河原町こいうた

フカイ

河原町こいうた #1


 あの人の姿 懐かしい

 たそがれの 河原町


 恋は 恋は 弱い女を

 どうして 泣かせるの


 苦しめないで ああ責めないで

   別れのつらさ 知りながら

    あの人の言葉 想い出す

     夕焼の高瀬川


 苦しめないで ああ責めないで

 別れのつらさ 知りながら


 遠い日は 二度と帰らない

  夕やみの桂川



(京都慕情 作詞: 林春生)






 地方からこの東京にきて、かれこれ三〇年。

 その間に一度だけ、本気で引っ越そうと思った街がある。

 遠距離恋愛をしていた恋人がいたわけでもなく、仕事の都合でもなく。

 ただただ、その町に恋してしまったから。




 ――――京都。

 古きと新きが混在する、愛しの河原町。




 その町へはさまざまなルートから入った。

 オーソドックスには、新幹線。建て替えられた雰囲気がやっと新しい京都の街になじんだ、白い骨格の美しい京都駅。

 クルマでなら基本は名神高速京都南I.C.から。大阪から来たときには、国道一号線で。

 あるいは京都丹沢道路からポルシェとバトルしながら入ったこともあった。

 そして忘れられない周山街道からの京都入り。

 山の中のトンネルを抜けて、峠の下り道がはじまると、あぁ京都に入るんだな、と思う。




 京都に着くといつも、電話する相手は決まっている。

 生粋の京都人にして、のkだ。

 kとは共通の知人を介して知り合った。

 最初は仕事上の付き合いだったが、その思い出深い仕事を通じて心を通わせ、今では仕事を離れても友人となった。

 ぼくが京都へ上がるときは必ず連絡をし、また逆に彼が東京へ来るときには無視されては困る間柄だ。

 互いの仕事場での付き合いは、そのうち打ち上げと称した飲み会に変わり、やがては仕事が途絶え、飲み会だけが残った。いつか、京都の錦の裏通りを、ふたりでほろ酔いで歩いていた時、互いの誕生日が一緒だったことが判明し、ふたりで驚いたことがあった。道理で、ウマが合うわけだ。




 美食家のkに、京都でいつも案内してもらう店は決まっている。

 新京極にある屋の「O」だ。

 その店で何度、気取らない京のにうならされたことか。

 まるでオカマのようなだみ声の女将に肩をたたかれながら飲む、最初のヱビスは決まって、陶器のグラスで出された。

 クリーミーな泡を唇につけたまま乾杯が終わり、その後、店のメニューを見たことは、結局一度もなかった。

「おまかせで」とkがいうと、奥の板前が笑顔で答える。

 東京から何度もこの店ののれんをくぐりに来るぼくに、「ほな、京都のええもん、食べて帰ってもらわな」と、女将も板前も、いつも腕を振るってくれる。それが嬉しくて。




 最初のお通しは、京大根の白みそ仕立て。

 この白みそのほどよい甘さ。そして箸をいれると、ホロリと崩れるだしの染み込んだ大根。アツアツを飲み込んで、追いかけるビールの爽やか。


 水菜のいたん。

 最近はやっと東京でも「水菜」というものを手に入れることができるようになったけれど、あそこで食べた透き通ったの水菜の味は忘れられない。添えられた油揚げとともに、深く香る味。


 そして夏は、はもの落とし。

 包丁を入れて湯引きした白身は、白菊の花が咲いたように開き、美しく飾られている。氷を敷き詰めた皿の上に盛られたこの鱧の身に、小さく練り梅が添えられている。キリリと冷えてふんわりした鱧の白身に、アクセントになる練り梅のすっぱさ。


 だし巻き卵。

 卵とだしが1:1のだし巻き卵は、ここでしか食べたことがない。箸でつまむとおだしがじゅわーっと染み出る。箸に取るとフワフワで、口の中に入れるととろりと溶けるような、何か雲呑をほおばったような食感。


 ビールから、グラスを変え、焼酎へ。

 長野県は諏訪湖のほとり。有名な日本酒「真澄」の蔵で作られた、米焼酎「すみ」。これがまた、さわやかに喉を下る見事な出来映え。癖がなく、透明なまま、どんな料理にも寄り添って、合わせられる。だからついつい杯が進んでしまう。




 kとの話は、仕事のこと、酒や食のこと、クルマのことや女のこと。そして気づけばなんて大物も、酩酊したふたりの話題の俎上そじょうにのぼったかどうか。

 心を許しあった友との、馬鹿話を交えた酒がどんどん喉を下ってゆく。つかずはなれずの女将が、時折話題に首を突っ込み、舌鋒ぜっぽう鋭いヒトコトをおいて去る。

 喉を潤す酒と、派手さはないけど、腹にしみる京のおばんざい。きっとそのキィは、上品な上品なおだし。


 最後に出されるお茶漬けは梅とあられのあしらいで。

 そのだしで仕立てられたさらさらの茶漬け。

 おなかがいっぱいでもう食べられないと思っていたのに、サラサラーっと喉を駆け下りてゆく、その旨味。鼻に抜ける、豊かな香り。手にした茶碗の、まるで自然の産物のようなでこぼこの肌ざわりさえ、まだ記憶がみずみずしい。



 しかしながら過日、kに会ったとき聞いたのは、あの店がたたまれてしまった、とのこと。

 以前に書いた銀座のバァといい、このおばんざい屋といい、愛した店がのれんを仕舞ってしまうのは本当にさみしい。

 きっとあの店に入れ込んだのは、片想いし続けた京都がはじめて、心を開いてくれた場所だから。




 kと、女将と、板前と。彼らのもてなしとその味は、「ここにいてもいいんだよ」とやさしくぼくをいざなってくれたから。




 東京に家を買い、すっかり根を下してしまって、はや一〇年。

 いまは遠いあの町への片想いは、いまも。


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