十四話 偽れないもの
マローネは、屋敷にて与えられている部屋で呆然と座り込んでいた。
詰め所では、エスティに顔色を心配されたが、何でも無いと言い張りサフィニアと共に戻ってきた。
屋敷の前で出迎えてくれたヨハンにも、どうしたのだと心配された。
自分はよほど酷い顔をしているらしかったが、ヨハンにはただ、また襲われた事を説明しただけだった。
そのまま、この部屋に戻ってきて――途端に力が抜けて、床に座り込んでしまったのだ。
どこをどうして帰ってきたか、一体どんな説明をしたか、事細かには思い出せない。ただ、なんとなくこうして、あんな事を言って、としか思い出せなかった。
こんな状態でも、我ながらよく回る口だと、どうでもいい事を考える。
(あぁ、でもエスティにはお礼も満足に言っていないし、謝罪もしないと……)
そんな事を、考える。
けれど、その前にこの服を脱がなくてはいけない。
やっぱり自分は騎士なのだから、スカートなんて、ひらひらしている服装は似合わない。
次々と、取り留めないことを考えた。
――そうだ、着替えると言えば、サフィニア様は怪我をしている。一人で大丈夫だろうか。
まとまらない思考でも、結局そこにたどり着いてしまい、マローネはふと我に返った。
(……サイネリア王子)
マローネがずっと、サフィニア姫だと思い込んで接していた人。
《サフィニア姫だと思っていた人》が告げた、真実。
(もしも、わたしが気が付かなかったら、あの方は、ずっと黙っていたんでしょうか……)
対外的には死んだと言われている王子が、実は生きていた。それも、王子としてでは無く、双子の姉の名を借りて生きていたのだ。
人の目を避けるように暮らしてきた、隠れ姫の正体は、姉の名を名乗る弟王子。
ならば、本当のサフィニア姫はどこにいるのか?
一体、どこへ行ってしまったのか?
(……サフィニア様は……きっと……)
告げられた真実が示す答えは、一つしか無い。
マローネは、自身の中で答えを導き出した。とても悲しい答えを。
その時だ。
――こんこん……と、扉を叩く控えめな音が聞こえた。
扉の向こう側に立っているのは、考えるまでも無く、あの人だろう。
マローネは、足に力を入れると立ち上がり、部屋の扉を開いた。
「話をしたいのですが……、いいですか?」
思った通りの人物が、思い詰めたような表情を浮かべ、立っている。
「――」
サフィニア様、といつものように主を呼ぼうとして、マローネは言葉に詰まった。
目の前にいる人を、今はなんと呼べば良いかも分からない。マローネは、ただ一言「はい」と頷くのが、精一杯だった。
「……ありがとうございます」
いつもながら地味な色合いのドレス。
その裾を、優雅になびかせながら部屋に入ってくる、《サフィニア姫》だった人。
この姿を見れば、誰も男などと思わないだろう。それほどまでに、マローネの目に映る人は、完璧な姫だった。
「あ、椅子に……」
立たせておくわけにはいかないと、椅子を勧めたマローネだったが、目の前の相手は苦笑して首を横に振った。
「いいえ。このままで、結構です」
「でも、お怪我をなさっているのですから」
「どうか、このままで聞いて下さい」
頑なに座ることを固辞されては、食い下がることは出来ない。マローネは、そうですかと座らせることを諦めた。
「あの、それで、一体どうしたのですか?」
自分でも、白々しいと思う問いかけだった。
どうもこうも無い。きっと、《サフィニア姫の話》をしに来たのだ。こわばった表情が、これから聞く話が、決していい話では無いと物語っている。
どこから話せばいいでしょうか……と、マローネの主が口を開いた。いつもより、力の無い、疲れ果てたような声だ。
乾いた笑みを浮かべて、主はマローネを見下ろした。
「嘘を、ついていました」
笑っているのに、マローネの目には、ひどく苦しそうに見える。
「最初から、ずっと。……貴方を、欺き続けてきました」
「……嘘とは……、その格好のこと……ですよね?」
「はい。……これから全て、お話しします。……俺の本当の名前は、サイネリア。サフィニアは俺にとって、双子の姉にあたります。そして……」
一度だけ、ためらうように瞳が伏せられた。
逡巡のあと、意を決したように開かれる双眸。
そして、彼は、真実を口にした。
「五年前に死んだ王子こそが……貴方が求めていた、本物のサフィニアです」
告げられた言葉は、マローネが直前にたどり着いた答えそのものだった。
「俺達は、あの日、たまたま入れ替わっていた。あの襲撃は、王子を狙った者だったから、サフィニアの格好をしていた俺は助かり、俺の格好をしていたサフィニアは……」
「そう、ですか……」
「貴方には、本当に申し訳ない事をしました」
その声は、日頃より低い。それこそ、花祭りの時と同じ声だ。
日頃の声の方が、嘘なのだと、思い知らされる。マローネといた時の姿こそが、偽りだったのだと。
マローネの目の前にいる人……――彼はずっと、演じていたのだ。
マローネが、近くにいる間、ずっと。
本来ならば気が抜けるはずの屋敷ですらも、死んだ姉を演じ続けていたのだ。
「……ごめんなさいっ」
「マローネ?」
気が休まる事など無い、つらい日々だったに違いない。
そんなマローネの思いとは裏腹に、サイネリアは逆に謝られた事に対し、戸惑うような顔をした。
「……どうして貴方が謝るのですか」
「わたしが、来たから……っ」
自分が、サフィニアの護衛騎士になりたいとやって来たせいで、サイネリアは心安まる場所すら無くしたのだと、マローネは謝罪した。
「……貴方が現れたときは、確かに厄介な事になったと思いました。でも…………、本当に最初だけですよ?」
マローネが来てくれて、屋敷の雰囲気が明るくなったと、サイネリアは言う。
「この屋敷の、停滞していた空気を動かしてくれたのは、貴方です。――だから、本当に感謝しているんです。……同時に、真実を知られることが怖くなった」
最初の頃は、正体を知られてはいけないという警戒心が先に立っていたと言う。
特に、マローネが“サフィニア姫様観察日記”なるものをつけていると知った時は、誰かに密告する気なのだろうと疑っていた。だから、監視もかねて傍に置くようにしたのだと、サイネリアは苦笑した。
「――でも、それが失敗でした」
一呼吸置いたサイネリアは、今にも泣き出しそうな顔をしているマローネに手を伸ばした。
ためらいがちな手は、頬をかすめただけで離れていく。
「貴方は、馬鹿みたいに明るくて、真っ直ぐで……そして、心からサフィニアを慕っているのが分かった。恩返しなんて、最初は信じていなかったけれど、本気で言っているのだと気が付いた」
だから、失敗だったとサイネリアは繰り返す。
「――そんな貴方を、好ましいと思った。……そうすると、今度は嘘が露見して、貴方がいなくなることが怖くなった。そばにいて欲しいがために、俺は、貴方が信頼に足る人間だと分かってからも、嘘を突き通してきた」
もういない存在に対して、何も知らずに恩を感じているマローネ。その気持ちを利用した。
サフィニアを演じ続けることにより、自分の元へ縛り付けたのだと、サイネリアは自嘲気味に唇をゆがめた。
そして、一度言葉を切ると、ゆっくりと息を吸う。
マローネを見下ろす双眸が、笑みの形に細められる。
「マローネ」
その声には、ありったけの感情が込められていた。
確かな信頼が感じ取れたし、親愛の情がにじみ出ていた。
だと言うのに、マローネに返事を迷わせる、何かがあった。
「……っ」
言葉を忘れてしまったかのように、何もも言えずにいるマローネを置き去りに、サイネリアは続ける。
「マローネ・ツェンラッド。貴方から預かった剣を、今ここでお返しします。――貴方の、曇り無き心にふさわしい真の主に、剣と忠誠を捧げるといい」
語る声音は、穏やかだった。
マローネは、思わず「えっ?」と戸惑った声を上げてしまった。
何か言わなければと焦る。焦れば焦るほど、口にする内容はまとまりが無くなっていく。
「待って下さい……。それは……、解任という事ですか? ここを出て行けと? わたしでは、駄目なのですか? 騎士に相応しくないと……?」
「違います……!」
熱い塊が、喉元までせり上がってきた。もうすぐ決壊してしまうという所で、サイネリアの方が声を荒げた。
「貴方が相応しくないなんて、そんな訳ないだろう……! 出来る事なら、俺だって、ずっとこのまま……っ!」
サイネリアがきつく目を閉じた。何かを耐えるように。何かを押さえ込むように。
そして、次に目を開けた彼は、全ての感情を押し隠し、ただただ穏やかに笑うだけの仮面を付けていた。
「――貴方が剣を捧げたかった人間は、もうこの世にいない」
そして、マローネに再認識させるかのように、隠されていた真実を繰り返し口にする。
サフィニア姫は、もういないと。
「この屋敷にいるのは、死んだ姉の名前を隠れ蓑にして、こそこそ生きている、卑怯者だけだ。……そんな男に、貴方の剣は……っ……重すぎる――」
サイネリアは、言いたい事だけ言うと、部屋を出て行った。
穏やかな声音が紡いだ言葉は、ひどく残酷に聞こえた。
呼び止める事すら出来なかったマローネは、ただた呆然と、その場に立ち尽くすだけだった。
◇◆◇◆
自室の扉を閉めたサイネリアは、ふーっと大きなため息を吐き出した。
(これでいい)
マローネ・ツェンラッドという少女は、サフィニアに恩を感じていた。
だから、わざわざ隠れ姫の騎士になりたいと、自ら志願してきたのだ。
であるならば――サフィニアではない人間の騎士など、嫌だろう。
それも、サフィニアのふりをしている、女装した男なぞ……絶対嫌に決まっている。
そう思って口にした言葉だったのに、自分が「新しい主を見つけろ」と言った瞬間、マローネの目には、傷ついたような色が浮かんだ。都合の良い幻では無いだろう。
――あの少女に、すがるような目で見上げられた瞬間、全部忘れて抱きしめたくなった。
どこにも行かないで欲しい。
サフィニアではなく、自分を見て欲しい。
ずっと、一緒に……――。
こみ上げてきた衝動のまま、感情のままに、彼女に手を伸ばしたかった。
けれど……結局、サイネリアは、全てを押し殺す方を選んだ。口からこぼれた本音は、慌てて飲み込んだ。
そんな状態では、もうマローネの顔を直視できるはずもなく、一方的とも言える会話を打ち切り、逃げ出してきたのだ。
(明日には、いなくなっているだろうな)
ごろんと寝台に寝転がると、肩の傷がズキンと痛みを訴える。
サイネリアは無意識に肩に手を当てて、願った。
――このまま自分に、消えない痕が、残ればいいと。
嵐のように現れた少女は、明日の朝日が昇る頃には、もうこの屋敷から消えているだろう。
来たときの騒々しさとは反対に、きっと一陣の風が吹き抜ける時のように、何も残さず。
ならばせめて、彼女がいた証が欲しかった。
ほんの一時だけとはいえ、彼女が自分のそばにいてくれた証に、この傷だけは消えなければいいのに――サイネリアは、そんな馬鹿げた事を、心の底から願っていた。
それほど、あの少女は自分の心を侵食していたのだと気付く。
(早く逃げ出してくれればよかったのに)
初めは、ただのうるさい小娘だと思っていた。
だから、騎士を自称する彼女に雑用を押しつけ、高い気位をへし折って、さっさとお引き取り願うつもりだったのに……。
それなのに、マローネと名乗った小柄な少女は、嫌な顔一つせずキビキビ働き、いつだってニコニコ笑っていた。
その明るさは、屋敷の中に滞っていた空気をも動かしたのだ。
誰もが、心からの笑顔を浮かべ、親しみを込めて彼女に声をかける。
笑い声が響くなど、姉が死んでから久しくなかった。
そして、サイネリアは、いつの間にか自分も笑みを浮かべている事に気が付いたのだ。
マローネは、いい子だ。恩返しがしたいと、わざわざ不遇な姫の元へやってきた、実直で義理堅く純粋な少女。
マローネの存在を受け入れ、一緒の時間を過ごす事が心地良いと自覚したと同時に、サイネリアは気が付いてしまったのだ。
あの少女が見ているのは、自分ではないと。
一心に慕っているのは、臆病者のサイネリアなどでは無い。マローネは、あくまで過去に自分を助けてくれた、気高いサフィニア姫に恩義を感じ、慕っている。
――そう。マローネの笑顔も思いやりも、全ては、もはや過去にしか存在しない、本物のサフィニア姫に向けられた好意でしかない。
その事実に気が付いたとき、サイネリアは頭を思い切り殴られたような衝撃を受けたのだ。
「間違えるな。……俺じゃ、ない」
今もこうして言い聞かせる度、その声は自分のものとは思えないほどみっともなく、震えてしまう。
サイネリアは、怪我をしていない方の腕を持ち上げると、目元を隠すように覆った。
こんなことなら、もっと話しておけばよかったと後悔がこみ上げる。同時に、こんなことなら、別れを惜しむほど近付くべきでは無かったという正論が胸をよぎった。
しかし……。
『サフィニア様!』
嬉しそうに笑い、弾んだ声音で呼びかけてくる少女がまぶたの裏に思い浮かぶ。
あの声で、自分の……――本当の名前を呼んで欲しいと思うようになったのは、いつだったか。
そして、その願望が叶わない事に、不満を抱いたのはいつからだったか。
サフィニアしか見ていない少女。その事に、嫉妬心を抱いたのは?
――もう、心は偽れないほど大きくなっていた。
結局どうあっても、自分とマローネは遅かれ早かれこうなるべきだったのだ。サフィニアと呼ばれていた彼は、絶えずわいてくる後悔を、無理矢理振り払った。
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