第3話 トイレでドッキリドキドキ
俺はトイレの個室に駆け込み、胃の内容物を戻してしまった。酔ったのではない。激しい緊張と恐怖のあまり、胃が収縮したのだろう。こんな経験は初めてだった。
夏美さんも個室に入ってきた。彼女は俺の背中をゆっくりとさすってくれる。背中が温かくなっていく。そうすると、不思議と胃が落ち着いてくる。
「正蔵大丈夫か?」
「もう大丈夫です」
「お前がさ、ものすごく怖がってたじゃない。それが面白くてもっと怖がらせちゃえって、頑張ったんだよ」
「あはははは……」
「これで口をゆすぎなよ」
そう言ってペットボトルの水を渡してくれた。俺が口をゆすいでうがいをしている最中に、夏美さんは個室のカギをかける。
個室にカギ?
そもそもここは男子トイレ。どうなってるんだ……。
夏美さんは怪しく微笑みながら俺に顔を近づける。
「ち、近いです」
「まだ、5センチもあるぞ」
「そうじゃなくて」
「じゃあ、後4センチ縮めてみようか」
夏美さんの吐息が頬にかかる。そして女の子の匂いがする。
俺の心臓は激しく鼓動し、頬が熱くなってきているのが自覚できた。
「なあ、気持ちよくなるおまじないをしようか」
夏美さんはそう言って俺の首に両腕を巻き付けてきた。そして頬ずりをする。豊かな胸は俺の胸に押し付けられ、その柔らかい感触に酔いしれてしまう。この娘がアンドロイドなんて嘘に違いない。
「気持ち良いか? 好きに触っていいんだぞ」
その一言で俺の理性のタガが外れた。俺は夏美さんを抱きしめその唇に触れようとした瞬間、外から名前を呼ばれた。
「正蔵君? そこにいるんだろ。大丈夫か?」
先程のNS乗りのようだ。夏美さんと知り合いなら俺の名前を知っていても不思議ではない。
「ああ大丈夫です」
「おお、生きてるようだな。時間かかりそう?」
「すぐに出ます」
「わかった」
そう言っった後、足音が遠ざかっていく。
ピンク色に沸騰しかけた脳内は一気に冷めてしまった。
「夏美さん。出ますよ」
「ちっ」
悔しそうに舌打ちをする夏美さんだった。
トイレの外へ出ると、先ほどのNS乗りが缶コーヒーを飲みながら笑っていた。
白人で赤い髪、身長は180㎝弱で線の細い体つきをしている。
「こいつはジェイド・ボーダー。アメリカ人だ。綾瀬重工の石見工場で航空工学を学んでいる留学生だよ。ニックネームは
「綾瀬正蔵です。大学生です」
「鳥頭は酷いな。ジェイって呼んでくれ。ショウって呼んでいいか?」
「良いですよ。ジェイ」
「よろしくショウ。俺は用事があるからこれで失礼するよ。石見工場へ行く途中なんだ」
「石見工場ですか」
「ああそうだよ。知ってると思うけど航空機専門の工場だよ。学ぶことが多すぎててんやわんやさ」
そう言って鳥頭は颯爽と駐車場から出ていく。益田方面へ白煙を残して消えて行った。
「邪魔者はいなくなったな。さっきの続きやる?」
ニヤニヤ笑う夏美さんだったが俺は首を横に振る。
夏美さんはアンドロイド。つまり、俺の実家の綾瀬重工製。しかも、こんなに人間そっくりな最新型で、市場に出ていない試作型だろう。彼女の行動は全て本社の開発部でモニターされているに違いない。
危なく引っかかるところだった。綾瀬の跡取りである俺は、こんな所で墓穴を掘る訳にはいかないのだ。
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