第2話 勝負

 ミーナは畑の水やりを終えると、植木鉢を抱えながら地下室へと向かった。


 植木鉢は片手で抱えられるほどの大きさであったが、土が入っているためにずっしりと重い。階段の中腹まで降りたところで〝土だけでも分けて運べばよかったかな〟と考えるが、今更なので辞めた。本当に困るのは、ここまで植木鉢を運んだにも関わらず、カルヴァンが興味を示さなかった場合だ。ミーナは植木鉢を戻す自分の姿を想像して気が滅入った。やはり力仕事は苦手だ。


 階段を1段ずつ慎重に降りる。


 地下室の扉に着いたところで、植木鉢で両手が塞がっていることに気づいた。このままでは扉を開けることができない。ミーナは一旦、植木鉢を扉の前へと下ろした。


 地下室の扉を開くと、途端に沈殿した黒い霧が足元へと流れ込んだ。霧が足首を掠めてひんやりとする。最初は驚いたものだったが、今では叫ぶような真似はしない。


 地下室には窓がなく、室内は真っ暗だ。


 ミーナは扉から漏れる光を頼りに、地下室を手探りで進んでいった。地下室の深部、机に置かれた蜀台を探す。机の上には蜀台の他にも呪文書やフラスコが置かれているため、慎重に調べなければならない。


 ややあって蜀台を見つけると、ミーナは前掛けのポケットから小さな杖を取り出して蜀台に向ける。


 厳粛な面持ちで口を開いた。


「炎の精霊よ、火を付けてちょうだい」


 杖はその願いを聞き入れたかのように、先端から小さな炎を噴き出す。ミーナは蜀台に火を点けると、杖を振って炎を消した。実際は炎の精霊とは関係のない魔法なので、炎の精霊の名を呼ぶ必要はない。しかし、この方が大魔法を行った後のように達成感があるため、ミーナはいつもそうしている。


 明るくなった机の上のフラスコに声をかける。


「起きてください、もうお昼ですよ」


 フラスコは横長の楕円形に底が膨らんでいて、ミーナの頭ほどの大きさをしている。


 話しかけたフラスコには、黒い液体が溜まっているだけだ。液体以外には中身が入っておらず、返事をする素振りもなかった。


「……居留守を使っても分かるんですからね」


 ミーナが目敏くそう言うと、フラスコから眠たそうな子供の声が返ってきた。


「魔王には昼も夜もないのだから静かにしろ」


 幼い声色と深い物腰の喋り方が合っていない。それは魔力の低下による影響だとカルヴァンは言う。しかし、ミーナがそれを聞く限りでは、子供が偉そうに振舞っているようにしか聞こえない。魔物にとっての魔力とは、外見をも変化させる力らしい。


「用事があるので出てきてください」


「よかろう」


 意外と素直な返事が返ってきたことに、ミーナは満足した。


 何もなかったフラスコの中央に、沈殿していた黒い液体が集まっていく。液体同士が蠢きながら、ある部分は腕を、足を、頭を形成していく。液体状の不確かだった表面は、あっという間に生物独特の肌を形成し、そこから体毛が生え、毛並みが整っていく。獣のような毛並みと相反して、それは短い2つの足で立っていた。


「何用だ」


 耳は長く、目つきが悪い。口から覗いた小さな牙と、背に生えた蝙蝠のような羽、尻尾の先端の逆三角形が悪魔を象っている。


 ただ、フラスコに収まる小さな体は2頭身ほどしかなく、腕と足は限りなく短い。この体型では、自らの頭をかくことすらできないはずだ。ミーナはカルヴァンの姿を見るたびに不恰好だと思う。こんな不恰好な悪魔が、元魔王と言うのだから世も末だ。


「何用だと聞いているではないか」


 カルヴァンは怒りっぽく、負けず嫌いだ。ミーナはカルヴァンの性格を重々承知で、その性格を利用しようとしていた。せっかくの労力を生かすためにも、カルヴァンの興味を惹かなければければならない。


「カルヴァンはいつも、誰よりも自分が優れていると豪語していますね」


「当然だ」


 カルヴァンは本気でそう思っているのか即答する。元魔王と言うだけはあり、カルヴァンは様々な魔術でミーナを守ってきた。それを身近で見てきたミーナだからこそ分かることだが、カルヴァンの魔術に対する知識は一流だ。しかし、それが全ての知識に通じるかといえば、答えは灰色でしかない。


 挑発に乗るカルヴァンを見て、ミーナは心の中でガッツポーズを取る。ここまでは計画通りだ。ミーナはさらに興味を惹くために言葉を溜める。


「早くしろ」


 待ちきれない様子のカルヴァンに、ミーナは昨夜から考えていた台詞を伝えた。



「私と勝負してください」



 ミーナの言葉を聞いた途端に、カルヴァンは笑い始めた。


「俺様とミーナが勝負だと?」


 カルヴァンの反応は分かりきっていたものの、実際に目の当たりにすると腹が立った。ミーナは我慢できずに言い返す。


「私よりもカルヴァンが魔法を知っていることは認めます。ですから、今回の勝負は、私の得意分野で勝負させてください」


 カルヴァンの笑みが止み、納得顔になる。


「なるほど、暇潰しには良いかも知れんな」


 カルヴァンはすでに勝った気でいるようだ。


「で、どんな勝負をしようと言うのだ?」


 ミーナはカルヴァンを制すると、入り口に置いてあった植木鉢を机の上まで運ぶ。それが終わると、前掛けのポケットから1粒の種を取り出して机に置いた。


「勝負の内容は、この魔草の種を花が咲くまで育てることです。もし、カルヴァンが魔草を育てることができたら、カルヴァンの勝ち。カルヴァンが魔草を枯らしてしまえば、私の勝ち」


 ミーナは毎日、畑の手入れをしている。


 それは、魔力を蓄えるために、魔界の草――魔草を栄養として得ることが不可欠だからだ。魔力の補充方法には他にも種類があるが、ミーナの師匠であり主でもある〝悠久の魔女〟は、魔草を食べることを主としていたため、ミーナもそうしている。


「この勝負に勝てば、カルヴァンに私よりも知識があると認めましょう」


「そんなことは容易い。刻魔法を使うだけではないか」


 刻魔法とは〝悠久の魔女〟が最も得意とする時を操る魔法のことだ。悠久の魔女に、永遠を意味する二つ名が付けられたことも、それに由来する。


 カルヴァンは容易いと豪語するが、そう簡単な勝負ではない。


 ミーナはニヤリと笑ってカルヴァンに忠告する。


「刻魔法は禁止です」


「なぜだ?」


 カルヴァンは元々、強大な魔力を持っていた。そのために、魔力の根源的な部分が分かっていないのだろう。


「そもそも、魔草を育てる理由は何ですか?」


「知らん」


 言い切るカルヴァンを、ミーナはため息混じりに見つめた。まるで、ミーナに魔法を教え諭す悠久の魔女のように。魔法の覚えが悪いミーナに、悠久の魔女はよく、そんな表情を見せていた。


「魔草を育てる理由は魔力を蓄えるためです。その蓄え以上の魔力を、育てるために消費しても意味はないでしょう?」


「むぅ」


 刻魔法に膨大な魔力を消費することは、ミーナよりもカルヴァンの方が詳しいだろう。ここまで説明すれば、後は簡単な計算だ。カルヴァンもそれを理解したらしい。


「魔草の育て方は分かりますか?」


「知らん」


「真面目に答えてください」


「……水をやれば良いのだろう?」


 それもすでに対策済みだ。


 ミーナは机の右手にある水汲み場を示した。水汲み場は大きな岩を削り取って造られている。岩の上部からは蛇口が飛び出しており、蛇口の取っ手を上下に動かせば、水が出る仕組みだ。岩の削られた部分が受け皿となり、水を溜めておけるようになっている。旧式ではあるが、古く忘れ去られた地下室には勿体ないほどに立派な水汲み場。


「ここに桶を置いておきますので、使ってください」


 カルヴァンはフラスコに封印され、フラスコから外に出ることができない。しかし、その代わりに、カルヴァンは自らの影を変化させ、周りの物体に干渉することができる。これだけ近くに水汲み場があるのなら、1人で水を運ぶことができるだろう。


「1つ質問があるのだが」


「なんでしょう?」


「俺様に、そんな地味なことをしろと?」


 ミーナは魔王の首でも取ったように、にんまりと笑った。


「やりたくなければ、やらなくてもいいんですよ」


「くだらん」


 ミーナはカルヴァンの言葉で、少しだけどきりとする。カルヴァンが勝負を放棄するのでは、と考えたのだ。しかし、


「俺様にできぬことなど存在せぬ!」


 その心配は微塵もなかった。


 カルヴァンは小さな腕を腰に当て、偉そうにふんぞり返っていた。


 ミーナはしてやったりと、心で笑った。

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