十七話 守りたいもの

 マローネは、メアリの仕事である洗濯を手伝っていた。


 ――新たな主従の誓いを立てた後、サフィニア改めサイネリアは、みんなに事の次第を伝えた。すると、マローネがサイネリアの元へ残ることを、誰もが快く受け入れてくれたのだ。


 横のメアリは、いつもにまして機嫌が良く、皺の刻まれた顔からは笑顔が絶えない。


 桶の前に屈み、ゴシゴシと衣類を洗うマローネを優しく見つめながら、メアリは言った。


「マローネちゃんが、あの方を嫌わずにいてくれて、本当に嬉しいよ」

「え?」

「だってねぇ、マローネちゃんが来てから、あの方は随分といい顔で笑うようになったんだよ。だから、この婆は、出来ればずっとマローネちゃんが傍にいてくれたらと思っていたんだ」  


 サイネリアがサフィニアを演じるようになってからも、ずっと見守ってきたというメアリは、心底ほっとしたように笑った。目には、うっすら涙が浮かんでいる。


「……あとは、うちの孫が立ち直ってくれればねぇ」

「ヨハン殿、ですか?」

「……うん、そうだね。……あの方も、ヨハンも、五年前の事件で傷を負った人間だよ。目に見える傷は徐々に癒えても、心の傷は人の目からは分からない。――ともすれば、本人ですら気づけない事があるから……」

「――ヨハン殿は、幼なじみだと聞いていますが……もしかして、事件の時も、一緒に?」


 すると、メアリは首を横に振り、苦笑いを浮かべた。


「…………あの子はね、騎士になろうと頑張っている最中だったんだ。マローネちゃんと、おんなじさ。……不遇な主達を守るため、騎士になると息巻いていたんだ」


 そして、離れている間に事件は起きた。

 駆け付けたヨハンは、生き残った《姫》と対面した。その時、二人がどのような会話を交わしたかは、メアリも分からないと言う。


 ただ、当時サイネリアは目も当てられぬ状態で、自室に引きこもり、誰とも会わなかったのだ。


 その後、すぐにヨハンは帰ってきた。周囲が引き留めるのも聞かず、志半ばで騎士の道を捨てた彼は、サイネリアの元へ戻ってきた。――そして、ヨハンの帰還と同時に、サイネリアは部屋から出てきたのだが……。

 その時の彼は、すでにサイネリア王子ではなかった。サフィニア姫として、外に出てきたのだ。


「何をお考えかは、婆には分からない。けれどね、マローネちゃんが来てからの変化は、とても良い変化だと思っているよ」

「――……」

 

 年老いたメアリはしみじみと呟いた。喜びと、労りと、少しの憐憫が込められている――年を経た者だけが見せる、複雑な感情表現。

 まだ二十年も生きていないマローネには、絡まり合っている感情を全て読み解く力は備わっていなかった。

 だが、なぜだろうか。マローネの目には、優しく微笑んでいるはずの老婆が、泣いているように見えた。





「マローネ、仕事が一段落したなら、こちらに」

「はい! 失礼します!」」


 日課となった仕事を終えたマローネは、自室から顔を出したサイネリアに手招きされ、急ぎ足で駆け付けた。


「あぁ、扉は閉めて下さいね」

「心得ました!」

「……ここまで純粋な信頼を寄せられるのも、複雑というか……」


 嬉々として部屋にやってきて、自分の言に素直に従うマローネを見て、サイネリアは苦笑している。


「サイネリア様?」


 不思議に思ったマローネが呼びかけると、彼はしばし瞠目し、それからゆっくりと唇を持ち上げ、花が開くような笑みを浮かべる。


「……はい、マローネ。もう一度」

「え?」

「もう一度、呼んでもらえますか?」

「え、えと……サイネリア様……」

「――はい」


 とても幸せそうに返事をする主に、なぜだか頬が熱くなり、マローネは視線を彷徨わせる。

 すると、今度はサイネリアがおかしそうに笑っていた。


「貴方は、表情がコロコロかわって……本当に、見ていて飽きない人ですね」

「う、うぅ……!」

「あぁ、もちろん、俺は褒めているんですよ? ……おかげで、理由を付けてずっと見ていられる」

「……あまり、見ないで下さい」


 恥ずかしいと呟けば、サイネリアは悪戯っ子のような表情で答えた。


「嫌です。……俺は、恥ずかしがる貴方が、存外好きなので」

「! い、意地が悪いです……!」

「貴方限定です。……諦めて下さい、おちびさん」


 そこで、マローネはようやく自分がからかわれていると気が付いた。


「さ、サイネリア様……! わたしで遊ぶのは、駄目です……!」

「おや、バレました?」

「ひどいです……! ひどいですよ……!」

「……あながち、全部嘘というわけでは無いのですが……。まぁ、今のところは、俺が引きましょう。……マローネ、手を出して下さい」


 今度はなんだろうと身構えるマローネに、サイネリアが苦笑して何を差し出した。


「……これは……」


 彼の手の中にあるのは、手作り感があふれる腕輪だった。

 青と白が入り交じった斑な石と、小さな緑色の石がつながり、輪を作っている。


「貴方に差し上げます」

「え? あの、どなたかの手作りのように見えるのですが……良いのですか?」

「かまいません。……出来は稚拙ですから、肌身離さず身につけろとはいいません。……ただ、剣を捧げられた以上、騎士に自身の持ち物を一つ贈る事は、古くからの習わしでしょう」


 かすかに目元を染めたサイネリアは、早口で言い切るとそっぽを向いた。


 国には、古い習わしがある。

 ――騎士が剣を捧げるのならば、主は信頼の証しとして自身の持ち物を一つ、己の騎士に贈る……というものだ。


 しかし、時代の経過と共に、その習わしも変化した。今では、必ずしも守らなければいけない約定では無い。

 己に剣を捧げた騎士に応え、証として何かを贈るかどうか。全ては、主の心一つで決まる。

 故に、今の世で証を授かるという事は、騎士にとってはこの上ない名誉である。


「わたしに……! 夢のようです!」


 だから、マローネも当然飛び上がらんばかりに喜んだ。

 それを、満更でもなさそうな顔で眺めつつも、サイネリアはたしなめる。


「……大げさな。――俺が子供の頃作ったものですから、そこまで喜ばれても困りますよ」

「え?」

「……言っておきますが、俺の趣味ではありません。――サフィの奴が、こういう物を作るのが好きだったんですよ……自分はもの凄く不器用だったくせに、ね」


 言ってから、過去を懐かしむように、サイネリアは目を細めた。


「この腕輪も、サフィに付き合わされて作ったんです。俺が作った方が出来が良くて、ふくれっ面になって」


 思い出を語るうちに、当時の様子を思い出しおかしくなったのか、サイネリアは小さな笑い声をこぼす。


「……そんな大切なものを、わたしに?」


 子供の頃、姉に付き合わされて作った腕輪。

 精巧さ、華やかさ、高価さ――全て、商人達が取り扱うものには劣るだろう。

 けれど、マローネの目に映る腕輪。

 今、サイネリアの手が大切そうに持っている、その腕輪は、何を対価にしても釣り合いがとれないほど、尊いものに見えた。


 サイネリアにとって、幸せな記憶を思い起こさせる品。それを、捧げた剣への返事だとする彼は、マローネの手を取った。


「大切なものだからこそ、貴方に贈るんですよ、マローネ。俺は、貴方に持っていて欲しいんです」


 マローネの手に、腕輪を握らせたサイネリアは、上から自身の手を重ね、包み込むように握った。


「……それに、これは大事な人に贈るためのものですから。……現にサフィも、アイツに贈っていましたからね」

「アイツ……? もしかして……」


 マローネの脳裏に、ある人物の顔が浮かぶ。

 人当たりの良い笑みを浮かべているのが常の、青年。


 思い返せば、彼も手作りの腕輪を身につけていた。薄紅色の石と透明な石で作られた腕輪で、少し緩めな作りだったが、間違いない。


「ヨハン殿、ですか?」


 尋ねると、サイネリアは頷いた。


「はい。……サフィは、アイツの事が、とても好きでしたから……とても――」

「…………」


 懐かしい思い出を語る口ぶりだが、サイネリアの表情が、僅かに陰る。不意にこみ上げてきた衝動にまかせて、マローネは空いていた左手をサイネリアの手に重ねた。

 驚きに目を瞠ったサイネリアが何か言うよりも早く、マローネは言う。


「――大切に……一生、大切にいたします、サイネリア様」

「貴方は、本当にいちいち言い回しが大げさですが……。でも、そうしてくれたら……俺は、とても嬉しいです」


 出来るならば、その憂いを払ってしまいたい。ずっと笑顔でいて欲しい。けれど、過去は決して無くならない。


 今朝方、メアリが言っていた心の傷の話が、思い返された。


 マローネにとって、サフィニアとの思い出が尊いものとして今も記憶に色濃く残っているように、サイネリアが家族を亡くした時の衝撃も、きっといつまでも消えはしないのだ。

 そして、今なおサフィニアが贈ったという腕輪を身につけ続けているヨハンの喪失感も……。


 自分に出来る事は、サイネリアを守ることだと、マローネは改めて思う。


 本人も気付いていない傷を無理矢理に治すでもなければ、目を逸らさせ続けるでもない。

 傷つけられた、取り返しの付かない過去も、優しい思い出も、サイネリアという存在を形成する全てをひっくるめて、守ることこそ自分に出来る事であり、自分がすべき事。

 そして、それこそが自身の望みでもあると、マローネは気が付いた。


(わたしは、この方を守りたい)


 恩人であるサフィニアごと、目の前でマローネの腕に腕輪をはめているサイネリアを守りたいと思った。

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