第3話 意識が死ねと言おうと、肉体は生きたい

 「仏の顔も三度まで」と諺に言うが、葛西が3回目の自殺未遂をした時、妻の忍耐は限界に達し、葛西は、家を追い出された。自分が妻だったら、2回目で追い出したろうと思ったので、さほど、腹は立たなかった。


 ちょうど、葛西の父が亡くなり、母が独り暮らしになった時期と重なったので、母の面倒を見に実家に帰る体裁をつくろえたし、実際、母も、ある程度、面倒見が必要な状態になっていた。


 一方、葛西の側は、「三度目の正直」とはならなかったわけだが、これを機に、二度と自殺など図るまいと、固く誓った。というのも、家族がいない時を狙って過量服薬し、発見が遅れたために、嘔吐から誤嚥性肺炎を起こし、3日間、生死の境をさまよったからだ。


 HCUのベッドに寝かされ、周りを医師と看護師があわただしく動き回るのを感じているうちに、「死にたくない!生きたい!」と叫んでいる自分の肉体に気づいた。

 脳の神経回路がショートしたのか、混線したのか、意識は「死ね」と命じた。だが、肉体は「死んでたまるか」と頑張りぬいたのだ。

 この体験で、憑き物が落ちたように、葛西は、自殺願望に襲われることがなくなった。


 ちなみに、この時、入院先の医師と普段の主治医である精神科医の両方に言われたが、向精神薬の過量服薬だけで死に至ることはないそうだ。そのように薬が設計されている。

 発見が遅れて誤嚥性肺炎を起こしたり、低体温症をおこして重篤な症状に至るケースがまれにある程度だという。


 それから7年、葛西は、妻子と離れて暮らしてきた。この間に、息子は大学に進み、娘は中高一貫の私学に進んだ。

 社長の恩情で会社をクビにならなかったことと、パートをかけ持ちした妻の頑張りで、子どもたちの教育だけは、何とかなっている。そのことでは、社長と妻にどれだけ感謝しても、感謝し足りない。


 妻子と全く会っていないわけでは、ない。映画好きの娘とは、年に2、3回、一緒に映画を観て、食事をする。

 息子は、妻と、どうしても折り合いがつかない件について、相談してくる。援護射撃を求めてくるわけだ。

 妻とも、2年に1度は、ペットのリクガメの健康診断で、顔を合わせている。


 母と築25年の賃貸マンションに住んでいたが、昨年、母を実家に近い老人保険施設に入居させてからは、築30年、1DKのアパートに移った。男独り暮らしには、この程度で十分だ。


 これも「ちなみに」だが、老人保健施設は、入居者にリハビリを施して自宅に戻すための施設なので、入居者は、施設の外に住民票がなければならない。

 母を施設に入居させたときに、妻から自宅に戻ってきてはという打診があったが、辞退して、母が入居した施設のそばにアパートを借りたのには、7年間離れていた妻子とうまくやっていける自信がなかっただけでなく、母の居住地を確保する必要があったからでもあった。


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