十五話 少女の夢

 ――それは幼い頃の、大事な大事な思い出だ。今でも夢に見るほどに。



「マローネ!」

「あっ! サーちゃん!」


 幼いマローネは、ぶんぶんと大きく手を不利ながら駆け寄ってくる、年上の女の子を見つけると、腰掛けていた花壇からピョンと飛び降りた。


 この広い庭は、王宮庭園と呼ばれている。

 誰でも立ち入り、美しい花々を鑑賞できる、王家の好意で開放された庭園ではあるが、実際に城下に住む人々が訪れる事は無い。


 この美しく作られた庭園に足を踏み入れることを許されているのは、貴族と、彼らに連れられて来る、子供だけだ。

 王宮庭園は、社交界の縮図。子供達に与えられた、練習用の社交場であった。


 けれど小さなマローネは、父に連れられて訪れる、この庭園が大嫌いだった。


 ひどく、意地悪な子達がいた。

 マローネが父そばにいる時、彼らはとても大人しい。だが、ひとたび父が、大人の話だ仕事だとマローネのそばを離れると、これ幸いだと底意地の悪い笑みを浮かべ、集まってくるのだ。


 彼らはよってたかって、マローネを馬鹿にする。

 そして、最後には必ずマローネの母のことを侮辱し、泣きじゃくるマローネを見て笑うのだ。


 そんなある日、颯爽と現れ助けてくれたのが、このサフィと名乗った少女だった。


 いじめっ子達を追い払ってくれて、泣いているマローネに薄紅色の可愛らしいハンカチを差し出してくれた。泣き止むまで根気よく付き合ってくれたサフィは、マローネから事の次第を聞いて、お姉さんのような口調で言った。


 泣いてばかりでは駄目。あなたは何も悪いことをしていないのだから、堂々と前を向いていなさい……と。


 マローネの母は、いつだってマローネや父に謝っていた。父はいつも悲しそうな顔でマローネと母を抱きしめていた。

 何も悪いことをしていないというサフィの言葉は、そんな両親を知るマローネの心に、強く焼き付いた。


 そうだ。

 両親は互いに愛し合って結婚したのだ。

 何も悪いことなどしていない。


 サフィの言葉を受けて、初めてマローネは、自分をいじめてくる子供達の言い分に疑問を持った。


 マローネの母は、旅の踊り子だった。父が見初めて、二人は結婚。そしてマローネが生まれた。

 けれど、母を卑しい女だと馬鹿にする人は多かった。子供は、大人の言葉を借りてマローネをからかった。


 卑しい女の子供。

 だまされた馬鹿な男。

 ほんとうに、侯爵の子供かどうか分からない。


 口さがない言葉を聞く度に、マローネは泣いて、その度に母はマローネと父に謝った。自分のせいで申し訳ないと、何度も何度も。

 父は、謝る母と泣きじゃくるマローネを悲しそうな目で見つめて、抱きしめた。


 けれど、優しい両親が謝る必要などあるだろうか?


 サフィの言葉を聞いてから、色々考えた。そして、マローネは初めていじめっ子達に立ち向かった。

 結局泣いてしまったが、いつものように俯いたりは絶対にしなかった。

 ちゃんと言い返せた日、実はこっそり見ていたというサフィは、自分の事のように喜んでくれた。それから、意地悪な彼らがちょっかいをかけてくる頻度は減った。


 マローネは初めて出来た、少しだけお姉さんな友達と、父が戻る間の短い時間を共に過ごすようになり、大嫌いだった王宮庭園を、少しだけ好きになることが出来た。特別な場所だと、思えるようになった。


 だって、サフィとは、ここでしか会えないから。


「今日は大丈夫だった?」

「うん! わたし、もう泣かないの! サーちゃんみたいになるの!」

「私?」

「強くて優しくて、お姫様みたいに素敵だもの」

「……それは褒めすぎよ、マローネ」


 初めて出来た友達は、照れくさそうに笑った。


「強いのも優しいのも、きっとマローネだわ」

「……わたしは、まだまだよ。だって、我慢してても、まだ泣いちゃう時あるもの。泣き虫って、からかわれる」


 強くて優しい女の子というものは、とても難しいと肩を落とすマローネに、サフィは吹き出して、ころころと笑い声を上げた。


「マローネは、きっと素敵な女の子になるわ」

「ほんとう?」

「えぇ。だからみんな、今から貴方の気を引きたくて仕方ないのよ」

「……わたしは、お母様をいじめる人は嫌い。お父様を馬鹿にする人も嫌い」

「マローネは好き嫌いが多いわね」

「サーちゃんの事は、大好きよよ?」


 ありがとう、私も大好きよ。

 そう言って笑顔を返してくれる彼女に、マローネはもじもじしながら、大事な話を切り出した。


「……あのね……、お母様にサーちゃんの話をしたの。そしたら、今度おうちに遊びに来てもらいなさいって!」

「え?」

「……いや?」


 不安な気持ちになり、マローネが伺うと、サフィは頬を紅潮させ満面の笑みを浮かべた。


「い、嫌なんかじゃ無いわ! ほんとうに、私が行ってもいいの?」

「うん! サーちゃんに来て欲しいの!」

「嬉しい……! 私、お友達のおうちに遊びに行くなんて、初めて!」

「わたしも、お友達を呼ぶの、初めて」


 二人は照れくさそうに顔を見合わせて笑った。


「私達、お互いが初めての友達ね」

「うん、友達!」


 サフィは、マローネに出来た初めての友達だった。

 けれど、家に招待するという約束は果たされること無く終わったのだ。


「こちらにおられましたか、サフィニア様」


 突然現れた厳めしい顔をした男達が、サフィを取り囲み、マローネは血相を変えた父により抱えられ、引き離された。


「勝手にこのような場所を歩き回られてはこまります。ご自分の立場というものをご理解下さい。お戻りを」

「……はい」  

「サーちゃん……」


 しぼんだように元気がなくなったサフィが心配になったマローネが、思わず呼びかければ父から叱責された。


「マローネ! 姫様に向かって、なんて口の利き方だ」

「お姫様……?」


 視線が重なり、サフィはこくりと頷いた。


「ごめんなさい、マローネ。……あんまり楽しくて、どうしても言い出せなかったの」


 だって、この国の姫だと知ったら、周りの大人は、貴方と私が友人になることを許さなかったでしょうから……。


 寂しそうに呟いたサフィは、大人達に囲まれてマローネに背を向けた。


「サーちゃん……」


 それっきり、マローネがサフィに会うことは無かった。

 正確には、許されなかった、が正しい。


 父は、しばらくマローネを家から出さず、その後も王宮庭園に近付く事も禁止した。サフィに会いたいと言っても、駄目だった。

 その名前は二度と口にしてはいけないと、怖い顔できつく言い含められた。

 父のそんな怖い顔を見たのは初めてだった。

 

 ――名前を告げれば、周りの大人が許さない。

 

 彼女が残した言葉の通り、マローネがサフィニアと友人になることは許されなかった。

 サフィニアは、確かにこの国の姫だが、王妃の子供では無い。妾腹の姫と親しくすることは、大国という後ろ盾を持つ王妃を敵に回すこと。……大人は、それを恐れていた。


 母は、落ち込むマローネから事情を聞くと、悲しそうに笑ったのだ。


「お生まれで苦労されている方だからこそ、マローネに境遇を重ねたのかもしれないわ。貴方へ向けた言葉は、そのままご自身に向けた言葉だったかもしれないわね」


 何も悪いことなどしていないと言ってくれた、サフィニア。

 その言葉に、マローネは勇気を貰った。 

 だから、次は自分の番だとマローネは顔を上げた。


「わたしね、サーちゃんみたいに、強くて優しい女の子になるって決めたの」


 強くて優しい女の子になる。

 サフィにも告げた事だ。

 たくさんの大人に囲まれ、寂しそうな顔をしていた友達の姿が思い浮かび、マローネは新たな決意を固めた。


「それでね、サーちゃんがわたしをたすけてくれたように、今度はわたしがサーちゃんをたすけるの。そばに行って、もう大丈夫だよって言うの」


 だって、友達ってそういうものだよね。

 ぼろぼろ泣きながら、無理矢理笑おうとしたマローネを母は黙って抱きしめた。


「次に会ったら、サーちゃんは悪くないって伝えるの。友達になれて嬉しかったって言うの。怖い顔の人ばっかりだから、きっとサーちゃんも笑えないと思うの。だから、わたしがそばに行って、大丈夫って伝えてたくさん笑わせて、それでね……」


 母は、うんうんとただ頷いてくれる。マローネが嗚咽混じりに語る夢物語を笑わない。


「それで、いつか約束通り、おうちに遊びに来て貰って、お母様のお菓子を食べて貰うんだ」


 二人で、お菓子を食べて、本を読んで、たくさんおしゃべりして……、また明日って笑い合う。

 

実現すると信じて疑わなかった他愛ない約束事が、永遠に果たされない事を知らず、幼いマローネは夢を語った。


 サフィと名乗った、初めての友達。


 彼女がくれた勇気を胸に、いつか必ずと決意を固め、二度と来ない再会を夢見ていた。


 この四年後、サフィニア姫は母親と双子の弟王子、親子三人で出かけた行楽の地にて、襲撃を受けた。マローネが、再会を果たすための方法として騎士を目指すのは、この悲劇の後からになる。 

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