【仮題】4日目その4

「さて、次はヒイラギさんの番ですが……その前に……」


 ミフユさんは鞄から小さなポーチを取り出すと、きまり悪げに立ち上がる。


「少し失礼します」


 そう言ってそのまま席を外した。


 泣き腫らしたままの顔が耐えられず化粧直しにでも行ったのだろうか。


 俺はすっかり飲み干して空になってしまったグラスを片手に、思い出す。


 そうか、ミフユさんの講義がまだ残っていた。


 この時になってようやく俺の名目上というか、本来の目的の方へ目を向けるが、俺自身完全に一仕事終えた気でいた。


 頭に浮かぶミフユさんに聞きたい事柄は依然として沢山あるが、その大半が本来の目的である「小説の書き方を教わる」というものとは違ったものにすり替わっていた。


 ミフユさんの謎に対する魅力に取り憑かれた俺は、いっそのこと「ミフユさんの謎」を題材に一冊の小説が書けるのではないかと妄想する。まあ、その場合は最終的にミフユさんの謎が解明されなければならないのだが。


 謎。ミフユさんに対して感じる不可解なことは考え始めればどんどん湧き出て来る。そしてそのほとんどが考えたところで謎のままだ。


 俺は考える。落胆からいまいち立ち直れずにいる俺は、この時ばかりはそうでもして気を紛らわそうとしていたのかもしれない。


 まず最初に感じた疑問。彼女が俺のことをカクヨムのヒイラギだとすぐに気付いたこと。これに関しても未だわからない。彼女は俺の書きかけの原稿を指差して、そのお陰で気付けたということを主張していたが、それはどう考えても無理がある。その結論だけは変わらない。


 このことは先程俺の日記を読んだ時の速度から見ても明白だ。


 俺は重し代わりに置かれていたミフユさんのスマホを横にどけると、丁寧に畳まれた原稿を開いて自分で書いた日記を確認する。そして今回の日記の字数とミフユさんが読み終えるまでの時間を脳内で並べ、検証する。


 一般的に見て、確かに速い方だと思うが、それでも常識の範疇を逸しているとは言い難い。倉敷さんレベルの速読術を持っているならまだしも、やはり「読むのが速い方」以上の評価にはならない。


 そして今度は辺りを見回してみる。


 最近になって新たに芽生え始めた奇妙な点。


 洒落た喫茶店内は決して席数が多いとは言えず、障害物も少ないので客で混み合っていなければ難なく店内を見渡せるように思う。


 しかしこの場所。席の位置。


 毎回律儀にこの席を確保しているが、この席はミフユさんと出会う前に俺が選んだものだ。小説の執筆をしている姿をあまり周囲の目に触れたくないという心理で一番奥の席を選んだのだが、この位置は店の入り口から眺めるとやや横方向に窪んだところにある。入口からだとだいぶ中まで、少なくも中腹以上は進まないと視認できない場所だ。


 加えて先日の出版社での一件。


 俺自身が既にミフユさんの思い描くシナリオの中に捕らわれているかもしれないという疑惑。


 個々に捉えれば、馬鹿馬鹿しいと一笑に付して然るべき事柄だが、その他諸々の疑問を併せ考えれば、妙に信憑性を帯びて来る。


 彼女が最初から俺に接触することが目的だったならば、それこそ、予め俺を追ってこの喫茶店に辿り着いたのだとしたら、色々と説明が付く。この席にわざわざ足を運んだことも。俺のことをすぐにヒイラギだと気付いたことも。


 しかしそうだとすると、一番の疑問は、それらの果てにどんな目的があるのか、だ。


 サイト上だけの付き合いの時から俺のことを推服してやまない彼女だが、今でもその理由がわからない。彼女程の実力者から教えを乞われること自体がおかしいとすれば、やはり別に何かしらの目的というものが存在するのは想像に難くない。しかし俺にはそこから先の推察はできそうもなかった。


 スマホでもう一度ミフユさんのユーザーページを確認する。


 何度確認しても消えてしまったミフユさんのファンタジー小説は戻りはしない。


 代わりにミフユさんの最新の近況ノートには、ミフユさんの新作を逃したファンたちによる荒れ狂った投稿が相次いでいた。まさしく阿鼻叫喚の嵐。今やすっかり幻となってしまったミフユさんのファンタジー小説を読んだのは俺を含め、あの短い時間のあいだにサイトを確認した一部の者だけだろう。近況ノートには逃した者の断末魔の合間を縫うように無事読むことができた者の感想等が書き込まれ、騒ぎは白熱の一途を辿っていた。


 当然俺とミフユさんのやり取りを知らない彼らの中には「再投稿待ってます」や「改稿ですか? 楽しみにしてます」等々、当然再投稿があるものと信じて疑わない言葉がチラホラとあったが……すまん、あの小説は俺の所為でもうこの世から消えてしまったんだ…………。


 スマホの画面を閉じると空いた正面の席を眺めながらミフユさんを待つ。


 彼女側のテーブルには飲みかけのベリー&ヨーグルトと、俺の日記原稿、その上に置かれた彼女のスマホ。花柄の手帳型ケース。


 俺はその可愛らしいスマホケースを視界に入れながら、先程までの彼女とのやり取りを思い返していた。


 日を追う毎に増える彼女の謎と、不穏さを伴って奇妙に繋がっていく様々な事象。


 しかし先程見せた彼女の様子は、やりたいことが上手くいかなくて感情が高ぶり涙するあの姿は、それこそ年相応の子供らしい一面だった。


 確か、初めてこの喫茶店で対面した時もこの可愛らしい柄のケースを見て彼女に対して似たような感想を抱いた気がする。


 別にこれは安堵ではない。俺は既に彼女の謎に対する魅力に取り憑かれているのだから。一種の微笑ましさというような感情だろう。


 そういえば……。


 俺は先程のショックの所為ですっかり冷え切ってしまった心が緩やかに温かさを帯びていくのを感じながらも、彼女のスマホを見てとある不可解な行動を思い出す。


 先に挙げたような彼女に対する様々な不可解さの度合いからすると、相対的にこれを不可解と言って良いのかは自信がないが、それは初めて会った当時から思っていたことだ。


 最初のうちは特に気にも留めなかったことだが、回数を重ねるうちにだんだんと意識の端に引っ掛かるようになり始めてしまった。


 彼女は俺と会う時、正確には会話を始める前にするのだ。


 俺はずっと彼女が時間を気にしているものと思っていたが、二回目以降は時間を決めて会っているので対面してすぐの段階で時間を気にするのは少しばかり不自然な気がする。それにただ見るというよりは、画面に触れて何らかの操作をしているようにも見える。


 別に会話の合間にスマホを弄ることくらい誰だってするし、時間がある程度わかっていても確認しておかなければ気が済まない性質の人間だっているだろう。そう結論付けてしまえばそれまでだ。


 だが今の俺には彼女の行動その全てが、何らかの意味を持っているような気がしてならなかった。


 一度は途切れた彼女の謎への思考が再開される。

同時に思い当たる一つの疑惑。倉敷さんが挙げた、あの……。


 俺が彼女から受ける情報。何らかの意味があるとするならば、あの行動を俺に見せること自体に意味があるのかもしれない。


 俺はテーブルに身を乗り出すと、ミフユさんの手帳型スマホケースに手を伸ばす。


 少々大胆な行動ではあるが、きっと先程のショックの所為で思考が麻痺しているに違いない。特に抵抗感や迷う気持ちは起きなかった。


 マグネット式の留め金を外し、意味もなく指紋を残さないように警戒する窃盗犯のような手つきでケースの縁を摘まみながら手帳を開く。


「…………」


 画面は真っ暗でも、待ち受け画像が表示されているでも、デジタル時計が表示されているでもなく、見覚えのある心電図のような波形が延々と線を引いていた。

 

 延々、延々と。微弱な起伏の波線を左から右へ描き続ける。


 一瞬遅れてそれが何かを理解した俺は、動揺して不覚にもテーブルに膝を打ち付ける。すると、その瞬間なだらかだった波が物音に連動するようにゆらりと大きく膨らみ、山型の曲線を描く。思わず息を呑んだ。


 それは先日出版社で倉敷さんがミフユさんの録音音声を聞かせくれた時に使用したものと同じ録音アプリだった。俺は一度も使用したことがないが、恐らく俺のスマホにも同様のアプリが備わっている。


 録音時間の表示を見るに、かなり最初の方から会話を録っているようだ。やはり、あの時間を確認しているような仕草の時だろう。


 何の為に?


 そんな疑問は彼女と出会ってからこれで何度目だろうか。


 今考えたところで思いも及ばないことは経験則からも明らかなので、俺はいつ戻ってくるかも知れないミフユさんに見られる前にと急いで、しかし極力音を立てないように、そっとスマホカバーの手帳を閉じようとする。


 怖気を震うような緊張が指先に伝わり、その度に波が大きく振れる。しかしどうにかミフユさんが戻る前に元に戻すことができた。


 本当に彼女は毎度期待を裏切らない。


 悪い意味で、いや、今となってはだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る