本文
いつからだろう。《自分》を認識し始めたのは。
いつからだろう。《自分》が人ではないモノとして認識し始めたのは。
気がつけば、《自分》は誰かの所有物だった。
どこで生み出されて、何のために生まれたのか。
そして、こんな姿になったのか、《自分》には判らない。判るはずも無い。
喋る事も出来ず、動く事も出来ず。
それでも、《自分》が生まれた意味は何か理由があるのだろう。
《自分》としては知る由も無い。
これから短い時間ではあるが、今の所有者に出会った時の話をしていこう。
それまで幾人かの手に渡り、《自分》は前の所有者である大男の車の中にいた。
車のバックミラーに吊された状態だったのもあり、ただのアクセサリーとして過ごすのもそろそろ飽き飽きとしてきた。
《自分》が『そこに在る』というだけで存在意義を見出されていたのだろう。
時折、《自分》を見つめる大男の表情は寂しそうな悲しそうなそんな顔をしていた。
ある日の午後、大男が珍しく《自分》のいる車へ若い女性を連れてきた。
この車に女性を連れてくるのは、大男の妹以外では何年ぶりだろう。
これから二人でドライブでも行くのだろうか。
助手席に座った女性はすまし顔を保ちつつ、大男の私生活が気になるようで、車内を目で物色している。
ふと、視線を感じた。女性はじっと《自分》を見つめているようだった。
何か思い当たるのか、すぐに大男に《自分》の事を質問した。
大男は《自分》の事を説明しながら、車を走らせる。
車内で繰り広げられる会話は《自分》にとっては他愛ない内容。
ただ二人にとっては重要な話なのだろう。
数分後、車は目的地の駐車場についた。すぐ車から降りる大男と女性。
降りる直前に何かを告げられ、女性は驚いていた。
女性は車を降り、男性に悟られまいとした態度で並んで歩く。
二人でエレベーター前へ移動したようだ。
一時間程経過して、車に戻ってきた女性の表情は降車前とは異なっていた。
陽気とまではいかないが、明らかに高揚しているようだ。
プロポーズでもされたのか、はたまた大男が失礼をしでかしたのか。
ぼーっとしたままの表情で女性は助手席に座り、大男の安定した運転でいつものビルへ移動する。
駐車スペースに停車し、車のエンジンを切ると大男は《自分》をバックミラーから取り外した。
どうやら現時刻をもって所有者が変わるようだ。
これまでは、男性ばかりに所有された人生ならぬ【物生】だった。
まさかこんな形で女性に譲渡される日が来ようとは。
大男は何かを告げながら、《自分》を手渡す。
女性はあっさりと《自分》を受け取ると、大男に問いをした。
大男は何かを言いながらウィンクをして微笑む。
その顔を見た女性は恋する乙女のような顔になり、すぐに平静を保とうと努力していた。
直後、《自分》は女性に握り込められ、それから何もわからなくなった。
数ある所有者の中でも、今日まで大事に扱ってくれた大男。
これまでの日々に感謝を。
《自分》にとって、所有者は選べない。
女性に対して、大男と同じように大切に扱って欲しいと、ただそれだけを願った。
───そんな願いはすぐに打ち砕かされるのだが。
さて、こんな所でこの話は終わりにする。
今の所有者である女性とのその後の話はあるが、ここではやめておく。
少しだけ話すと、《自分》の授与式の後にこんな事があった。
手渡されてすぐトイレの汚いタイルの上に叩き落とされた。
何かに吹っ切れた女性に草むらに投げ捨てられた。
直後、女神のような別の女性に拾われるものの今の女性に引き戻された。
改めて振りかえれば、大男の車のバックミラーに吊されていたのも悪くはない【物生】だったのかもしれない。
だが、一つだけ以前とは明らかに違う待遇がある。
それは女性の胸元で日々を過ごせるという事だ。
これだけは以前に比べたら、比較にならないぐらい充分で正当な報酬である。
女性が《自分》を見つめる日々は変わらない。
何かの気持ちを後押しするきっかけになったり、《自分》を見て凹むような日もあるだろう。
出来る事ならば、モノとしての使命を終え、この身が最後を迎えるその時まで《自分》は女性に寄り添っていきたいと切に願う。
《自分》と女性のencounter 文月りんと @f_rinto
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