父さんな……異世界転生で食って行こうと思うんだ

てこ/ひかり

第一幕

第1話

「父さんな……異世界転生で食って行こうと思うんだ」


 カチャカチャと食器の音が静かに響く食卓に、親父の口からポツリとそんな言葉が転がった。

 俺は肉じゃがを食べる手を止めて思わず顔を上げた。夕飯の並べられたテーブルに、しばしの静寂が訪れる。母さんは口元に持って行った箸をピタリと止め、妹はテレビに夢中になっていたが、わずかに耳がピクリと動くのが見て取れた。俺は黙って親父を見つめた。


「…………」

「…………」

「……ん? 分かり難かったか? 異世界ってのは……」

「……それは、小説家として食っていくってこと?」

「いいや」

 親父は真面目な顔で眼鏡を掛け直し、瞳の奥を光らせた。

「異世界転生して、向こうの世界で食って行こうって……父さん、本気でそう思ってるんだ」

「…………」

「…………」

「それじゃ、私たちはどうするのよ?」


 シン……と静まり返ったリビングに、母さんの至極真っ当な疑問が響き渡った。俺も肉じゃが運びを再開し、母さんに追随するように頷いた。

「そうだよ。食っていくって、それって、自分だけ異世界でのうのうと暮らすって意味じゃないか。俺たちはどうなるんだよ」

「”異族”に関しては……」

「いぞく?」

「嗚呼。家族が異世界に転生して、残された身内のことを我々はそう呼んでいるんだが……」

 いつの間に”我々”と呼べるほどの仲間を募ったのか知らないが、親父はそれがさも当然のことのように話を進めた。


「やっと、自分のやりたいことが見つかりそうなんだ。異世界……。サラリーマンでは味わえない、本物のスローライフさ。畑を耕したり、弱くて勝てる相手とだけ戦って、のんびり暮らすんだ……」

「やめてくださいよ。みっともない。その歳で異世界だなんて……」

「夢を見るのに歳なんて関係ない」

 母さんが人参を口に含みながら心底嫌そうな顔をした。普段は母さんに顔が上がらない親父も、今回だけは一歩も引かなかった。

「PS4じゃダメなの?」

「ダメだ。良いか、芳樹。これはゲームじゃないんだ。俺は本気で、世界を渡ろうと思う。異世界に転生しようと思ってるんだよ」

「…………」

 親父は眉間にしわを寄せ、俺の代替案をあっさり退けた。

「お前こそ、さっさと異世界転生したらどうだ? お向かいの吉田さんとこだって、先月には転生したって話だぞ。優秀な人材ほど、真っ先に転生してる時代じゃないか。確かにお前は現実ではうだつが上がらないが、別の世界に行ったらちょっとはマシになるかもしれん……」

「それが息子に言うことか……」

 実の親から遠回しに死ねと言われ、俺はガックリと肩を落とした。


「んなことねーよ。大体転生って……流行ってるけど、どうも信用ならねえんだよなあ。本当に行ったかどうか証拠ないじゃん。こっちの世界にいる身からしたら、ただ亡くなっただけにしか見えないんだよ」

「真面目か、お前は。これだから……行って見たら分かるって。俺も、行くからな」

「待ちなさい、貴方。車と家のローンはどうするの? 合わせて後二十年くらい残ってるわよ……」

 ちょうど、テレビ番組がCMに入った。妹はリモコンを手繰り寄せ、カチャカチャとチャンネルを選び始めた。


「だから、それも心配ない。俺は転生するわけだから。”異族”に関しては、政府から多少なりの保証も出る」

「最低か、アンタ。家族を残して自分だけ転生って……」

 冷え切った食卓で、親父は必死の形相で両手を合わせた。

「頼むよ。俺だって本当は、高校生の流行った時に転生したかったさ! スライムになりたかったさ! でもブームに乗れなくて……ズルズルと、この歳までこの現実世界でやってきたんだ」

「だったら、それに誇りを持てよ……」

「だが、出世競争に終わりが見え始め、子育ても一段落したこのタイミングで……若かりし頃の夢がムラムラと……。あの頃は良かった……。若く瑞々しい肉体。認め合える仲間達。ハーレム……チート……」

「…………」

「なあ、母さんも一緒に行かないか! 次の世界へ!」


 親父は数十年前のブームを思い出し、一人恍惚とした表情を浮かべていた。言ってることが、まるで怪しい宗教の勧誘だ。このままでは埒があかない。激しい寒暖差に風邪を引きそうになりながら、俺は恐る恐る母さんを見上げた。


「分かったわ」

「!?」

 母さんの予想外の返事に、俺も親父も妹も目を丸くした。母さんはニコリともせずに箸を置き、角を突き出した。

「そんなに異世界に行きたいんだったら、行ってくれば良いじゃない」

「!」

「母さん……」

「その代わり、私は行きません。行くなら、お一人でどうぞ」

「!」


 母さんの返事に、親父が悲しそうに顔を歪ませた。親父は動揺を隠しきれず、ジャガイモを床に放り出した。


「か、母さん……。どうしてだ? こんな世界、嫌なことばっかりじゃないか。税金は高えし、生活は一向に良くならねえし……」

「嫌なことが何一つない世界が、良い世界だとは限らないじゃない。貴方が色々不満や不安なことを打ち明けてくれたの、私は、嬉しかったけど……」

「!?」

「それに、嫌なことが何一つなかったら……あの時貴方と出会うこともなかったのよ……」

「母さん……!」


 親父が、今度は勢い余って箸を取り落とした。

 俺は席を立った。妹も空気を察したのか、テレビを消し、俺たちは二人を残しリビングを後にした。


「お兄ちゃん。PS4やる?」

「いいや……宿題残ってっから」

「そう」

 妹は少し不満げに自分の部屋へと消えて行った。俺は学校から持ち帰った大量の宿題を机の上に広げ、三秒後にベッドにダイブした。

「…………」


 今や日本じゃ、異世界転生は転校レベルで気軽にできる日常イベントだ。

 登校するたびにクラスメイトの数が減っていて、別の世界に行ってしまいましたなんてことは日常茶飯事だった。嫌なことがあったら、異世界に転生すればいい。それは俺たちの世代じゃ『暑い日にはエアコンをつける』くらい当然の価値観になっていた。不登校になったり挙句自死を考えたりするより、逃げ道がある分よっぽどマシってもんだろう。上の世代の有識者たちは、やすやすと自分の生まれた世界に見切りをつける若者に、眉をひそめる人もいたが……。


 まさか自分の親父が、異世界転生を考えていたとは。


 俺は正直、親父がサラリーマンで普段からあまり家にいない、くらいのことしか知らない。仕事人というよりはどちらかと言うと趣味人で、休日は野球中継を見ながら寝てるか庭で日曜大工をしているかだ。もう俺も高校生だし、妹も中学に上がったばかりなので、今更家族サービスをしろとも思わなかった。夜遅くまで働いてるんだし、休みの日くらい自由にやりたいことをさせてあげよう、と母さんと話していたところだった。


 それがまさか、異世界転生だったとは。


 なんとかして親父を引き止めなくては、と思った。あの場は母さんが何とか取り繕ってくれたが、あの様子じゃ、まだ諦めてはついていないだろう。家族のいないウチにこっそり市役所に手続きして、気がついたら転生してましたなんてことになりかねない。そうしたら、残されたウチの家族はどうなる? 俺の高校生活は?

 だいたいそういうのって、普通俺の役割なんじゃないだろうか? 俺だって学校じゃ宿題ばっかだし毎日同じことの繰り返しで退屈極まりないし「何か面白えことねえかなあ」ってそろそろ現実にも飽き飽きしていたところだったんだが。転生するなら親父ではなく、まず俺からだろう。


 ……などと物思いに耽っているウチに、気がついたら俺は眠ってしまっていた。

 俺は夢を見ていた。

 知らない景色……道端には色とりどりの見知らぬ花が咲き乱れ、蒼く輝く夜空には七色の流れ星が飛び交っていた。日本ではない、まるでファンタジーの世界に迷い込んだような幻想的な風景が目の前を掠めていく。夢の中で、俺の視点はふわふわと風に流されながら、大きな城のようなところに辿り着いた。城の中では、大勢の人が集まっていた。長テーブルにずらりと並べられた豪勢な料理、壁際に飾られた黄金の甲冑、ダンスに勤しむ人々……その中で、一際高いところにある玉座に、純白のドレスを着た女性が座っていた。ウェーブのかかった金色の髪の毛、プロポーションの取れた体つき……まるで物語の中の王女様だ。

 ただし、顔は親父だった。俺は吐いた。夢の中で、胃袋に詰め込んだありったけを吐いた……。違う、こんな世界はまやかしだ。こんな未来を起こしちゃならない……そこで俺はパッと目が覚めた。


「……ン?」


 だが目を覚ましても、違和感が拭えなかった。俺の視界は、ベッドの上からではなくなぜか部屋の斜め上からの角度だった。そして目を覚ました俺の目の前には、ベッドに横たわる俺が写っていた。

「…………」

 俺はしばらく、寝ている俺を眺めた。これはまだ、夢の続きなのだろうか? 部屋の上の方でふわふわと視線を漂わせながら、俺は眼をこすり上げた。これじゃまるで、幽体離脱でもしてるみたいじゃないか。肉体から魂が剥がれるなんて、そんな、『転生』じゃあるまいし……。

「あ!」

 次の瞬間、俺は思わず大きな声を上げた。俺の目の前で、俺がゆっくりと瞼を開け、目を覚ましたのだった。俺の声は誰にも届くことなく虚しく狭い部屋の中に響き渡り、やがて俺の体が、ベッドの上で気持ち良さそうに大きく伸びをした。


「……『転生成功』じゃ。フフ……気持ちええのう。三百年ぶりの、娑婆の空気じゃ」

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