日常を飛び出て
renovo
出会い
公立のこの高校に入学してからというもの圭介は鬱屈した気分でどことなくこの雰囲気に馴染めない。
クラスの連中は相変わらず、楽しそうに話をしていて圭介はその中に入っていくことができなかった。
彼らを見ているとうらやましくて仕方がなかった。どうして他人はこんなにも気軽に人と接することができるのだろうか。
圭介はクラスの同じように一人でいるやつを目にした。しかし話しかける勇気もなく、男女の大きなグループを見ては自分にはああはなれないなと思っていた。
圭介は休み時間には本を読んだふりをし、いかにも時間をつぶしているように見せかけた。もちろん本の内容なんかは頭に入ってこない。入ってくるのは周囲の雑音だけだ。屈辱的な思いで圭介は本を読んでいるふりをしていた。
本当は人に話しかけにいくのが恥ずかしいだけで羞恥心さえ取り除かれればいいのに、自信がない。
圭介に話しかけてくる人もたまにいるのだが、どうしてか友達にはなれなかった。自分には興味がないのだろうか。自分も自分と同じようなやつに話しかけに行けないように、周りのやつも自分に話しかけられないのかもしれない。そう思うことにしていた。
同じクラスにいる玲奈は相変わらず輝いていた。彼女の瞳や髪の色から何もかもがきらめいている。彼女と話せたら幸せだなと思う。
圭介はぼんやりと玲奈が談笑している姿をただ教室の隅から見ているだけだ。窓の外からは日差しが射しこみ、圭介は玲奈に恋をしていた。こんなに好きなんだという自分の思いは絶対に伝わらないだろう。
「ねえ、あそこに座っているのは誰?」
突然一人の女子が圭介のことを指さす。圭介は驚きとショックを受ける。
「圭介君でしょ」
玲奈はそう言って笑う。その笑顔は優しさに満ちているように見える。それが初めて玲奈から名前を呼ばれた瞬間だった。彼女に名前を呼ばれ、圭介は嬉しさより悔しい気持ちと恥ずかしさでいっぱいだった。皮肉交じりの言動から玲奈は初めて僕を見た。
圭介はどきまぎして視線をそらし、ただ本を読んで気づかないふりをした。
「ねえ、何読んでるの?」
玲奈は突然圭介の方に近づいてきてそう言った。
「ゲーテ」
圭介はかっこつけながらそう言った。
「実は私もそれ好き」
玲奈は笑い、圭介の側から去っていった。
圭介は悔しいのか嬉しいのかわからない気持ちを抱え、その日、家に帰った。
次の日も圭介は一人で授業を受け、休み時間を一人で過ごした。誰も自分には話しかけてこない。
つい玲奈の後ろ姿を見てしまう。
玲奈はいつも笑っている。その笑顔に自分は恋をしているようだ。
妄想の中で彼女と付き合えるのかなとかいろいろなことを考えては、どうせそんなのは無理だろうと思う。
昼休み、圭介は一人で机の上で弁当を食べていた。母親が作ったもので、ソーセージと野菜の炒め物とご飯が入っている。
ふと視線を弁当から上げるとそこには玲奈がいた。
「ねえ」
ふいに玲奈は圭介に近づいてきて話しかけてくる。
「何?」
圭介は思わずそう言った。
「今日はゲーテ読んでないの?」
「さっきまで読んでたよ」
正直自分にはゲーテの作品の意味はわからない。
「ねえ、ゲーテ読むってかっこよくない?」
「確かに」
自分にはゲーテは難しく、家ではライトノベルを読んでいることの方が多い。でもゲーテは自分の中で一番かっこいいと思っている憧れだった。
「ドストエフスキー、太宰治、夏目漱石、いろいろな本を読んだのよ」
玲奈はそう言って天井を見上げる。まるで全てを知っているみたいにふるまっていた。
いったい彼女は何を考えているんだろう。ミステリアスな一面を持っている。そして、そもそもどうしてこんな地味な自分に話しかけてきたんだろうかと圭介は別のことを考えた。
「圭介君は他に誰の本が好きなの?」
「うーん」
圭介は必死に作家の名前を思い出す。
そして「村上春樹かな」とつぶやいた。
「いいわね」
玲奈はまた嬉しそうにそう言った。
「私も村上春樹好きよ。なんの作品が好きなの?」
「ノルウェイの森」
圭介は咄嗟にあせりながらもそう言った。
彼女は僕の机の前の空いた席に座って、菓子パンの袋を開けている。なんだかのんきな性格だなと思う。
「なんで僕に話しかけてきたの?」
圭介は思わず一番聞きたかったことを聞いた。
「私も本が好きだからかな」
玲奈は何でもなさそうにそう答えた。すごく人と話すのが慣れている気がした。
「暇だったらさ、今度一緒に本を買いに行かない?」
玲奈は自分にそう提案したので自分はどきまぎしていた。
「別にいいけど」
圭介は勇気を出してそう言った。
その日の授業中、圭介は浮かれていた。そして何度も玲奈と一緒に買い物に行くことを考えていた。
次の日の放課後に玲奈が圭介の側に来た。圭介はどきまぎしながら彼女が近づいてくるのを待っていた。
「じゃあ、行こう」
玲奈は鞄を肩にかけて僕にそう言う。
「うん」と圭介は頷いた。
二人で階段を下っていく。
「ところで、どうして君はゲーテを読んでいたの?」
「特に理由はないかな」
圭介は相変わらず彼女の目を見て話せなかった。どうしても恥ずかしくなってしまう。それで圭介にとっては今ゲーテのことなんかどうでもよかった。
二人で階段を下りて、下駄箱で靴を履き替える。その間に話すことは特になかった。圭介はなんて言ったらいいかわからなかったのだ。
「あのさ」
後ろから声をかけたのは玲奈だ。
「何?」と圭介は返事をする。
玲奈と話す度に圭介は緊張していて、上手く言葉が出てこない。
「なんでもないよ」
玲奈はそう言って靴を履き終えて、校舎から出た。
玲奈は遠くの空を見ていた。
「太陽の光が眩しいなと思っただけなの」
そんなことを彼女は口にした。
圭介も玲奈の後に続いて、校舎の外に出た。初夏の日差しが照り付けている。もうじきテストで、それが終れば夏休みだ。
「確かに眩しいよね」
圭介は玲奈に合わせてそう言った。
確かに彼女の言うように初夏の太陽の日差しはとても眩しかった。空を見上げれば巨大な入道雲が浮かんでいる。
「ねえ」
また玲奈は圭介に問いかける。
「何?」
圭介は返事をした。
「どこの本屋に行こうか?」
「街で一番大きな駅の前の本屋は?」
圭介はそう言った。
「そうしよう。じゃあ電車に乗って行こうよ」
駅まで二人で歩いて行く。住宅街の道を進んでいくと、ガードレールに強い太陽の光が当たっている。
「どうして圭介君は本が好きになったの?」
彼女はふいにそう質問した。自分自身ただかっこつけて話す人がいないから読んでいるだけだった。
「なんとなく好きなだけだよ」
圭介はそう言った。自然と玲奈に心を許していた。
二人は電車に乗って本屋まで向かった。途中見える景色を僕は見ていた。恥ずかしくて玲奈のことを見ることができなかったのだ。
「着いたね」
玲奈がそう言った時、もう電車は最寄りの駅についていた。圭介はそのことに気づかなかった。
「圭介君はさ、いつも本を読んでいるよね。みんなで遊ばないの?」
何気ない玲奈の一言に一番、圭介はどきりとした。それで何も返事ができなかった。
「きっと圭介君は人に好かれるタイプだと思ったから」
玲奈はそう言った。
そう言われて自分は嬉しくなる。
二人で街中の喧騒を歩いていった。隣には魅力的な憧れの玲奈がいる。目がくりくりしていて、髪がすらっと長く、スタイルもいいし、何より優しかった。
「君の方が人から好かれるだろ。僕なんてなんの取り柄もないし」
「そんなことないと思うけど」
玲奈は何気なくそう言った。
「私だって自分のことすごく気になるけどね」
玲奈はそう言った。
「そうなの?」
圭介は驚いてそう言う。
圭介には玲奈の言葉の本意がわからなかった。あんなに魅力的な彼女がそう思っているなんて想像していなかったからだ。
本屋に着き、玲奈は難しそうな本が置いてあるところまで向かった。正直、圭介はライトノベルの方が好きだったが、どうしてか難しそうな本に彼女と同じように惹かれてしまう。
「何の本読む?」
玲奈はやけに真剣に本を見ている。
「これは?」
圭介は適当に本を指さした。
「いいね」
圭介が指さしたのはドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟だった。
そこでいろいろ本を見た後、ライトノベルのコーナーにも行った。それで結局二人で同じ本を買った。お互いに感想を言い合う約束をしたのだ。
その後、本屋の近くの喫茶店に行って、二人でコーヒーを飲んだ。
玲奈はコーヒーを飲みながら遠くの景色を見ている。圭介は相変わらずそんな彼女に恋をしていた。
「ねえ?」
「何?」と圭介は言った。
「今日はとても楽しかった」
玲奈はそう言って微笑む。なんだか優しさを感じる。
帰りはもう夕暮れだった。オレンジ色の太陽が街中を照らしている。自分の片思いは彼女に届くのだろうか。異様なほどに楽しい瞬間の連続で彼女と過ごした時間は自分には幸せ過ぎるように感じた。
「いったい何のために生きているんだろう?」
圭介は帰り際にそうつぶやく。
「さぁ?」
玲奈は適当に返事をして笑う。正直今の自分には二人でこうしているだけで十分だけなのだけれど、ふとそんな考えが頭をよぎったのだ。
「僕はいったいなんのために生きているんだろうって。それで、結局意味なんかないって思う。そうは思わない?」
「そんなこと考えたこともなかった」
玲奈はそう言って笑った。今の彼女にはそんなことどうでもよかったのだろうか。
帰り道に僕らは会話を交わし、彼女の口から出てくる言葉の数々を拾い集めた。
「さっきさ、いったい何のために生きてるんだろうって言ったよね?」
「言ったよ」
圭介はそう返事をした。
「いつかそこに意味を見出してみたいな。誰も想像できないような意味を」
玲奈はそう口にした。
月が照らす帰り道はまるで二人だけでいるみたいで幸せだった。
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