第9話 完敗

「綺麗な花が咲いたぞ!」


 ミーナの前で、カルヴァンは自信満々に言い放った。


 机の上には、立派に成長した魔草が置かれている。


 魔草はすでに、カルヴァンの背丈ほどに成長していた。白く透き通った葉と幹はガラス細工のように美しく、それでいて瑞々しい生気を帯びている。


 そして、その先端。幹の上からちょこんと飛び出して、控えめであるけれど気品を放つ鐘型の花が、カルヴァンの方を向いて咲いていた。白い花びらの中央からおしべが飛び出し、白緑の光を燈らせている。


 普通の植物は、日の光を与えずに育てると、白く華奢な成長を見せるものだ。しかし、魔草は普通の植物とは異なり、日の光以外にも魔力が成長を促進させる。美しい白緑の光は、それこそが魔力の塊だった。


 魔草は蜀台の揺れる炎を映して、まるで魔草自体がゆらゆらと揺れているようだった。それは咲いた自分の姿を誇示するかのようで、祭りの踊り子を連想させる。〝もっと見て〟と、踊り子は楽しそうにステップを踏む。


「立派に咲きましたね!」


 ミーナの拍手に、カルヴァンは「むぅ」と唇を尖らせた。


「これが勝負だということを忘れてはいまいな? これで俺様とお前の間に、どれほど知識の差があるか思い知ったであろう!」


 カルヴァンは魔王であった頃のように「ガハハハハハ!」と高笑いした。


 対するミーナは俯いた。両手で目を覆い、擦るように動かしている。


「私の完敗ですね」


 カルヴァンがミーナの様子を伺うと、その口はへの字に曲がり、小さく嗚咽を漏らしていた。それは悔しそうな表情ではなく、どこか哀愁を孕んだ表情だ。


「そ、そんなに悔しいのか?」


 このまま捨て置けば涙を流しかねないミーナに、カルヴァンは困り果てていた。


「いえ、そうじゃないんです」


「では、何なのだ?」


 俯いていたミーナが、真っ直ぐにカルヴァンを見つめた。


「私のために、カルヴァンがこれほど大切に魔草を育ててくれるなんて……考えてもいませんでした。私は感動しているんです」


「むぅ?」


 カルヴァンはミーナのために魔草を育てたつもりなど毛頭なかった。それは、自分の勝利を示すためだけの戦いで、ミーナの感動に繋がる理由はないはずだ。


 首を捻るカルヴァンに、それでもミーナは笑顔になった。


「それでは、さっそく頂きます」


「ああ、そうだ! さっそく……だと? それはどういう意味だ?」


 ミーナがゆっくりと顔を魔草に近づける。


 魔草に近づくミーナを見て、カルヴァンは花の匂いを嗅ごうとしているのだと思った。それが間違いだと気付くのは、もう少し後のこと。


 一瞬の出来事だった。



 ――ミーナの口ががばっと開かれ、魔草の花をぱっくりと一口で。



 先ほどまで美しい輝きを放っていた魔草は、見るも無残な惨状だった。


 鉢植えには魔草の茎の断面と、そこから続く根っこの部分しか残っていない。


「美味しいです!」


 むしゃむしゃと咀嚼するミーナを、カルヴァンは唖然として見つめた。


「な、何が起こったのだ?」


「カルヴァンがここまで私のことを想ってくれていたなんて嬉しいです」


 ミーナは感無量だと言わんばかりだが、カルヴァンはそれどころではない。


「お、お前のことを想った、だと?」


「そうですよ。元々、魔草は魔力を補充するために育てるんですから。フラスコに魔力を溜められないカルヴァンに代わって、私が食べさせてもらいました」


 カルヴァンはこの数日間を思い出し、目の前の植木鉢と重ねて考えてみる。それこそ泣きたくなった。


「……お前は魔草を育てることで、命の尊さを俺様に教えようとしたのではなかったのか?」


「それも一理ありますが、それだけではありません」


 ミーナは指を立てて説明を始めた。


「私はいつも、カルヴァンに魔力を差し上げているではありませんか。私の体から魔力を吸い出すだけのカルヴァンに、魔力を蓄えるのは大変なんだということを教えようと思ったのです。今回は魔草の育て方について、身をもって知ってもらいました。しかし、大変なのは庭仕事だけではありません。私は家事の全てをこの身一つで請け負っているのですからね。今度はお掃除か、お洗濯を手伝ってもらおうと思っています。いいですか? カルヴァンが育てたのはたった1本の魔草に過ぎません。1度に何十本もの魔草を育てる私の苦労に比べたら、カルヴァンの苦労など――って、怖い顔してどうしたんですか?」


 矢継ぎ早に喋りたてるミーナに、カルヴァンは呟く。


「つまり、あれだ」


 カルヴァンはミーナを睨みつけた。


「お前は自分が魔草を食いたいから、俺様に魔草を育てさせたと?」


「えへへ、バレました? いやー、やっぱり白い魔草の味は絶品ですね。この茎にかけての酸っぱさと花びらの甘味がマッチして――」


 カルヴァンは、ようやくミーナの感動がどこから生まれたのかを知った。


 ――なぜ、俺様は魔草が最終的には食べられてしまうことを想像できなかったのだろうか。


 精神的な痛手に崩れ落ちそうになりながら、カルヴァンは恨めしく嘆いた。


「……よくも俺様の魔草を食べたな!」


「魔草を食べないで、どうするんですか?」


 きょとんとするミーナに、カルヴァンの何かが切れた。


 雄叫びを上げ、握りこぶしにも自然と力がこもる。


「俺様は魔王である! ミーナ如きに諭される知識など、この世には存在しなかったようだな!?」


 カルヴァンの怒りに気付かず、ミーナは幸せそうに目を細めている。


「気持ちが伝わったんですから、いいことですね」


「伝わってなーい! 俺様の魔草を返せ!」


「そんなに魔草を育てるのが楽しかったんですか? 種ならいくらでも差し上げますよ?」


「ちっがーうっ!」


 カルヴァンが何に対して怒っているのか、ミーナは見当がつかなかった。

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