【仮題】3日目
【仮題】3日目その1
「アイスミルクティーをお願いします」
例によって土曜日でもセーラー服姿の天才女子高生作家ミフユさんはメニューを眺めながら少し迷った末、ウェイトレスに注文を告げた。その間も俺は内心全く落ち着かなかった。
ミフユさんと出会ってから三度目の土曜日。ついにこの日が来てしまった。落ち着かないといえば、この二日間ずっとだった。
俺の決心は揺らいでいない。日記には全てを書いた。
それでも原稿用紙を手渡す瞬間だけは後戻りできないということが一層強く自覚させられ、少し迷ってしまった。
ウェイトレスが去ると、ミフユさんはすぐに俺の日記をチェックする。
原稿片手に文章を追って左右に動くミフユさんの瞳。
俺はその様子を眺めながら、心を用いるようにひっそりと唾を飲み込んだ。嫌に喉が渇く。注文したアイスコーヒーはまだだろうか。
しばらく無言でいたミフユさんは、
「はい、確認させて頂きました」
そう言って、ミフユさんは読み終わった日記の原稿を丁寧に折り畳んでテーブルに置いた。そしてスマホで時間を確認すると、それを原稿用紙に重ね、こちらを見据える。
「では、始めましょうか。今日はわたしからですね、えっと――」
「え!? ちょっ、ちょっと待って下さい」
俺は思わず進行を阻止する。
ちょうど飲み物を運んできたいかにもクールそうなウェイトレスさんが荒げた声に驚いてトレーからグラスを落としそうになり、可愛らしい悲鳴を上げた。
ウェイトレスさんが真赤になりながらテーブルに飲み物を置き、足早に去って行くのを申し訳ないと思いながら見届け、そして切り出す。
「何も聞かないんですか?」
ああ、言ってしまった。
「何を、お聞きしましょう?」
だが、ミフユさんは心底不思議そうな表情で小首を傾げる。
どうやら前回と同様に流してもらえるようだ。それはそれで願ってもいない反応だが、全くの無反応というのもかえって気味が悪い。俺は往生際悪くさらに問い詰めてしまう。俺は一体どうしたい。
「何って、その日記を読んで何も思わないんですか?」
「何も……思わないわけではないですが……、内容についての言及は特に必要ありませんから。ヒイラギさんが〝ありのまま正直に〟書いたのであればそれで結構だと思います。……………………それでも……」
少し溜めてからミフユさんは最後に一言添える。
「それでも、あえて何かを申し上げるなら、そうですね、程々に…………でしょうか」
そう言ってからふんわりと微笑む。その口ぶりは本気で自身に対する詮索を拒絶したというよりも、まるで「これで満足ですか?」というニュアンスを含んでいるように聞こえた。
「わかりました」
俺は諦めて了承しておく。無論そのつもりは毛頭ないが。
「では改めて、今日はヒイラギさんにわたしの考えてきたファンタジー小説の設定をお聞き頂きたいと思います」
何事もなかったかのようにミフユさんは再開する。心なしか、声色がワントーン上がっている。
「ええそうですね。ではお聞きしましょう」
「まず舞台は魔法が存在する異世界、主人公は前回決めたように魔術師でいこうと思います。杖からぼうっと炎が出ます。性別は女性、女の子が良いですね。わたしは異性の主人公で小説を執筆したことがないので、そこはやはり書き慣れた同性を選ぼうと思います」
「良いと思います。まあ、主人公は必ずしも人間である必要はありませが」
「そこは色々と勉強しました。最近ではスライムだったり蜘蛛だったりゴブリンだったり、人間ではなくモンスターが主人公の場合も多いらしいですね。全く以てわたしにはハードルの高過ぎる選択です。脳内宇宙でエントロピーが増大してしまいます。カオス過ぎます」
「は、はぁ」
「それに、わたしはただの〝人間〟ですから」
「ま、まあ、良いでしょう」
何が良いのかわからないが。いちいちツッコんでいると先に進まなくなりそうだ。
「それでですね、大まかな物語としてはオーソドックスに正義の魔術師である主人公が世界を脅かす悪の魔術師を退治しに行く冒険譚として書こうと思います」
「ほう……」
普通だ。
「他には? 何か特殊な設定とかはないんですか?」
「勿論あります!」
俺の言葉を受けて、ミフユさんが勢いよく身体をテーブルに乗り出したので俺は咄嗟に身を引いた。
「まずですね、主人公以外にも可愛い女性キャラクターがたくさん登場します!」
魔法、異世界要素に加え、ミフユさんには意外なハーレム要素。主人公が女性なのでそう言って良いか怪しいが。もしかして百合要素もあるのか?
「そして主人公、最強です」
ミフユさんは最後にそう付け加えて、恥じらうようにそっと頬を染めた。
まさかのチート、あるいは俺TUEEE要素まで。かなり詰め込んできたな。でも、ちょっと待て、今の設定の中で主人公に〝最強〟の要素があったか? どの辺が〝最強〟だった?
「ミフユさん。確認ですが、その主人公はどんな魔法を使えるんですか?」
「ですから炎がぼうっと……」
ミフユさんは手ぶりを交えて既に聞いた情報を繰り返す。
それで最強って……、え? プロミネンス(※太陽表面の炎、別名:紅炎)でも出るのかな? チートどころか、魔術師としてはかなりフェアな戦いになりそうだ。
「それだけで〝最強〟って、無理がありません?」
「そう……なんでしょうか?」
「だってラスボスの魔術師も魔術師なんですよね? 当然その敵も魔法を使ってくるわけです。それ以前にラスボスに辿り着く前に様々な敵と遭遇する筈です。そんなシンプルな魔法一つで渡り合えるでしょうか? いえ、そもそも〝最強〟を設定にしている以上、渡り合えるだけでは足りません。もっと、こう……他を圧倒できるくらいでないと」
「『圧倒できるくらい』にですか……うーん……」
ミフユさんは唇に触れながら真剣な表情で考える。
そして何かを閃いたのか、ぱぁとした笑顔で面を上げた。
「こうします! 主人公以外一切魔法を使えない!」
「えぇ!?」
相対的に周りを下げた! まさかの相対的チート!
そもそもの設定から主人公の周囲を弱体化することで、主人公を〝最強〟クラスの強さまで伸し上げる荒業。魔法の存在しない世界で主人公のみが魔法を行使できるなら確かにチートと言える。
でも、だけれども、何か違う気がする。魔法がテーマなのにそもそもその魔法が存在しない世界だなんて。そして主人公の使える魔法的にそこまでしても〝最強〟になるかどうかは怪しい!
「い、いや、そうなるとそもそも敵である悪の魔術師は魔術師にできなくなりますが」
「ええ、ですから敵は〝ただの悪い人〟にします」
「何ですか、それ」
すごく弱そうです。
「で、でも……」
必死で考え直して貰えるような論理展開ができるような糸口をまさぐる。
ミフユさんのファンタジー小説執筆の成功如何に関しては全く責任を持つつもりはなかったが、それでも限度がある。
俺が教えた結果、ミフユさんという希代の天才作家の手から駄作ファンタジーが生み出されるのは神の冒涜に迫る重罪である気がした。例え法が許しても世間が許さないだろう。
もし駄作になったところでその小説が世に出るのかはわからないし、世のミフユファンは俺という存在を知る筈もないだろうが、仮に俺の責任だということが知れ渡れば、俺はジャスティン・ビーバー顔負けの、それこそギネス更新級ペースで、そのファンたちから殺害予告を頂戴する自信がある。
「例えばサッカーの代表選手を主人公に据えたとして、百発百中のシュート力を持つ主人公は小説設定でいうチート能力と成り得ますが、主人公を強くする為に他の選手全員を小学生にしちゃえーっていうのは違うと思いませんか?」
確かにチートとは直訳で『ズルい』という意味だが、ズルさが度を越えている。いや、度を越えた〝ズルい〟チートはラノベにおいてざらにあるが、何というか、その類のチートはあまりカッコ良いとは思えない。周囲が弱すぎると大人気なさが先に際立ってしまう。
いかにズルかろうと、ご都合主義であろうと、主人公はカッコ良くないと無意味だ。
「そうでしょうか。確かにヒイラギさんの例はわたしも何か違うと思います。でもそれはつまるところ〝見た目の問題〟が大きいのではないでしょうか? 大人と子供とでは見た目に大きな差が出ます。ですから主人公以外の周りに対して不遇を感じるのは仕方ないかと」
ああ言えばこう言う。俺自身、上手い例え話をできた自覚はないが、ミフユさんは一見すると謙虚ながら中々に頑なだ。
当初俺が教えを乞われた立場なのに、思い返せば納得させられているのはいつも俺の方で、肝心の彼女の執筆に関しては、俺はただ彼女がファンタジー小説を考えることを促してやっているに過ぎない。これでは単なる勉強の監視役だ。やる気を起こさせるキッカケ作りの役にしかなっていない。
それとも彼女は恐れているのだろうか、自身の見たことも感じたこともない事象に必要以上に触れてしまうことを。これまでのミフユさんの主張を鑑みるとそうとも考えられる。
でも、曲がりなりにも俺が教える番なのだから、少しくらい耳を貸してくれても良い気がする。まあ、元より乗り気で始めたことではないので、無理にとは思わないが。
「今のヒイラギさんの例で小説を書くなら……そうですね、逆ならどうでしょう。主人公も周りと同じ小学生にして、頭の中を大人にするとか。それなら見た目での不遇を感じません。でもそうなると周りと比べて秀でているのは頭脳の方ですから、スポーツのような身体能力で活躍する類のものは向いていませんね。必然的に頭脳戦が物語の根幹となりますでしょうか。カクヨムでのキャッチコピーはこうです、見た目は子供、頭脳は大人!」
「…………。笑うところでしょうか?」
「笑うところです……一応……」
才色兼備を絵に描いたような彼女だが、やはり世の中万能な人間はいない。冗談のセンスはいまいちのようだった。
しかし困った。主人公である最強の魔術師が悪い人を退治しに行く物語。
可愛い女性キャラがたくさん登場する。
主人公のチート能力、杖から炎が出る。以上。
ダメだ。俺にはどう料理しても駄作しか生み出せない自信がある。
素材一つひとつは異世界ファンタジー設定として別におかしくないのだが、やはり特徴がない。米と小麦粉と砂糖と塩を使って料理をしろと言われているようなものだ。個々においては確かにれっきとしたファンタジーの材料と成り得るが、味気なさ過ぎ感が否めない。
「ミフユさん、設定がある程度決まったらなら、次は試しに実際に書いてみましょうか」
現状何か彼女の創作において身になることを教えられている自覚もないし、特にアイディアも出ない俺は、ここに来てやや投げやりな課題を提案をする。
失敗はしたくないと主張していたミフユさんだが、ここはやはり一度失敗してみるのも良いかもしれない。そうやって身を持って感じて貰えた方が彼女の成長にもなるだろう。
「書いてみる……とは、何をでしょうか?」
「ですから、小説をです。今ミフユさんが出した設定で、実際に書いてみて下さい。次の土曜日にチェックさせて頂きますから冒頭の書ける範囲までで結構です」
「書くのは……その、ファンタジー小説……ですよね?」
「それ以外何があります?」
「そ、そんな……」
ミフユさんは絶望とも絶句とも取れる恐懼したような表情で口に手を当てて双眸を見開いた。
「ええ、ですから可能な範囲で書いて頂き、次はそれを基に添削をするという形式で…………ってミフユさん?」
ミフユさんの表情を伺うに、俺の話は既に耳には届いていない様子だ。
「わたし……なんかが、わたし……如きが……ああああああろうことか…………、ふぁ、ふぁふぁふぁふぁふぁファンタジー小説をっ!?」
「あろうことか」って、最初からそれが目的であり目標の筈だったのではないのか。
呆れる俺を差し置いて、ミフユさんは勝手に意を決したかのように拳を握ると、
「ついに……この時が来たのですね……」
まるで荒廃した世界で最終戦争に赴く直前のような表情で、決意と戦慄の入り混じった言葉を口にした。もしこれが映画か何かのワンシーンならば、中々に迫真に迫る。
それからのミフユさんは何だか心ここに在らずというか、俺が提示した課題の所為で、以降すっかり反応が薄くなってしまったので、俺の方から今日はここまでとお開きの申し出をした。
まあ、俺の教わる番に関しては前回の水族館での臨時講義があったことだし、良しとしよう。
それに、俺にとってのミフユさんと会う理由が最早面白い小説を書く為ということだけではなくなってしまっている。むしろ新たにできた理由の方に天秤が傾きつつある。
この時、俺は俺で既にミフユさんの謎解明に関することを考えていた。心ここに在らずは俺の方かもしれない。
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