる私の代わりに寺坂さんが怒りのこもった声でざっくり説明すると、次兄が彼のほうへと視線を向けた。にーちゃん、消毒液がすごく痛いです。


「なるほど、だからちょっと腫れているのか。それで、君は?」

「ああ、申し訳ありません。彼女の同僚で、最近雀……さんとお付き合いを始めた寺坂です」

「えっ、私たち、付き合ってたっけ……?」


 私の言葉に、空気がピシリと固まった。特にうしろにいる寺坂さんから物凄い冷気が漂っているし、いきなり頭をガシッと掴まれてスッゴク痛い。なんだっけ……アイアンクローだっけ? それの頭版。


「し、師匠……?」

「おい、雀……? 本気で言ってんのか? あと名前」

「う……だって……お互いに好きだって言ったけど、ししょ……良裕さんに付き合ってって言われてないし、私も言ってないし……」

「お前なあ……」


 いつ話をきりだそうかと思ってた話題を寺坂さんが話してくれたから助かったんだけど……。あれ? なんで私の言葉に、彼どころか次兄まで溜息ついてんの?

 しかも、ワゴンを押し、薬やガーゼなどを持ってきた知り合いの看護師さんにまで、目を丸くされて「雀ちゃんたら……」って溜息をつかれちゃったんだけど……何で!?


「はぁ……。うちの天然ボケな妹が申し訳ない」

「いえ。まさかわかっていなかったとは俺も予想外ですよ……」

「え? 何? 兄さんも良裕さんも何なの?」


 本気でわからない私に向かって男二人はまた溜息をつき、看護師さんは苦笑しながら塗り薬を次兄に渡している。


「お前ねえ……。片思いの相手に告白したかされて、『付き合って』って言ったか言われて付き合い始めたならまだしも、お互いに同じ想いを返したんなら、『両思いになった=付き合ってる』は暗黙の了解だろう? そんなことを言うなんて、両想いで恋人になった寺坂くんに失礼だよ? まあ……僕の知る限りになるけど、雀は今まで付き合った男がいなかった時点で、お察しだね」

「いたっ。……そんなもん?」


 薬を塗りながら説明してくれた次兄にそう言ったら、呆れた顔をされた。……なぜだ。

 そして何気に薬も滲みて痛いんですが、にーちゃん……。

 そりゃあ、元カレの時は向こうから『付き合って』って言われたから、付き合い始めたんだけど……って、そうじゃなくて。


「そんなもん、って……。ほんっとにこういう恋愛事は初心うぶで鈍いくせに、変なところが鋭いよな、雀は。まあ、そこが可愛いんだけど」

「う……」

「おやおや。可愛いって言われたくらいで、真っ赤になって照れちゃって。我が妹は本当に初心だね」

「……」


 おバカさん、と次兄に言われて凹む。


「……どうせおバカですよーっだ!」


 むくれてしまった私に、寺坂さんの大きな手が頭を優しく撫でる。

 ……う、嬉しくなんかないんだからね!

 生温い視線を次兄と看護師さんに向けられながら、そんな話をしているうちに頬の治療と処置が終わった。


「はい、終わり。今はガーゼを貼ったけど、それほど大きな傷じゃないから大きな絆創膏を出しとくよ。あと、傷が塞がるまで化粧は禁止」

「化粧はわかった。ありがと、兄さん」

「あ、先生。仕事中の怪我ですし、会社に提出しなければならないので、診断書をください」

「いいよ」


 朝晩の消毒と絆創膏の張り替え(当たり前か)、今日と明日は絆創膏の上から保冷剤や氷のうなどで頬を冷やすように次兄に言われ、診察室を出る。それらのお薬と支払い、診断書と領収書は寺坂さんがしてくれたので、私は特に何もすることなく病院を出た。

 病院は思ったよりも早く終わったし時間は十一時過ぎたばかりだから、急いで帰って分配すれば十二時までの出発に間に合う。

 二人して少し早めに歩いていると、寺坂さんに話しかけられた。


「雀」

「なんですか?」

「今日晩飯作って?」

「いいですよ」

「明日はお互い公休だし、一緒に過ごそうな」

「やった! 嬉しいです!」


 付き合ってないかも……なんて悩んでいたのが嘘みたいに、他愛もない会話が嬉しい。


「二人っきりの時くらい敬語はやめろ。それと、今後はずっと名前で呼んで」

「う……ど、努力します」

「あと、お仕置きでたくさん抱くからな」

「いいですよ……って、は!?」


 公休が重なることは滅多にないから嬉しいなーとか、晩御飯どうしようかなーなんて気をとられ、つい「いいよ」なんて返事してから言われた言葉を理解して固まった。


「よし、言質は取ったからな?」

「いやいやいやいや、なし、今のなし! というか、お仕置きって何ですか⁉ 私、何もしてないですよね⁉」

「お仕置きは何にしようかなあ……やっぱ、前回やらなかったアレか?」

「ちょっ、師匠! 私の話聞いてます!?」


 ラブホに行くとかお風呂でとか、聞き捨てならない単語があったので、つい突っ込みを入れる。


「まだ昼間! 昼間だから!」

「新しい体位も教えてやるからな、雀」

「ふざけんな、この鬼畜ドS師匠っ! 人の話を聞け!」

「あっははははっ!」


 昼間っからなんて話をしてんですか、この人は。抱かれるのは嬉しいけど、せめてメールとか家にいる時に話してよ……。

 誰が聞いているかわかんないし、心臓に悪いから。

 二人で言い合いをしていたらいつの間にか会社に着いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る