一話 押しかけ騎士と麗しき隠れ姫
すでに何千回とはんすうした、懐かしい思い出。
長年夢見ていた再会に、もう少しで手が届くところまできた。そう、幼い頃の別れから時を経て、ようやくここまで来られたのだ。
マローネは、とうとう記念すべき日が来たと、感動に震える手で襟元を正し、ぴんっと背筋を伸ばした。
鏡に映る自分の姿に、おかしな点がないか、何度も何度も確認する。
(服装、よし。髪型、よし)
騎士になると決めた日から、願掛けとして伸ばしていた榛色の髪も、きっちりと一本の三つ編みに結わえてある。
なにせ、今日は記念すべき第一日目なのだ。万が一でも、服装に乱れがあってはならない。
全てにおいて、完璧でなくてはいけないのだ。
「……よしっ!」
上から下まで自分の姿を眺め回し、ようやく最終確認を終えたマローネは、笑み浮かべる。
騎士の礼装に身を包んだ己を、この上なく誇らしく思っているのが分かる、満面の笑みだった。
「サフィニア姫、待っていて下さい! 今、貴方の騎士が参ります!」
敬愛する姫君の名前を叫び、喜び勇んで部屋を飛び出したマローネは、この時、無限の希望に満ちあふれていた。
だがしかし、その後……数時間も経たないうちに、彼女は絶望することとなる。
他でもない、マローネが敬愛して止まない、サフィニア姫……――口さがない人々からは、隠れ姫と呼ばれ揶揄される、引きこもり王女からの拒絶によって。
◆◆◆
マローネが喜び勇んで向かったのは、王城――その広い敷地内にあって、ぽつりと離れて建っている、こぢんまりとした屋敷だった。
それこそが、サフィニア姫の住まう屋敷なのだが、この国の姫が住んでいるとは思えないほど、ひっそりとしていた。
扉に備え付けてある呼び鈴を叩けば、穏やかそうな老女が顔をのぞかせる。
「はい。どなた様でしょうか……?」
「初めまして! マローネ・ツェンラッドと申します!」
「はい? ……はい、はい……あらあらまぁ……随分と可愛らしいお客様ですねぇ。どうなさいましたか?」
少し視線を下げた老女は、ほっこりとした笑みを浮かべてマローネに用件を促した。
「えぇと、まずは、急に押しかけてしまった非礼をお詫びいたします。わたしは、本日よりサフィニア姫様の騎士として姫様の元にはせ参じました。……こちら、その旨を記した書です」
正式な騎士となれば、騎士団に属するのが常である。しかし、王族の護衛騎士に志願する権利も手に入る。
あくまで志願であり、許可が得られるかどうかは、個人の裁量となるが……それでもマローネは、速攻でその権利を行使した。そして、常日頃からサフィニア姫への敬愛を語っていたおかげか、書類は早々にでき上がった。
だから今日、マローネは喜び勇んでやってきたのだ。
「騎士……?」
老女は、驚いたように目を丸くし、上品な仕草で口もつを抑えた。
「貴方が?」
「はい!」
「まぁまぁ……、小さいのに、すごいわねぇ……。でしたら、ちょっと待っていてちょうだいね。……ヨハン! ヨハンはいない?」
老女はマローネから封書を受け取ると、後ろを振り返り、屋敷の中へ呼びかけた。
「なんだい、ばあちゃん」
すぐに、背の高い青年がやって来た。
「あれ、珍しい。お客様なんて。……どうしたい、お嬢ちゃん。迷ったのかい?」
にっこりと人好きのする笑みを浮かべ、視線を合わせるためか中腰になり話しかけてくるが……その対応は、完全に子供相手のそれだ。
「ま、迷っていません。……ここは、サフィニア姫様のお屋敷でしょう?」
少しだけムッとしつつも、かがんでもらえなければ、この男を見上げ続けなくてはならない。それはちょっと首が痛いから……――と、マローネは甘んじてこの扱いを受け入れる。
それに、今日は大切な日なのだ。こんな細事にこだわって、台無しにしてはならない。
「たしかに、そうだな。……だったら、何か用かい?」
「これヨハン。この子は、あの方の騎士に志願してきたんだよ」
「……は?」
「お前はぼさっとしてないで、この封書をあの方に届けておいで。……お部屋にいらっしゃるんだろう?」
「……まぁ……、いるにはいると思うけど……」
老女から封書を受け取りつつ、ヨハンと呼ばれた男はまじまじとマローネを見下ろした。
「…………」
「な、なんですか……?」
「……見たところ、ぴっかぴかの新米騎士って感じだけど……」
当たりである。
何故分かったんだろうと目を丸くするマローネをみて、ヨハンという名の男は、眉を下げて苦笑した。
「――……あの方の……“隠れ姫”の騎士になりたいだなんて……本気かい?」
「もちろん! わたしは、この日のために、今日まで努力してきたのですから!」
胸を張って答えると、ヨハンと老女が呆気にとられた顔をした。
それから、くつくつと肩をふるわせる。
「わかった。この封書は姫様に届けてくるけど……あの方は気難しいから、期待しないで待っててくれよ。――ばあちゃん」
「はいはい、わかっていますよ。さぁ、中へどうぞ、お嬢ちゃん。……お茶と、美味しいお菓子があるんです。姫様が来るまで、このばばの相手をして下さいねぇ」
促され、マローネは初めてサフィニアの屋敷に足を踏み入れた。
客間に通され、老女――メアリと名乗った彼女と二人、お茶とお菓子に舌鼓を打っていると、ほどなくして困った顔のヨハンが顔を見せた。
そして、その後ろには、ほっそりした背の高い影。
地味で飾り気のない、暗い色合いのドレスに身を包んだ、秀麗なる姫君がいた。
「……さっ……!」
本物のサフィニア姫様だ。
感極まったマローネは、思わず名前を呼びそうになった。
しかし、当のサフィニア姫が、マローネの姿を見るなり露骨に顔をしかめたので、寸前の所で飲み込む。
マローネの行動に気付かなかったのか、あるいは心底どうでもいいのか、まったく注意を払わず、神経質そうに眉を寄せたサフィニアは、しっしと犬猫でも追い払うような仕草で手を振った。
「どうぞ、お帰り下さい。ここは子供の遊び場ではありません」
とりつく島も無い、冷淡な一言。
マローネは慌てて言いつのった。
「こ、子供ではありません! わたしは、騎士です! 貴方に剣を捧げたいと参じた、騎士であります!」
サフィニアの片眉が跳ねる。
「騎士? 今、騎士と言いましたか、おちびさん? 申し訳ありませんが、夢物語の騎士ごっこならば、この屋敷の敷地外でお願いします。あいにくこのサフィニア、子供は大の苦手ですので」
サフィニア姫の騎士になりたい。
用件を問われたマローネが正直に話した結果、本人との対面は叶ったものの、とても幸先が良いとは言いがたい出だしだ。
「え? いいえ、違います! ごっこ遊びなどではありません……!」
子供だの、ごっこ遊びだのと言われたマローネは、違う違うと首を横に振りながら、片腕の腕章と騎士服を強調するように引っ張ってみせる。
「この腕章と服をご覧下さい……、わたしは正式な騎士です!」
「……はぁ……」
マローネの腕章を、ちらりと一瞥したサフィニア。その態度はそっけなく、興味が無い事を隠す気もない。
面倒そうに吐き出されたため息のあと、サフィニアは無感情に言い捨てた。
「よほど人手不足なのですね、今の騎士団は」
「え? いいえ、むしろ有望な人材を求むと募集すると、すぐに人が集まって、志願者がいっぱい状態ですが……?」
マローネが戸惑いつつも言うと、サフィニアはその美しい顔に、とうとう冷笑を浮かべた。
「そのなりで、騎士なのでしょう?」
見下ろされたマローネは、自分が背丈の事をからかわれているのだと気付き、慌てた。
たしかに、平均には少しだけ届かない身長だが、きびしい選抜試験を乗り越え、きちんと訓練を受け、正式に認められた騎士だ。
その自負があるマローネは、身長と力量をひとくくりにされては叶わないと、必死に言葉を尽くす。
「たしかに、身長は少し……まぁ、ほんの少しだけ、微妙に、足りてないのかもしれませんが……、大丈夫です! 姫様の御身をお守りできるだけの力量は兼ね備えております! どうぞ、ご安心下さい!」
「……頭が痛い」
「なんと!」
それは、間違いなくサフィニアの嫌味だったのだが、マローネは気にする風もなく、むしろ両手を広げて笑って見せた。
「それはよくありませんね! わたしがお運びいたします! さぁ!」
「結構。おちびさんが、このサフィニアを支えられるとでも? 怪我をさせられるのはごめんです」
サフィニア姫は、細い眉をひそめた。観察するような眼差しからは、なんとしてでもマローネを追い払おうと言う気持ちがうかがえる。
希望に満ちた笑みを浮かべているマローネとは正反対の表情だ。
煩わしさを隠しもせず、サフィニアは冷淡に言い捨てた。
「そもそも、私の騎士になりたいなどと……笑い話にもなりません」
あまりの冷ややかさに目を丸くするマローネに対し、サフィニアの声や表情は、ますます温度を無くしていく。
「何の力もない隠れ姫の元へ、騎士として参じるなど、くだらない同情心か正義感か……。いずれにせよ――物語に毒されすぎですよ、おちびさん」
普通の人間ならば、怯んでしまいそうな冷たい眼差しと、突き放すような声音だった。
しかし、マローネは全く怯まない。それどころか、逆に勢いづき身を乗り出した。
ここで怯んでしまっては、騎士になった意味が無い。
「サフィニア姫! わたしは幼き頃、姫様に助けていただいた身です。あの時、姫様が、かけてくださったお言葉のおかげで、わたしは腐ることなく、前向きに生きて来られました。いつかお役に立ちたいと言う望みから、騎士になるという夢も見つけられ、叶える事が出来ました。そのご恩を、今からお返ししたいのです!」
マローネの脳裏に浮かぶのは、まだ幼かった頃の出来事だ。
子供達にいじめられては泣いてばかりだった自分を助けてくれた、二つ年上のお姫様。
彼女は、とても凜々しく、強かった。
この人のようになりたいと憧れ、会うことが叶わなくなってからは、あの人の助けになりたいと願った。
泣いてばかりでは駄目だと言った、あの少女を忘れた事は無い。
あなたは何も悪いことをしていないのだから、堂々と前を向いていなさいと言ってくれた事も、しっかりと覚えている。
いじめっ子達を追い払ってくれた彼女が、俯いて泣きじゃくるしか出来なかった幼いマローネにかけてくれた、大切な言葉だ。
サフィ……幼きサフィニア姫がくれた言葉を支えに、マローネは日々研鑽に務めてきたのだ。
いつか……いつの日か、必ず、心ない悪意に一人で立ち向かっているだろう、恩人の元へ参じるために。
それが、今日この日、この瞬間なのだが、現実は思い描いていた通りには行かなかった。
(やっぱり、覚えていらっしゃらなかった……。あんな事があったんだもの、無理もありません……)
サフィニアは、マローネのことを覚えていない。見知らぬ他人を相手取るような冷たい対応が、答えだ。
淡い期待すらしていなかったと言えば、嘘になる。子供の時の話をすれば、もしかしたらボンヤリとでも思い出してくれるかもしれないと、都合良く考えていた。
しかしマローネが勢い込んで、幼い頃の話をしても、サフィニアはわずかに細い眉を寄せただけで何も言わない。少し待っても、芳しい反応が返ってくることは無かった。
子供の頃助けた泣き虫――それも、ほんの少しの間しか会わなかった相手の事など、覚えていなくても当たり前だ。その後、サフィニアには大変な事が起こったのだから。
けれど、もしかしたら……と、僅かな期待を諦めきれずに抱いていたのも事実だったので、マローネはがっくりと肩を落とした。
「…………はぁ。おちびさん、名前は?」
「――え?」
あまりの落ち込みように同情したのか、サフィニアは聞く者を氷漬けにするかのような冷ややかだった口調を、少しだけ和らげた。
「名前ですよ、名前。あるでしょう?」
「ま、マローネです……! わたしは、マローネ・ツェンラッドと申します!」
ぴっと背筋を正して声を張ったマローネに、声が大きいと注意しながらも、サフィニアは優雅に微笑んだ。
「いいでしょう。マローネ・ツェンラッド。隠れ姫の騎士になりたいという酔狂、このサフィニアが許します」
「本当ですか!? この剣を捧げることを、許していただけるのですか!」
「ええ。貴方の酔狂がいつまで続くか、退屈しのぎに見ていてあげます。……貴方が、もう嫌だと泣いて逃げ出すその時まで、貴方の剣は、責任を持って私が預かりましょう」
とても綺麗な笑顔だが、同時に何かを企んでいるような――とても意地悪そうな笑い方だ。
はたと我に返ったマローネは、サフィニア様を意地悪そうだと思うなんて不敬だと、慌ててその考えを頭から追い出すと、片膝をつき深く頭を下げたのだった。
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