隠れ姫の偽り事
真山空
序話
色鮮やかな花々が咲き誇る、見事な庭園。
手入れの行き届いたそこを、小さな影が走り抜ける。
中央に設置されてある噴水までたどり着くと、その小さな影――幼い少女、マローネは足を止めた。
慎重に後ろを振り返り、誰も追いかけてきていないことを確認し、ほっと息をついた。
その時――。
「なに逃げてるんだよ」
「ひっ……!」
円形の噴水。その反対側から回り込んだ少年達が、腕を組んで目の前に立っていた。
「卑しい人間の血を引いている奴は、挨拶も満足に出来ないのか?」
ぐいっと乱暴に榛色の髪を引っ張られ、マローネが涙目になる。
「や、やめ……」
「また泣いた! 母上が言っていた通りだ! 卑しい女は、泣いて媚びを売る事くらいしか能がないって! お前はその卑しい女の血を引いてるから、すぐに泣くんだな!」
マローネは自分をこんな所に置いていった父を恨んだ。仲良くするんだよと言い残し、自分と他の子供達を一緒に置いて行った父に、早く迎えに来てと心の中で何度も叫んだ。
仲良くなんて、出来るはずがない。
だって、ここには敵ばっかりだ。
この、綺麗な庭園に集まる貴族の子供達は、何時だってマローネや両親を馬鹿にする事しか言わない。そして決まって、こうして意地悪を仕掛けてくるのだ。
けれど、誰も助けてなんてくれない。みんな、見て見ぬふりをするか、笑ってこそこそ話しているか、だ。
今日も同じだと、マローネは大きな目からぼろぼろと涙をこぼした。
すると、少年達がどっと沸く。
何が面白いのだと思うけれど、マローネには思ったことを口に出せる強さなんて無かった。
だから、ただ逃げる。怖くて嫌なものから離れたい一心で、駆けだそうとした。
けれど、逃げようとして踏み出した足は、恐怖心からかおぼつかない。少しも進まないうちにフラリともつれ、その場に尻餅をつくと、少年達の笑い声は、さらに大きくなった。
彼らは、こうして、ひとしきりマローネを笑いものにして、やがて「飽きた」といなくなるのが、常だった。
それまで、マローネは耐えていなければいけない。
助けてくれる人なんて、いないのだから。
そう思っていたし、それが事実だった。
――この日までは。
「人が泣いている姿の、なにがそんなに面白いのかしら?」
どこか苛立ちを含んだ少女の声と共に、ばしゃりと水が降ってきて、少年達を頭からずぶ濡れにした。
彼らから、悲鳴が上がると、「うるさい」とまたしても、少女の声。それは、全てをはね除けるような強さを持っている。
「せっかく、お花を愛でてたのに、あなたたちの下品な笑い声で全部台無しよ。発情期の猫のほうが、まだ弁えているわ」
かつん、と石畳を踏みならす靴の音につられ、マローネは泣きべそをかいたまま顔を上げた。
自分より、少しだけ年上に見える女の子が、眉をつり上げて立っている。その足下には木桶が置いてあり、水をかけたのが彼女だと知った。
酷く腹を立てている様子の女の子は、意地悪な少年達の顔を一人ずつ確認するように睨み付けると、居丈高に言い放った。
「さっさとここから立ち去りなさい。不愉快だわ」
迷いもなく、怯えもなく、言いたいことだけ言うと、びしょ濡れのまま絶句している少年達を無視し、マローネを見下ろす。
突然現れた、迫力のある少女に、マローネもまた目をまん丸くして注視していた。
すると、少女はふとつり上げていた目元を和らげる。マローネの目の前に、細い手が差し出された。
「立てる?」
差し伸べられた手に、マローネは理解が追いつかなかった。
今まで助けてくれる人なんて、誰もいないと思っていたのだ。
これは本当に現実だろうかと、マローネは二度三度と瞬きを繰り返す。
すると、またぽろりと涙がこぼれた。
「泣き虫さん。そんなに泣いたら、目が溶けちゃうわよ」
薄紅色の、可愛らしいハンカチが差し出された。
戸惑っていると、優しく目元にあてがわれる。涙を拭ってくれた女の子は、もう一度マローネに手を差し出す。
「――向こうに可愛いお花があるの。とっても甘くて、いい香りのお花よ。このお花を目当てに、蝶々だってくるんだから。……ねぇ、一緒に見に行きましょうよ」
差し出されたのは、白い手袋を付けた手。そこに、マローネがおずおずと自分の手を重ねると、女の子は嬉しそうに頷いた。そして呆然としている少年達を「まだいたの?」と、一睨みする。
それだけで、彼らは顔を真っ赤にしつつも、何も言わずに、走り去って行く。
「まったく。女の子の扱いがなってない人達だわ。……さ、行きましょう……えぇと……名前をまだ、聞いてなかったわね」
「……あ、マローネ……です」
「マローネ! ちっちゃいあなたにぴったりの、可愛らしい名前だわ!」
きらきらと、まぶしい笑顔を浮かべた女の子。マローネの気が緩んだのか、一度止まったはずの涙が、どっと溢れてきた。
「あの失礼な人達は、追い払ったから大丈夫よ」
そう言って笑う少女は、泣きじゃくるマローネの手を引きながら事情を尋ねてきた。
自分の母が、旅の踊り子だったから……――泣きじゃくりながら告げると、少女は怒ったような顔になった。
「どうして貴方は、なにも言い返さないの?」
手を引かれ歩きながら、マローネは首を横に振る。そんな怖いこと出来ないと。
「どうして怖いの? だって、間違っているのは向こうでしょう?」
「……え?」
「よその家族を侮辱するなんて、最低な行為だわ」
「うぅ……」
「もう、また泣く。あのね、泣いてばかりじゃダメよ。女も強くなきゃいけないの。それに、あなたは何も悪いことをしていないわ。あんな失礼極まりない人達に、遠慮する必要もない。堂々と、前を向いていなさい」
「――っ」
「わっ、また……! ごめんなさい、言葉が強すぎたかしら?」
「ちが、ちがう……! うれしくて……!」
「…………うれしい?」
「だって、そんなふうに、いわれたこと……ないからっ」
少しだけ年上の女の子は、お姉さんのような口調でマローネを諭した後、大泣きを始めたマローネに慌て、それからきょとんと、不思議そうな顔へと、ころころと表情を変えた。
そして最後に、幼いマローネにとっての救い主は、きらきらとまぶしい笑顔を浮かべると繋いだままの手に力をこめて、こう言った。
「ねぇ、マローネ。私達、お友達になれないかしら?」
この偶然の出会いが、泣き虫な少女が変わる切っ掛けになった。
それから何年経っても、マローネ・ツェンラッドは、この奇跡のような出会いを忘れなかった。
自分を助けてくれた、心優しくも強い、少しだけ年上の恩人。
「わたし……、サフィって言うの。貴方とお友達になれたら、嬉しいわ」
「……なる、おともだちに、なりたい」
「まぁ、本当に!? ありがとう!」
サフィと名乗った初めての友達。
マローネは、何年経っても……ずっとずっと、彼女を覚えていた――。会えなくなってからも、ずっと。
そして、騎士になった時、長い間心待ちにしていた再会の機会が訪れる。
少しお姉さんだったサフィという少女。彼女の本来の名は、サフィニアという。
マローネにとっては、恩人というべき存在――今は隠れ姫と呼ばれ、人との付き合いも疎かにし、小さな屋敷に引きこもっている、この国の姫との、運命の再会だった。
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