一人たち

書三代ガクト

序 商店街、まずは違和感

 風にページを煽られ、縦山(タテヤマ)は静かに顔を上げた。商店街の錆びたゲート、その向こうに夏らしい強さを孕んだ太陽がある。十時前ながら熱を包んだような空気。今日も暑くなりそうだと彼は目を細めた。

 縦山はゲートの柱に背を預け、視線を手元に戻す。鼻で歩く鼠のような挿絵を眺めて、隣の説明を読んだ。この生物の生息地から習性、起源と進化系譜、そして絶滅理由。様々な文献を引用した、学術的な話に縦山はふふっと一人で笑う。

「そんなことよりさ、ヨコちゃん。このライトなんかどう?」

「おお、おっちゃんやる気だね」

 二人の声に縦山は顔を上げる。まだシャッターが目立つ商店街の中で、我が上司の横川(ヨコヤマ)とリサイクルショップの中湖(チュウコ)が笑いながら話している。

「じゃあ、探偵ヨコちゃんにはこの万年筆かな。報告書にさらさらーっと署名する姿、おじさんは見たいよ」

「ふっふー。おっちゃん、私は名探偵だよ。間違えないでね」

 中湖が笑い、横川は探偵帽のつばをくいっと上げた。その手にはメモ帳とペンが握られている。

 猫探し。この依頼を受けたのは昨日のことだ。学ランに身を包んだ依頼主は飼い猫のアイタが三日前から帰ってこないと言う。夕食時には餌皿の前で騒ぐアイタがここ二日、どこにもいないと。

 そして彼はアイタの写真を差し出してお願いしますと頭を下げたのだ。

 縦山は写真を取り出し挿絵の上に置く。いわゆる三毛猫。大きい体と綺麗な毛並みを見て大事にされていたんだなと呟いた。

 シャッターが上がる軽い音に縦山は顔を向ける。リサイクルショップの隣、魚屋の魚谷(ウオヤ)は両手を払ってから目を丸くした。

「おはようヨコちゃんに中湖。にしても珍しいな」

「おはようございます。でも私は一昨日も聞き込みにきましたよ」

 横川は白いブラウスの胸元で腕を組む。上に羽織るチェック柄のポンチョも不服そうに揺れた。

 高台にある田舎町。そこで起こる事件は商店街や役場の聞き込みで八割ぐらい解決に繋がる。探偵の横川と助手、縦山はよくこの商店街にやってきては調査をしていた。

 魚谷はいやあとスキンヘッドを掻いて、言葉を続けた。

「中湖の方だよ。いつもは商店街一遅い店で有名じゃないか。でも今日はやる気を出して朝から開いてる」

 魚谷は周りを見渡す。先よりもシャッターは開いていたが、それでも閉じている店の方が多い。基本、十一時からの店が多い商店街、その中でもリサイクルショップは午後から開くことも少なくなかった。

 縦山は確かにと腕時計を見る。十時を回ったぐらいの時間に、中湖の声を聞くことは珍しい。

 中湖は腰に手を当て得意顔で口を開いた。

「いやあ、最近、いろいろと入ってきてね。ちょっと頑張らなきゃって」

 中湖は店の壁に貼られた張り紙を指で弾く。日焼けし、端がめくれた張り紙には”なんでも買い取ります!”と強気な文字。横川は丸めがねをキラリと光らせ、メモ帳にシャーペンを走らせた。

「なるほどですね。確かにタイプライターかっこいいなぁ」

 横川は店頭に出ているキーボードを押す。かしゃんとキーが跳ね上がる。紙にアルファベットが押しつけられ、黒い文字が現れた。おおうと嬉しそうな声を上げた名探偵は身を乗り出して、かしゃんかしゃんと文字を重ねる。

「どう、これで報告書なんか書いたらかっこ良いでしょ」

 中湖がセールスを重ねる。横川の目がさらに輝いた。今回の依頼料は新しいおもちゃに消えていきそうだと、縦山はため息を溢す。先月の給料ももらってないのになと商店街から視線を外した。

 商店街とT字を描く国道。ガードレールの先は崖になっていて、一段下に隣町が広がっていた。縦山たちがいる町とは違い、駅があり海がある。

 まだ浅い光を受けて、遠くに伸びていく水平線を縦山は眺める。凪いだ水面はキラリと輝き、その美しさに彼は唇を噛んだ。どこまでも続く景色に手をすうっと上げた。けれど収まらない大きさに、届かない光に、苦く堅い味が口に広がる。迷うように指先をさまよわせ、そのまま下ろした。

 首を左右に振って、ふうと息を吐き出した。そこで彼はガードレールの向こうにある看板に気付く。発色の良い黄色に”不法投棄禁止”と大きく書かれていた。禁止の鮮明な赤文字に腕を組む。奇妙な違和感に首を傾げた。

 鬱蒼と茂る木々の中で目立つ看板を上から下まで眺め、ああと静かに頷く。

 新しくなっているのだ。さびが浮き、文字が消えかけていた注意が新しく作り直されている。

 小高い丘と海に面した町、その境にあるなだらかな崖は私有地だ。隣町に属するそこは特に整備もされず、草木が青々と茂っていて、不法投棄が多くされていた。

「お待たせ、縦山」

 傍らからの呼びかけに、びくりと体を震わせてから振り返る。横川がメモ片手に駆け寄ってきた。縦山の右手を見て、首を軽く傾げる。

「また読んでたの? それ」

 縦山は親指でページを開いたままだった本にああと声を上げた。鞄に仕舞いながら何か分かったかと返す。横川は肩を竦めて応えた。

「とりあえず、これからタイプライターを運ぶわ。だから一時に公園集合ね」

 言葉が足りない説明に、なんなんだこの探偵はと縦山は頭が痛くなる。買ったタイプライターを事務所に運んで、その後休憩を挟み、一時に集合ということだろう。

 公園は目抜き通りの商店街を抜けた、役場の隣にある。事務所はそのさらに向こう、坂を上がった先だ。  

「なんなら俺が運びますよ」

「そんなこと言って、途中で売るでしょ。先月の給料分として」

 流石にしませんよと思いながら、数ヶ月前に事務所のものを処分したことを思い出す。開いた口の収まりが悪く、というかと言葉を続けた。

「というか、覚えているなら買わないでくださいよ」

「だよね、テヘッ」

 探偵帽を叩いて舌を出す横川。茶色のタイトスカートから覗く白い膝を折ったポーズが憎たらしい。ヒールを履いたまま上げる左足を蹴りたくなり、縦山は顔を顰める。探偵はケラケラと笑った。

「というわけで、時間まで聞き込みはお願いね」

「ちょっ」

 止める間もなく横川は中湖への元へと走る。そのまま段ボールを受け取り、よろよろと事務所へ向かっていった。

 彼は腕時計をさっと一瞥する。十時半を示す盤にため息をついて、鞄からメモ帳を取り出した。探偵事務所に働き始めてからもう半年近く。何度か聞き込みをしたはずだが、日付以外は何も書かれていない。これからやらなければならないことに、今までできなかったことにノートが震え始めた。武者震いだとも強がる余裕もなく、縦山は空を見上げる。

「こういうのはお前の方が得意だろうが」

 恨み言を呟いても何も変わらない。覚悟を決めて、縦山は前を向いた。ゆっくりと魚谷さんに近づく。

 いつもの、まるで追い払おうとしているような呼び込みもなく、店頭で座る魚谷。縦山が近づくと、さっと顔を上げ視線を泳がせた。そして助手さんか。珍しいなと声を上げる。

 縦山の体温がさっと下がった。それは店のひさし、影に入ったからだと彼は言い聞かせる。少し視線を外して商品を眺めた。ざるに並んで素肌をさらしている魚たちは鮮度の高さを誇るようにキラリと光っている。

 おいしそう、鮮度がいいですね。なんでも良い、とにかく切り出せ。

 縦山は自身を鼓舞したが、いつものカバーが掛かってないことに意識が向いてしまい言葉が見つからない。それを伝えるのは失礼なのではないかと彼の額に汗が浮かんできた。

 縦山は酸欠の魚のように口を開けては閉じる。魚谷はそれをじっと見つめていた。

 普段は呼び込みで騒がしい店内。けれど今はどんよりとよどんでいた。

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